特定秘密保護法が成立・公布されてからの日本とその国民には、如何な変化があったのでしょうか。 私自身にとっては、時の政権が憲法に依って定められた権限を踰越(ゆえつ)して、国民に対してその権利を封じることの可能な所謂、弾圧立法の種類が増えただけのことでした。
そもそもこの国では、憲法を厳守して、自由と民主主義に基づく政治理念の下で国民の福利増大を図る政治は、望めぬまま時日が経過して来ました。 現憲法の改悪を図る政党政派が長年の間、政権にあり、これに国民が終始一貫して抵抗して来た国は、先進諸国では希な存在と言えましょう。
試みに、六法全書を開いてみれば、特定秘密保護法の他に、国民の権利侵害に繋がる恐れのある法令が相当数にあることは自明のことです。
例えば、警察官職務執行法(昭和二十三年七月十二日法律第百三十六号)です。この法律は、その第一条第2項で、「この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最小の限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない。」とあり、法律自体が濫用の恐れがあることを認めているのです。
同じく、軽犯罪法(昭和二十三年五月一日法律第三十九号)も、第四条 で、「この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」とあり、これまた、法律自体が、国民の権利を不当に侵害すること、と、濫用の恐れがあることを認めているのです。
この種の法律以外にも、地方自治体が制定した条例にも、同種のものがあります。 例えば、東京都迷惑防止条例(正式には、公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(昭和三七年一〇月一一日 条例第一〇三号)がそれです。
同条例の第五条の二 第3項では、「本条の規定の適用に当たつては、都民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」とあり、条例自体が、都民の権利を不当に侵害すること、と、本来の目的を逸脱して他の目的のために濫用する恐れがあることを認めています。
同じく、不当な客引行為等の禁止について定めた第七条でも、その第5項では、「本条の規定の適用に当たつては、都民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」とあります。
東京都公安条例(正式には、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例 昭和二五年七月三日 条例第四四号)に至っては、第六条と第七条で、その不当な解釈の禁止規定が置かれています。 即ち、「第六条 この条例の各規定は、第一条に定める集会、集団行進又は集団示威運動以外に集会を行う権利を禁止し、若しくは制限し、又は集会、政治運動を監督し若しくはプラカード、出版物その他の文書図画を検閲する権限を公安委員会、警察職員又はその他の都吏員、区、市、町、村の吏員若しくは職員に与えるものと解釈してはならない。」
第七条 この条例の各規定は、公務員の選挙に関する法律に矛盾し、又は選挙運動中における政治集会若しくは演説の事前の届出を必要ならしめるものと解釈してはならない。」と。
更に、各行政部門に関わる法令にも、その目的を超えて国民の権利侵害に繋がる法令が多数存在します。 例えば、住民基本台帳法(昭和四十二年七月二十五日法律第八十一号)です。 この法律には、罰則があり、国民(市民)が、転入届や転居届、それに転出届等に関して、虚偽の届をしたり、届をしない者には、五万円以下の過料が科せられると定められているのです。
即ち、「第五十三条 第二十二条から第二十四条まで、第二十五条又は第三十条の四十六から第三十条の四十八までの規定による届出に関し虚偽の届出(第二十八条から第三十条までの規定による付記を含む。)をした者は、他の法令の規定により刑を科すべき場合を除き、五万円以下の過料に処する。
2 正当な理由がなくて第二十二条から第二十四条まで、第二十五条又は第三十条の四十六から第三十条の四十八までの規定による届出をしない者は、五万円以下の過料に処する。」と。 過料とは、行政罰ですが、罰則には変わりありません。
長々と引用した個所もありますが、要するに、国民の権利を制限し、何かの運動を弾圧しようと時の政権が欲した場合には、如何様にも適用可能な種類と範疇で法令は揃えてあるのです。 こうして一瞥して観ますと、憲法に定められた国民の権利は、風前の灯の如く観えます。
それを遮り、一定の範囲で防衛して来たのは、国民の戦いがあったからです。
国民の戦い、とは、日本国憲法が、時の政権や政治家、それに官僚等にではなく、他ならぬ国民に対して課した「信託」です。 国民主権の下で、国民に信託されたものは、己が自身で制定した憲法に定める、己が自身の権利なのです。
即ち、「第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と。
「権利の生涯とは闘争なのだ ― 民族の、国家権力の、階級の、そして個人の闘争である。」『権利のための闘争(Der Kampf ums Recht)』ルドルフ・フォン・イェーリング(Rudolf von Jhering)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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