矢ヶ崎克馬解説・監訳(松元保昭訳)
【註1】これは市民が読みやすく自由に活用することを目的とした、「ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告」に加えられた「理事会概要Executive Summary」(勧告の概要)の翻訳です。矢ヶ崎克馬さんの監修と解説によってかなり理解しやすくなったと思いますが、不適切な翻訳があれば松元の責任であることをお断りしておきます。
■ECRR2010勧告英語原文サイト
※【註2】原文には質問と解説はありません。各項目の質問は松元が配し、その解説は矢ヶ崎克馬さんが執筆しています。また、勧告本文にあるいくつかのカッコ内註の用語説明も、矢ヶ崎さんのものです。註のないカッコ内は、原文のものです。
この報告書には、2003年に本委員会が発表したモデルの改訂版が掲載されている。ここでは、電離放射線被曝による人体への健康影響について本委員会が導き出した結論を概説しており、またこれらのリスク評価の最新モデルを提案している。この報告書は、政策決定者およびこの分野に関心ある人々に向けられており、本委員会が開発したモデルの簡潔な解説とモデルの根拠となる証拠を提示することを目的としている。このモデルの開発は、現行のすべての放射線リスク関係法の根拠となり著しい影響を与えている国際放射線防護委員会(ICRP)のリスクモデルを分析するところから始めている。本委員会は、このICRPモデルは体内の放射線核種による内部被曝への適用については本質的な欠陥があると見なしているが、歴史的に存在している被曝データを扱うという実際的な理由から、内部被曝にたいする核種と放射線ごとの特別な荷重係数を定義してICRPモデルの誤差を修正することに同意し、その結果、実効線量(シーベルト表記)はそのまま使われることになる。したがって、この新しい方法によって、ICRPが公表した致死性がんの全体的なリスク要因および他のリスク作用の大部分は変更せずに使用することが可能となり、またこれらを根拠に制定された法律も変更せずに使用することができる。本委員会のモデルによって修正されるのは、放射線量の計算である。
質問①:まず、ICRPが戦後から現在に至るまで日本と世界に及ぼしている影響について概略教えていただきたいと思います。
矢ヶ崎:ICRPは、1950年に発足し、アメリカの核戦略に従って、核戦争、核兵器開発、原子力発電の維持・推進のために、被曝の科学あるいは放射線防護学の側面で、犠牲者を隠し、見えなくさせる強力な土台を作ってきました。内部被曝を隠すことは、犠牲者群を隠すことです。これの隠ぺいに成功するかしないかで、原子力発電産業が、巨大な儲けができるかできないかが分かれてしまうのです。被曝を対象とする科学や防護学は、真理探究を行う科学としての具体性と誠実さを維持しては来れなかったのです。
ICRPは、内部被曝を見えないようにした物差しである「吸収線量」という定義(臓器ごとに放射線エネルギーを測る)をもって、「被曝の見方に関する歪められた世界観」を作り上げてきました。リスク―ベネフィット論(公益のためには犠牲が出ても仕方がない)や、コストーベネフィット論(「合理的に達成できる限り」という範囲で限度値を低くする)を展開し、憲法に謳われている「個の尊厳」や生存権を真っ向から否定する考え方を維持してきました。さらに、内部被曝を隠ぺいし続けるためには、内部被曝研究を阻止してこなければならなかったのです。「100mSv以下の放射線に起因する疾病のデータは無い」などに、典型的にICRPの目的意識と彼らの作業結果が現れています。
歴史的に改めて振り返りますと、原爆、ビキニ核実験、原子力発電所等からの放射能漏洩、チェルノブイリ事故等々、実にあらゆるところで、内部被曝の犠牲者隠しを行ってきたのです。「原爆被爆者認定基準」は、1957年の原爆医療法で定義されましたが、現在もまだ、完璧に内部被曝の指標を欠落させたままです。原爆症認定集団訴訟に関わる全ての判決で内部被曝の認定を基礎に、原告側が勝訴しているにもかかわらず、国とそのサポーターは内部被曝を未だに認めていないのです。
ICRP体制は、ほとんど全世界の医療機関、教育機関、原子力施設の放射線防護に適用されていて、被曝の見方に関しての巨大な「内部被曝:低線量被曝隠蔽」の維持勢力を形成しているのです。ICRP体制の維持・執行機関は、IAEA、WHO、国連科学委員会、核抑止政策や原子力発電を遂行しようとする各国政府等なのです。
質問②:その上で、ECRRが意図したことはどのようなことだったのですか?
矢ヶ崎: 放射線被曝をありのままに認識して、被曝から健康を守ることができる「目」を確保し、防護基準にしていこうというものです。ICRPが内部被曝を考慮していないことで、放射線リスクを過小評価していることを批判し、1997年に結成された市民組織がECRRです。内部被曝を正当に評価できる体系を求め、市民の健康を犠牲にするコスト―ベネフィット論などを批判し、現実の放射線被害を評価できる放射線防護の指針を、「勧告」として2003年および2010年に出しました。
1、欧州放射線リスク委員会(ECRR)は、1998年2月の欧州議会STOAワークショップにおいてICRPのリスクモデルにたいする批判が明白に確認されたことを受けて設立され、その後、低線量放射線の健康影響について新たな観点が探られるべきだと合意された。本委員会は、ヨーロッパ内の科学者とリスク評価専門家で構成されているが、他の諸国を拠点に活動している科学者や専門家からも助言や証言を得ている。
質問③:リスクモデルって何ですか?
矢ヶ崎:どんな被曝の仕方があるか、放射線をどのように測るか、身体に対するリスクの表し方はどうするか、どんな放射線被害が生じるか、放射線被害が生じる割合はどのようなものか、放射線の種類によってリスクが異なるかどうか、等々を、被害が推算できるように定式化したものの総体をリスクモデルと言ってよいでしょう。
リスク判定の概念は2つの要素から構成されます。その二つの要素は、①実効線量をどのように算出するか、②単位実効線量(1Sv)当たりに現れる犠牲者数(リスク係数)をどのように与えるか、です。ICRPは、①吸収線量の定義を臓器当たりとすることを定義しています。これは実効線量を小さく算出することをもたらします。また、②犠牲者を隠ぺいすることによりリスク係数(1Sv 当たりの犠牲者率)を低くすることに努めてきました。ICRPは放射線被害が現れる障害を、がん等に限定して、実際現れる他の多くの健康被害を放射線に起因する病因から外し、リスクをさらに小さくしています。この両者により、とくに内部被曝リスクを極端に過小評価できたのです。小さなリスク係数を保つために、ICRPが行ってきた実践は、米国と日本政府が協力して行った原爆被爆者の内部被曝被害者隠ぺいを踏襲するだけでなく、核実験や原発を含むあらゆる放射線被害の犠牲者を公式記録に載せないようにすることと、内部被曝を研究させないように科学上の専制支配を行うことによって、達成してきたと言えます。
2、この報告書は、人間遺伝学的要因から判断して放射線核種によって内部被曝した住民の中に、とくにがんと白血病の疾病リスクが増大しているという疫学的証拠とICRPのリスクモデルとの間にある不一致を確認するところから始めている。本委員会は、ICRPのリスクモデルをこのような(註:ガンや白血病の)リスクに適用させ、その科学的な考え方の基盤に焦点を当てた上で、ICRPモデルはすでに公認されている科学的手法に基づいて確立されたものではないと結論をくだす。具体的にいえば、ICRPは複数の点放射線源からの長期にわたる内部被曝にたいして、急性の外部放射線被曝の結果を適用しており、それを成り立たせている外部放射線による照射の物理学モデルに主として頼っている。しかし、これらは平均化しているモデルであり、細胞レベルに生じる確率的な被曝にたいしては適用することができない。すなわち一つの細胞はヒットされるか、ヒットされないかのどちらかであり、最小の衝撃は一回のヒットだが、この最小の衝撃の倍数で衝撃は時間とともに増加していく。したがって本委員会は、体内の放射線源によるリスク評価においては、機械論に基づくモデルよりも内部被曝の疫学的証拠を優先させるべきだという結論をくだす。
質問④:ICRPモデルは間違っていると言っていますね。簡単にいうと、どこが間違っているのですか?
矢ヶ崎:ICRPのモデルは、すでに行われている分子生物学的な方法(すでに公認されている科学的手法)に基づいてはおらず、分子生物学以前の機械論的モデルであり、臓器全体で平均化するモデルであることを固執し、維持しようとしていることが最大の誤りです。放射線からいのちを守ることは、現実を客観的にみるという、誠実に科学を実施することで、初めて達成できるのです。真の防護は、科学の進歩と共に防護の観点も方法も変わらなければならないのに、ICRPはそれを拒否し続けていることが誤りの元です。
内部被曝は、発展しつつある分子生物学の知見により、分子レベル・細胞レベルで、撃たれるか、撃たれないかの、「被曝の具体性」を見る観点が重要です。放射線被害者を評価するためには、放射線環境にある人々と、放射線環境に無い人々の健康を比較するなど、疫学に裏付けられた「被害を具体的に見る科学の誠実さ」が必要です。内部被曝の評価は、科学的側面だけで言うと、古い体系のモデルを近代化しようとしないICRPモデルでは不可能なのです。
逆に、現実の被害を具体的に誠実に見る代わりに、古い体系の見方を現実に押し付けようとする権威主義・教条主義(科学的側面だけからみれば演繹的手法)を強行しようとしているICRPは実に危険なのです。
3、本委員会は、ICRPモデルおよびそれらを根拠としている法制度が包括している原理の倫理的基盤について考察している。ICRPが正当であると主張することは、もはや時代遅れとなっている哲学的理由づけ、とりわけ功利主義的な平均費用-便益計算に基づいていると本委員会は結論する。功利主義は、社会と諸条件が公正であるか不公正であるかを識別する能力を欠いており、行為の倫理的正当化の根拠としてはとうの昔に打ち捨てられたものである。例えばそれは、個人の利益ではなくもっぱら計算された全体の利益のみを考慮しているのだから、奴隷社会を支持するためにも使われうるだろう。本委員会は、(原子力発電の)操業に起因し公衆成員にとって回避可能な放射線被曝問題には、ロールズの正義論あるいは国連人権宣言の基礎となった考え方のように、権利を根拠付ける哲学が適用されるべきだと提案する。本委員会は、同意なしに放射性物質を放出することは、極微量の放射線量にいたるまで、小さくとも有限な致死的傷害の可能性がある以上、倫理的に正当化することは出来ないと結論をくだす。万一こうした被曝が容認される場合、「集団線量」の算定は関係者すべての活動と時間尺度を考慮して使用すべきであり、そのように全住民を考慮してはじめて危害全体の総和が統合して積算されると本委員会は主張する。
質問⑤:ここでは、ICRPは倫理的にも間違っていると言っていますね。功利主義というのは商売の論理だと思いますが、倫理的にどこが間違っているのですか?
矢ヶ崎:人権を不都合に思う商売の論理を取るか、人権に基づいて命を大切にするかの、考え方の問題で、ICRPの倫理は人権を軽視するものです。
功利主義は、「公益のためには犠牲が出てもやむを得ない」という考えです。この功利主義を社会に受け入れさせることと、ICRPによる虚偽の放射線防護学で犠牲を隠すことにより、原発企業は生き残って来れたのです。
功利主義は、個人個人の承諾なしに放射線に被曝させ、それによる犠牲は「本人責任で、我慢してください」、という受忍強制を伴うものです。医療の現場で、医療に役立つという、本質的で具体的なメリットを前提にして、本人が被曝をすることを、命を守ろうとする願いと共に承認するものとは根本的に異なるものです。人格を尊重し認めている場での被曝とは完璧に異なるのです。
これは、日本国憲法の基礎にある「個の尊厳」の考え方に根本的に敵対し、憲法25条の生存権にも、決定的に反する考え方なのです。これは第2次世界大戦の侵略戦争の際に、天皇制ファシズムによって強制された人権否定と共通する基盤を持つものではないでしょうか。
4、本委員会は、被曝タイプ、細胞、また個人について平均化することに問題が存在するため、「集団に適用される放射線量(註:集団線量)」を厳密に確定することはできず、個々の被曝については細胞レベル、分子レベルにおける影響という観点で扱うべきだと考えている。しかしながら実際に実現することは不可能なため、本委員会は実効線量の算定に新たに2つの荷重係数を加えることによってICRPの考え方を拡張したモデルを開発した。これらは生物学的・生物物理学的な荷重係数であり、内部被曝点線源によって生じる細胞レベルでの時間と空間における電離される密度あるいは分割化(註:電離に粗密の場所ができること)の問題に焦点を当てている。事実上、これらは異なる(アルファ線、ベータ線、ガンマ線などの)特性による電離密度の相異を調整するために採用されたICRPの放射線荷重係数の拡張である。
質問⑥:「平均化」が間違っていると言っていますが、どうしてですか?それに、ICRPモデルは間違っていると言っていたのに、ここではそれを「拡張したモデル」を使うと言っていますね。どうしてですか?
矢ヶ崎:ここで言う内部被曝線源とは、放射性微粒子のことです。1マイクロメートル直径のサイズの微粒子では約1兆個の原子が含まれています。ここからたくさんの放射線が飛び出し、この微粒子に近接する局所では空間的にも時間的にも大きな被曝を伴います。しかし、微粒子に遠いところでは被曝が及ばないのです。被曝が極端に高い局所と時間的継続から来る特別の被害があります。
臓器という大きなスペースでの平均化は、細胞レベルでのイオン化(分子切断)の密度の高いところも、疎らな所も、全部平均化してしまい、それを臓器全体にわたる均一な被曝に還元してしまうものです。平均化という言葉の具体的な結果は、小さいながら高密度に分子が切断され、それゆえ高いリスクを背負う部分を客観的に評価することを避け、被曝の無いところを含めて臓器全体で平均を取ると、危険な局所部分が何も見えなくなるという結果を招くものなのです。
ECRRはリスクモデルの様式を、すでに世界的に知れ渡っているICRPのリスクモデルに従って展開する道を選んだので、ICRPの加重係数方式に、さらに二つの係数を追加して、現実として展開する被曝をモデルでしっかり表せるように、再現できるようにしたのです。その二つの係数というのは、①内部被曝が放射性微粒子と言われる点線源であり、その周囲に密度の高い被曝を行うことと、時間的にも同一の場所を繰り返し被曝させることを考慮した生物物理学的な係数と、②放射線核種により放射する放射線が異なり、被曝様式(崩壊系列、放射平衡、放射線種、放射線エネルギー等々)も異なることを表した同位体・生化学的係数です。
5、本委員会は、放射線被曝の放射線源について考察する。新たな同位体の被曝影響を自然放射線による被曝と比較して規格化する試みには注意するよう勧告する。新たな同位体の被曝とは、ストロンチウム90やプルトニウム239のような人工核種による内部被曝だけではなく、核種のマイクロメートルの範囲への凝集(ホットパーティクル)も含まれており、これらはすべて人工核種(プルトニウムなど)および自然核種の形態変化したもの(劣化ウランなど)で構成されている。こうした(註:自然放射能との)比較が、現在は「吸収線量」というICRPの考え方を根拠として行われている。このICRPの吸収線量概念は、細胞レベルの傷害をもたらす結果を厳密に評価してはいないのである。放射線による外部被曝と内部被曝との比較についても、細胞レベルでの影響が量的に全く異なる(註:内部被曝の線量が桁違いに大きい)可能性があるため、リスクを過小評価する結果を招くと考えられる。
質問⑦:自然放射線と比較してはならないと言っているようですが、ここでは何を勧告しているのですか?ホットパーティクルや吸収線量というコトバも分からないのですが?
矢ヶ崎:自然放射線の線源は、決して多くの放射性原子が集合して放射性微粒子になっている点線源ではありません。例えば、放射性カリウム原子は、自然状態では決して微粒子を構成せず、カリウム原子1万個を集めるとその中の1個だけが放射性原子なのです。放射性原子が同じ場所にかたまっていることは決してないのです。
これは、いわゆる人工放射性原子の状態とは全く異なります。原子炉でつくられる放射性原子や劣化ウラン弾でつくられる酸化物エアロゾールは、ほとんどが微粒子を形成しています。
従って、自然放射性原子(K40等)から放射される放射線は、他の自然放射性原子(K40等)から放出される放射線が打撃した同じ場所を、打撃するようなことは無いのです。
この場合の被曝状況は臓器全体で平均化したものとさほど変わりはないのです。ICRPで算出する方式によって推算が可能なのです。ところが人工の放射性核種はほとんどが集合体(微粒子)を形成し、この微粒子(点線源)から継続して密集した放射線が放出され、この微粒子の周囲には大変高い被曝領域(電離あるいは分子切断が密集している)状態が出現します。散漫な被曝を行う場合とは危険度が全く異なるのです。ICRPでは、吸収線量は臓器ごとの単位(あるいは全身)というマクロな単位で、その中に放射線が与えたエネルギーの量だけを計算し、それをその質量で割る(シーベルト単位で与えられる)ものです。繰り返しになりますが、ICRPでは局所(ベータ線の場合は半径1センチメートル程度の球内)のリスクは推定できない(無視する)のです。
この事情は、炭素14、海水中のウラン238、等々、あらゆる自然放射性原子に当てはまります。さらに宇宙から飛んでくるニュートリノ等の宇宙線は透過性が高く、物体とは非常に弱い相互作用をしますので、ガンマ線の場合同様、疎らな被曝を与え、相対的リスクは人工放射能より低いものです。
ホットパーティクルは高密度に電離される領域、あるいは周囲に高密度で被曝を与える放射性微粒子を言います。
6、本委員会は、最近の生物学、遺伝学、およびがん研究の分野での発見によって、ICRPのDNA細胞ターゲットモデルはリスク分析の信頼に足る根拠とはなりえず、さらにこのような放射線作用の物理学モデルは、被曝住民にかんする疫学的研究よりも優先させるべきではないと主張する。最近の研究結果は、細胞への衝撃から臨床的疾病へといたるメカニズムについては、まだわずかな解明しか進んでいないことを示唆している。本委員会は、被曝にかんする疫学的研究の根拠を考慮し、被曝による傷害という明白な証拠をもつ多くの実例が、根拠のない放射線作用の物理学モデルを基礎にしたICRPによって無視されてきたと指摘する。本委員会は、これらの研究を放射線リスク評価の根拠として復権させる。したがって、セラフィールドで観察された小児白血病集団の症例数とICRPモデルの予測値との間に生じた300倍という差は、このような被曝にともなう小児白血病のリスクのひとつの評価軸となる。こうして本委員会によってこの係数は、子どもたちを対象としたシーベルト表記の「実効線量」を算出する荷重係数の中に加えられ、特定タイプの内部被曝による傷害算定の中に組み入れられている。
質問⑧:「物理学モデル」と「疫学的研究」の違いについて書かれているようですが、どうして300倍もの差がでてしまったのですか?
矢ヶ崎:物理学モデルというのは、ICRPが採用している「吸収線量」定義に代表されます。被曝の具体性を無視して大きな臓器で平均化する方法です。このモデルは、質量が1kg以上の臓器ごとというマクロ的なスケールで、その臓器に「吸収された放射線エネルギー」だけで被曝を定義します。ここでは分子生物学的な、細胞単位のミクロな目で確認できるような被曝の具体的展開を一切捨て去った、平均化と単純化を行うのが特徴です。
1990年のICRP勧告では、「吸収線量はある一点で規定することができる言い方で定義されているが、しかし、この報告書では、特に断らない限りひとつの組織・臓器の平均線量を意味する」と、内部被曝を見ないことを露わな形で述べています。
これに対し、2007年勧告では、微分方程式を出し、一見ミクロな観点から吸収線量を定義し、内部被曝も線量として計測できる見方をしているように見せています。しかし、実態は上記した1990年定義を粉飾しただけなのです。
計測するサイズを表す概念として「質量素」という言葉を使用し、「微少」エネルギーを「微少」質量で割るという定義式を与え、ミクロに分割しているように錯覚を与えます。私が、何故「錯覚を与える」などと表現するかと言いますと、本来の数学的定義では、エネルギーはこの質量素に吸収される全エネルギーで無ければならないのです。ところが、“驚くことにICRP2007年勧告では、全エネルギーではなく”「平均エネルギー」という概念を、この定義式のエネルギーに使用しているのです。数学的表現ではミクロに見せかけているのですが、実質はあくまで「計測単位はマクロ量(臓器単位)」を陰湿にこっそりと主張して定義式前に述べている「臓器ごとに平均する」という言葉による定義と矛盾ないようにしているのです。
ここで言う物理学的モデルとは、物理学的モデル一般のことを言っているのではありません。被曝の具体性を一切捨象して平均化と単純化を行い、均一化されたエネルギーだけで被曝を見るICRPの見方を指しています。原発推進の世俗的支配をうけるというようなことが一切ない他の純粋物理学で、れっきとした客観的事象を数式化している物理学的モデルとは異なっているICRPの物理的モデルを指します。一般的に科学の分野では、個々の研究が具体的に展開していれば(具体性の無いものは科学とは言えないでしょう)、具体性を消去したり、複数の要因をひとつだけ取り出して、その応答を見たりする単純化や平均化は、物事の本質をえぐりだすのに有効な手段です。
これに対してICRPは、具体的に被曝を探究するという具体性を排除している上での単純化・平均化ですので、科学の手段ではなく、教条化・権威主義化の手段となっているのです。
放射線を作りだす商売をしていると、商売による現実的利益と放射線による犠牲者の両極が現れます。「何を重視してリスクモデルを作るか」が現実的に大きな社会的問題となります。ここでは、純粋科学には無いICRP特有の、被曝の物理的モデルを言っているのです。
このリスク評価は、アメリカの核兵器を残虐兵器と見せないために、枕崎台風を利用して、台風で洗い流された後で測定に入らせ、かろうじて土の中に残存していた放射性物質量を、はじめから「これしか無かったのだ」とさせた、犠牲者切り捨てのための科学的粉飾を皮切りにしています。原爆犠牲者のうちの、放射性降下物を体内に取り入れた内部被曝者を、被爆者から一切排除して(非被爆者として扱い)、これらの被爆者を初期放射線による「被爆者群」の参照群(被曝していない群)に仕立てたリスク評価と相まって、極端なリスクの過小評価を行っているのです。
ICRPモデルは、歴史的な長期間にわたって、世界の被曝を見る目を歪めてきました。米核戦略の犠牲者隠しに指導された政治の科学支配の典型的現れなのです。
このモデルの適用の仕方は、まずICRPの考え方ありきで、「ICRPによれば、そんな放射線被害が生じるはずがない」という、権威主義、教条主義的に現場の被害を切り捨てる、演繹的手法を特徴としてきました。福島事故の後、様々に現れている身体影響を、多くの医師が「「ICRPによれば、そんな放射線被害が生じるはずがない」として医療現場で切り捨てていることを聞いていますが、是非、現実に医の倫理を持って対応していただきたいものです。
これに対し、「現場に放射線の被害者がいる」という事実から出発する「事実を科学的な目で客観的にとらえる」ことが、そもそもの人権に基づいた「放射線防護」なのです。この「事実に基づいて被曝を明るみに出す」方法として適用した科学手法が帰納法であり、科学的手法としては疫学的方法なのです。
300倍というのは、疫学的方法で確認された現実とICRPにより導出されるリスク評価の差なのです。内部被曝の状態によっては1000倍ほどの差が考察できます。現実の被害に対してICRPモデルは「その300分の1」の被害しか予測しない過小評価の体系なのです。
この誤差の大きさは、ICRPの吸収線量評価のスケールを、例えば、微粒子周辺に形成されるベータ線による半径1センチメートルほどの球に、(臓器単位ではなく)計量単位を移すだけで、臓器単位で計測した場合の100倍から1000倍の高い線量を計測できることからも、比較的簡単に実証できます。
質問⑨:シーベルトは一般に使われるようになっていますが、先ほどの吸収線量とあわせて実効線量や荷重係数について説明してくれますか?
矢ヶ崎:用語の簡単な解説を以下に示します。
吸収線量:被曝の量を表します。:臓器あるいは全身に照射された放射線の量をエネルギーで表し、被曝した質量で割って、質量当たりのエネルギーに規格化したものが吸収線量です。吸収された放射線エネルギーをジュール単位で表し、臓器の質量をkgで表し、1kg当たりのエネルギーにしたものが1グレイ(Gy)です。1Gy =1J/kg
放射線加重係数:同じエネルギーの放射線でも、放射線の種類によって生物に与える危害の程度が違います。ガンマ線やX線の光子の放射線を基準として、ベータ線は1倍、アルファ線は20倍のエネルギーを持つとして表記しています。危険度を、エネルギーを何倍かにするという操作で表しているのです。線質係数とも呼ばれました。
等価線量:生物が受けるリスクを反映させる量を、線種だけを考慮して線量の概念で表したものです。放射線の種類による危険度(放射線加重係数)を吸収線量に掛けたものを等価線量と呼び、シーベルトSvで表す。単位はGyと同じです。1Sv =1J/kg
組織加重係数:臓器によって放射線に対する感受性が異なるといいます。全身が均等に照射されたと仮定して、臓器のリスクの感度すなわち相対的な損害比を組織加重係数と呼びます。
実効線量:吸収線量に放射線加重係数と組織加重係数を掛けて、実際に臓器ごとに現れるであろうリスクに比例する量を、線量で表したものです。単位は等価線量と同じシーベルト(Sv)で表されます。実効線量を低く評価すると、それから計算されるリスク評価も小さくなります。
7、本委員会は、細胞レベルにおける放射線作用モデルを考慮して、外部被曝と相当高い線量領域の中の特定範囲を除き、ICRPの「閾値なしの直線」モデルでは、増加する被曝にともなう生体組織の応答を表すことは出来ないと結論をくだす。ヒロシマの寿命調査研究からの外挿法では、高線量の急性被曝などこれに類似した被曝リスクを反映することが出来るだけである。本委員会は低線量被曝について発表された研究論文から考察して、低線量レベルでは放射線量に対する健康影響が高い比例対応として現れ、また誘発できる細胞修復と高い感受性段階の複製された細胞が存在するために、これらの低線量被曝の多くから2相的線量反応が見られるという結論をくだす。このような線量-応答関係は、疫学的なデータの評価を混乱させる可能性はあるが、本委員会は、疫学的調査研究の結果に見られる直線的応答関係の欠如をもって因果関係に反するという論拠に使用すべきではないと指摘しておく。
質問⑩:ICRPの「閾値なしの直線」モデルでは、細胞レベルの内部被曝は分からないと言っているのですね。もうすこし簡単に言うと、どういうことですか?また、「2相的」というのも分かりませんし、最後のところも分かりにくいですね。
矢ヶ崎:広島・長崎の被曝者のリスク評価は、外部被曝である初期放射線に瞬間的に被曝したことを基盤として行われています。内部被曝を一切無視したものです。広島・長崎の寿命調査などでは放射性降下物による内部被曝を完全に排除しています。被害の現れ方については、ICRPが認定したガン等に限定されています。内部被曝している被爆者を参照群として導いた、初期放射線による被曝者のリスク―線量関係(被害を過小評価している)を、そのまま低線量まで外挿しているのが、ICRPのやり方です。
高線量領域は放射線により生体組織分子が切断されるのが主として現れるリスク領域です。これに対し、「低線量」と称される領域は切断された遺伝子などを、生体が“生命活動として修復作業をするプロセスで生じるリスク”領域です。二つの領域のリスクの土台が明確に異なるのです。リスクの原因が異なる二つの領域を直線的に外挿するのは明瞭な誤りなのです。
内部被曝の場合、体内に入った点線源からは継続的に放射線が放出されています。細胞の複製は2重鎖を解いて複製を行いますが、この時放射線に対して感受性の高い(リスクの大きい)応答が生じます。これを考慮すれば、線量応答関係が2相的になるといわれます。より低線量の領域で比例係数が高く、線量の高い領域では比例係数が低いという二つの領域に分かれることです。高い感受性の相が低線量でヒットされれば、高い危険率を示すことによって、低線量領域でリスクが高くなるのが「2相的」反応といわれるものです。
この応答はDNAの修復過程あるいは増殖過程で現れる、外部からの刺激に脆弱な過程が現れます。そのタイミングで放射線が再び到達することは、内部被曝では必然性があると判断されます。このように理論的にも現れうることを、現行モデルの、単純比例するモデルから外れているといった理由で、否定するべきでないと考えられます。最近日本語訳された『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』では2相的応答が疫学調査から明瞭に示されています。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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