我が家の朝は、段々遅くなって(宵っ張りの朝寝坊!)、パソコンを開いてから新聞を取りに出ることの多い昨今である。8月22日、朝、友人からのショートメールで、『東京新聞』の新刊紹介コラム「歌の本」で、紹介されているのを知った。
・戦没の少年たちの写真が並ぶ視線のすべてを背に受け去りぬ
たった一首の紹介ながら、ありがたいことだった。 この一首は、2014年11月、ちょうど翁長知事誕生の知事選さなかに、沖縄を訪ねた折のものである。首里高校の前の路地を入って、ようやく探し当てた「一中健児之塔」であり、「学徒隊資料展示室」だった。県立第一中学校・県立首里高校の卒業生で組織する養秀同窓会が、創立125周年記念事業として、同窓会館内に開設したのが「一中学徒隊資料展示室」だった。
1945年3月27日の卒業式後、3年から5年生の144名が鉄血勤皇隊として、2年生110名が通信隊として動員され、4月中旬首里への空爆、5月27日からの南部撤退の過程で254名のうち171名が犠牲となり、ほか75名の生徒が、その他の部隊に動員され犠牲となっていたのである。
展示室では一中学徒隊の動きを解説するとともに、関係者から寄せられた遺影や遺品、戦前の学校生活を物語るノートや教科書、衣服などを展示している。遺影が壁いっぱいに貼られていたのだが、だれもの写真が、まだ幼い少年の面差しの中学生であり、なかには、在学中の写真がなく、幼児だったころの写真だったりする。家族全滅で一枚の写真すら見つからない生徒もいて、氏名のみが記されていた。見学し終わって、部屋を出る際、振り返って、あらためて目にした少年たちの遺影の視線が一斉に向けられたように思えたのであった。
なお、『短歌往来』9月号では、ロンドン在住の渡辺幸一さんが、一頁の書評を書いてくださっていた。『野にかかる橋』から沖縄と天皇制にかかる作品をとりあげ、評していただいた。その中でも、上の一首を紹介してくださっていたのは、偶然とはいえ、私の沖縄への思いをあらたにするのだった。
初出:「内野光子のブログ」2021.8.24より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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