是非、若い人達に読んで考えて欲しい。
この一週間、前回の投稿をしてからも多くの情報が推移していた。
情報を追うだけでアップアップしている状態であるが、事の本質、根底は何であり、
エゴイズムではない真実、「蜘蛛の糸」「羅生門」を越えだす『同時代性』としての友愛や対話へとたどり着くにはどうしたら良いのだろうか?
それは、「人性哲学」的と考えられるかもしれない。
政治ばかりをやってはいられない。若いころは、誰でも、趣味に時間を費やしたいものだ。
父親への反発、それは、かつての全体小説的試みとしての『青年の環』の中でも描き出したいとしていたものであるが、
そんな古典にまで遡っている時間は誰にでもあるものではないだろう。
人性は、思ったよりも短いものである事を感じる。
100年生きようとも80年生きようとも瞬きするくらいの一生である事、それを、『人間臨終図巻』『存在と時間』、20世紀哲学、文学的成果から学び取り、更には、理解に届かない人がいるなら「語り変えて」「繰り返し」問わねばならない
それこそが、「生きている事そのものの真相」へと迫る事ではないだろうかと僕は、「死」の問題とそれに辿り着くまでの「活きた過程」について繰り返し問いを設定しなおす。
朗報?・自殺者減はアベノミクスの効果か?
現代自殺論~自殺統計は最初の悲劇であるのか?難民以上の絶望の在り方の分析
http://revolutio.exblog.jp/22704300/
(今回の主題はこちらではないので先を急ごう。)
まずは、リベラル問題としてのニュース情報から。
リベラルは日本でも復権するか。学者ら、民主に政策提言へ(ニュース引用)
http://revolutio.exblog.jp/22703575/
(技術性)ちきゅう座の問題点(個人対大企業)
http://revolutio.exblog.jp/22704477/
1.楢山節考から人間廃人国家の悲劇(現代平安年間の地獄図)
今まで、狂人や精神病と言うのは、漫画や文学の中でしか観たことがなく、実際は、やくざも映画やニュース報道の中でしか観たことがなかった僕であったが、まさに、狂気が今や満ち溢れていたことを知らされた。
これが、日本の現実であるのだ。
病院や老人施設の中。かつては痴呆症と言われていたらしいが、いつから認知症と言われる様になったんだろうか?
それは、病ではなく、まさに、自分が自分でなくなる悲劇であり、発狂であり、廃人化する反知性そのものであり、格差、排除の結果そのものではないのだろうか?
これを、今始まったものとは考えていない。
人が生まれ死ぬ事は、幼少から理解していた僕であったが、自然死よりも恐るべき状況がある事を告発すべきときであり、
これは、寿命が延びた故の現象ではない。
100歳まででも健康に生き延びる事は、可能であるが、それをさせない貧困があり、搾取、グローバル帝国支配=大企業としての支配、消費税搾取的構造にも直結していると僕は植草ブログ同様に考えている。
本当は恐ろしいアベノミクスの冷酷な素顔
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-57cd.html
いよいよ隠し通せず「狂気の歴史」の悲鳴を、犬HKも、または、ニュース23の「命をつなぐ」シリーズの中で、介護殺人事件の一般的背景として報道に、平成平安地獄年間の今、始まったような悲劇の様に、知らぬ顔で伝えだしているのだ。
特養は、僕が観る所では人間のいる場所ではない。
そんなところに、親族を預ける事は出来ないであろう。
労働奴隷であるから苦悶して預けているのだ。
「死にに行くところだ」「安楽死場所だ」その様に、語られている通り、認知は、進み、あっと言う間に寝たきりにさせられる。
それは、国策的に年金を早く打ち切りたい為の墓場である事を告発すべき時ではないだろうか?
それ以前に、認知症、廃人へと追い込む社会がまともではないのだ。
これこそが、キューバ的に大衆へ医療知識が解放されていたなら最大限に防げていたであろう資本主義的病理であり、
繰り返し告発せねばならないTPP(グローバル帝国支配)の根幹にある『狂気の歴史』、隠蔽されて来た実情であるだろう。
「名もなく貧しく美しく」や今井正、山田洋次監督の描く貧しさによるのではなく、心の貧しさの社会が生み出した資本主義病そのものであり、愛情さえ搾取されている事を告発の声を上げるべきであると言う事であるのだ。
「貧困の哲学」「哲学の貧困」…。
痴呆は、一日にしてなるのではない。
長い年月の中、社会的絶望の中で、発狂し、廃人とさせられる社会的病理である!
横溝正史の『八つ墓村』村と都市の問題ももちろんあるだろう。
この告発から始めなくてはならないのだ!
老人施設も、そして、「介護離職ゼロ」の奴隷労働者さえ、人間愛にも家族愛にもたどり着けない反知性、ヘイト安倍政治の唾棄すべき犠牲になるだけでしかない事を明確にしなくてはならない時である。
2.クルーグマン異論(国家・大企業・人)
http://revolutio.exblog.jp/22691964/
次回に続く。