最近のyahooニュースを見ると、佐藤優氏が『資本論』についての私的回想を書いていたし、今日同じyahooニュースで、『資本論』の漫画による解説本が出版されるという記事が載っていました。そこで、私も・・・というわけです。
子供:父ちゃん、なんでお金貯めるの?すぐ使っちゃったほうがいいよ。
父ちゃん:もしもの時ということを考えなきゃいけないよ。もし父ちゃんが会社を首になったらどうする?また、今すぐ買えないものも少しづつ貯金すれば買えるようになるだろう。
この会話は別に不思議なところはないように見えますね。だが、次の会話は?
子供:父ちゃん、貯金は十分だろ。必要な貯金以外はすぐ使っちゃったほうがいいよ。
父ちゃん:いや、余ったお金は使わないで増やすために使うんだ。
子供:父ちゃん、お金は増えただろう。すぐ使おうよ。
父ちゃん:いやもっと増やすために使うんだ。
子供:父ちゃん、お金は増えただろう。すぐ使おうよ。
父ちゃん:いやもっと増やすために使うんだ。
以下落語の「浮世根問」と同じように無限の会話が続きます。私はこの無限に続く会話に一種の「狂気」を感じました。私が『資本論』から読み取ったのは、この「狂気」だと言ってもよいでしょう。そして、この「狂気」は『資本論』という、150年以上も前のかび臭い書物の中に今でも潜んでいると思います。
この「会話」から何らかの「狂気」を感じない人は、『資本論』を読まないほうがいいでしょう。全くの時間とお金の無駄になりますから。