『「大正」を読み直す』 藤原書店 2016年5月10日刊
「「大正」を読み直すことは、「昭和」を、戦前の「昭和」だけではない、戦後の「昭和」をも読み直すことになるだろう」と、本書・序章の最後に私は書いた。大正前夜の「大逆事件」、やがてくる大正の政治社会に国家権力が先手を打った国家的テロルというべき「大逆事件」について書きながら、私は社会主義とその政党がほとんど溶解してしまった21世紀日本の政治的現実との間に重く暗い線を引かざるをえなかった。そしてまた河上における『貧乏物語』の破棄と『第二貧乏物語』の成立をたどりながら、現代日本における〈貧困論〉がまさしく貧困であることの理由を考えざるをえなかった。
私が読み始め、読みながら確認していった「大正」とは、「戦後民主主義の日本社会への定着」をいうものが、その前提として見出す「大正デモクラシー」としての「大正」ではない。もしわれわれの民主主義についていうならば、〈民〉をただ迎合し、喝采し、投票する〈大衆〉としてしか見ない〈民主主義〉、〈民の力〉を本質的に排除した〈議会制民主主義〉への道は、すでに「大正デモクラシー」そのものが辿っていった道ではなかったのか。私は「大正」を読みながらそのように考えるようになった。
昭和8年生まれの私は、昭和前期の全体主義を幼少年期の心身的記憶の形で心に留めている。私はこの記憶をわずかな、しかし確かな拠り所にして、昭和の全体主義を構成する諸問題の思想史的な解読作業を行ってきた。それは『「アジア」はどう語られてきたか』(藤原書店、2003)であり、『日本ナショナリズムの解読』(白澤社、2007)であり、『「近代の超克」とは何か』(青土社、2008)などなどである。だが本書『大正とは何であったか』にまとめられた「大正」を読む作業は、上記の著書などにまとめられた私の思想史的作業とは性質を異にしている。「大正」を読みながら、私は大正が作った昭和の全体主義の中に生み落とされたのではないかと思うようになった。事実、明治末年に生まれ、大正に成人し、やがて世帯をもち、家業をも成していった両親から、昭和の工業都市川崎に生まれたのである。このように見ることによって「大正」も「昭和」も私においてその意味を変えた。「大正」を読むことは、「昭和」を読み直すこととなった。「昭和」はそれ自身をとらえ直し、読み直すことを可能にする「大正」という外部的視点をもったのである。私がその中に生み落とされた「昭和」の全体主義は、これを生み落とした「大正」から見ることによって、記憶の中の心象を脱して解読可能な歴史的構成体になったのである。[本書「あとがき」より]
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2016.04.24より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/58909269.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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