【5月31日(土)】第26回「ヘーゲル研究会」のお知らせ

 ヘーゲル(1770―1831)は若き日に際会したフランス革命(1789)に絶大な影響を受けました。途中、ジャコバン独裁による恐怖政治などで革命に幻滅することもあったとしても、しかしのちのちまで、毎年バスチューユ牢獄が陥落した7月14日には祝杯を挙げるのを常としていたといいます。つまり革命の行き過ぎや未熟さに失望はしたものの、革命の掲げた「自由、平等、友愛 Liberté, égalité, fraternité」という理念を、近代国家創生のための基礎として認め、かつ当時のドイツ歴史的時代的条件に合わせて具体的な国家の制度設計にまで具体化した――その結晶が「法(権利)の哲学」だったのではないでしょうか。

 あくまで仮説的な問題設定にすぎませんが、フランス革命の理念「自由、平等、友愛」が、ヘーゲル哲学においてどのように換骨奪胎されていったのか――その作業を通じてヘーゲル哲学の概容が明らかになるのではないでしょうか。

 まず自由は、ストレートに受け継がれ、ヘーゲル哲学の中枢概念として発展させられたものであることに異論はないでしょう。世界史において貫通的であり、かつ歴史段階的に発展を遂げる概念。西欧近代における個人主義的・主観主義的な自由は、プロテスタンティズムがその成立に重要な枠割を果たし、その発展において一大画期を成すものであったとしています。かつヘーゲルは、モンテスキューなどの啓蒙思想家と同様、近代国家における国民形成のためには、国民(Volk)教育(教養)を不可欠とし、そのためにも言論の自由や(情報)公開原則を強調したのです。

 しかし個人主義的自由に基づく自由な経済活動は、やがて貧富の格差を拡大して社会内対立を激化させます。これを踏まえ、ヘーゲルは個の利益と全体のそれとを調整し一致させる国家を構想する。そこでは、社会的連帯の実体性に欠けている友愛に代わって、共同性(共同社会)という概念が押し出されます。「最高の共同性は、最高の自由である」(人倫の体系)というテーゼは、ヘーゲルの社会思想のエッセンスをよく表しています。ここでは詳しくは述べられませんが、ヘーゲルは一般的イメージからすれば、中央集権的一元論者とみられがちですが、むしろ多元的な社会構造をよしとしていました。また、今日の大衆社会化論にも通じることですが、ヘーゲルは近代社会の持つ欠点として、人間の原子論(アトム)化を挙げています。人間が共同体的きずなから解き放たれ先にあるアトム化、つまり個々人は砂のようにバラバラな無力な存在と化すことへのオルタナテイブとして、共同社会論――コミュニティ、コモンズ、アソシエーション――があるとみていいと思います。

 では最後に平等はどうでしょうか。民主主義の概念と同様、「法(権利)の哲学」では、直接的に登場することはほとんどありません。それだけヘーゲルの評価は低いとみていいのかどうか。市民的権利としての平等は、人間は法の下に平等であり、身分や財産に関わらず平等な権利と機会が与えられるべきという考え方です。これをヘーゲルは「抽象的な人格」としての平等を意味するとして―ヘーゲルにおいては抽象的であることは、事柄の一面性でしかない――、それ以上の追究を行なっていません。フランス革命においては平等や民主主義の概念を軸に、左派は左旋回を行なっていきます。平等が政治的のみならず、経済的平等をも求める方向へ向かい、究極的には民主主義が急進的直接民主主義的方向、つまり人民民主主義による人民の直接統治に向かう。ヘーゲルはこういう過激化を狂信主義(ファナティズム)として嫌悪しています。私的所有を自由意志の最初の実現形態と看做す「法(権利)の哲学」立場からいえば、その許容範囲での民主主義、つまりは自由民主主義が、あるべき形態となるのでしょう。

                  記

1.  テーマ:ヘーゲルの国家・市民社会論

中央公論社「世界の名著」の「ヘーゲル・法の哲学」から

第三章 国家(§257~§360)を講読会形式で行ないます。今回は§273からです。

★国内では数少ないヘーゲル「法(権利)の哲学」の専門家であり、法政大学などで教鞭をとられた滝口清栄氏がチューターを務めます。

1.  とき:2025年5月31日(土)午後1時半より

1.  ところ:文京区立「本郷会館」Aルーム

――地下鉄丸ノ内線 本郷三丁目駅下車5分 文京区本郷2-21-7 Tel:3817-6618

 1.参加費:500円

1.  連絡先:野上俊明 E-mail:12nogami@gmail.com Tel:080-4082-7550

参加ご希望の方は、必ずご連絡ください。

※研究会終了後、近くの中華料理店で懇親会を持ちます

                         以上