時空の制約を超えて、現在の我々をなお感動させて止まないものを古典というのなら、80年前「アジア太平洋戦争」最中に刊行された金子武蔵著「ヘーゲルの国家観」は、ヘーゲル研究書の古典中の古典といえるであろう。総力戦という当時の状況から、書名だけみるとウルトラ・ナショナリズムを鼓吹するものと錯覚されやすいが、書の内実はそういう時局的なものから見事に切断されている。戦後、西の京都学派が、西田・田辺の両巨頭はじめとして大なり小なり時局便乗と迎合の責任を問われたのとそれは対照的である。しかしたんなる象牙の塔への逃避的な学問的な立てこもりでは、こういう大部な作品は生まれないであろう。或る種の抵抗と覚悟の強力な意志あってこその業績ではなかろうか。
詳しくは別の機会に論じたいが、一点だけ「方法論」にかんする論述を紹介する。ヘーゲルの方法は弁証法と言われるものであるが、とかくそれは先験的構成とか汎論理主義Panlogismusとして理解され、若きマルクス含め青年ヘーゲル派からその観念性を厳しく批判された。しかし金子武蔵はヘーゲルの概念的方法のエッセンスは、不断の直観・表象と概念との相互媒介によるもので、概念の一方的な展開ではないとして、通常の学問的な営為から逸脱していないことをさりげなく述べる。現実の豊かな直観や表象を分析して構成契機を析出し、そのうち最も抽象的で普遍的な要素概念を起点として、直観的な全体を再構成するところに真なる認識が成立するとする。マルクスも資本論の準備ノート「経済学の方法」で、(ヘーゲル的な)概念的方法を人間が現実を精神的思想的に再生産し、わがものとする学問的に正しい方法としている。ただしヘーゲルは抽象的な概念(理念)から具体的な全体を再構成する歩みを、現実そのものの成立と看做した点(観念論的顚倒)は、厳しく批判している。
以上の点を念頭に置けば、「資本論」が商品を端緒として資本制生産様式の再構成をめざしていることと、ヘーゲルが自由意志を端緒として国家を頂点とする人倫的全体の再構成をめざしていることとは、見事に重なるのである。「だから私は、自分があの偉大な思想家の弟子であることを公然と認め、また価値理論に関する章のあちこちで、彼に固有な表現形式に媚を呈しさえした」(「資本論」第1巻第二版へのあとがき)とまでいうのである。金子武蔵は、青年ヘーゲル派のヘーゲル批判に安易に乗らず、青年ヘーゲル派的観点は青年ヘーゲルの思想的歩み―たとえば、キリスト教の既成性Positivität批判―に内包されており、その限界を乗り越えようとしたその後の思想的到達点との関係で理解されなければならないとしている。みだりに新奇さを求めず、また安易に解釈を時局に摺り合わせることなく、しかし現実感覚を保持してきわめてオーソドックスな学究的態度を貫き、記念碑的労作を仕上げた著者に敬意を表したいと思う。
記
1.テーマ:ヘーゲルの市民社会論
中央公論社「世界の名著」の「ヘーゲル・法の哲学」から
第二章 市民社会(§182~§256)を講読会形式で行ないます。今月は、§220からです。
★国内では数少ないヘーゲル「法(権利)の哲学」の専門家であり、法政大学で教鞭をとられた滝口清栄氏がチューターを務めます。
1.とき:2024年3月30日(土)午後1時半より(毎月の最終土曜日定例)
1.ところ:文京区立「本郷会館」Aルーム
――地下鉄丸ノ内線 本郷三丁目駅下車5分 文京区本郷2-21-7 Tel:3817-6618
1.参加費:500円
1.連絡先:野上俊明 E-mail:12nogami@gmail.com Tel:080-4082-7550
参加ご希望の方は、必ずご連絡ください。
※研究会終了後、近くの中華料理店で懇親会を持ちます。