和歌のジャンルといえば、まずは相聞。そして挽歌。他には叙情・叙景歌。その他は傍流、釣りでいう外道の類。
紀貫之も、古今和歌集の序でこう言っている。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。…生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
「猛き武士の心をも慰むるは歌なり」に同意する。これこそが、やまとうたの本流であり本領ではないか。ところがその正反対もあるのだ。戦意昂揚歌というトンデモ・ジャンル。今、国会でそれが問題となっている。
敷島の 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける
これは日露戦争の際に、ときの天皇(睦仁)が詠んだ歌とのこと。「ことある時」とは、大国ロシアとの戦争。臣なる民の命をかけた戦闘を、安全なところから、「大和心のをゝしさ」と、上から目線で督戦している歌である。
この戦意昂揚歌と対をなすのが、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の厭戦詩である。晶子は、旅順の弟の命を案じて、天皇にプロテストしている。
「すめらみことは、戰ひにおほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獸の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ。」
晶子の怨嗟の詩のとおり、天皇は宮中で「大和心のをゝしさ」を嘉していた。いうまでもなく、「大和心のをゝしさ」とは、多くの兵士の死を意味する。
安倍晋三が、この歌を施政方針演説で引用した真意はどこにあるのだろうか。天皇・戦争・国家主義・帝国主義・国民統合のイメージは、普通なら避けたいところだ。しかし、彼が敢えてこんな歌を引用したのは、自分のコアな支持者への共感を意識してのことなのだろう。それは、不安と危機感を掻きたて、かつての「強い日本」への郷愁をアピールすることと重なる。
日露戦争は、朝鮮の覇権を争った帝国主義戦争だった。これに勝った日本は朝鮮の併合に至る。現在の日韓問題は日本が朝鮮を植民地化したことに起因する。創氏改名も、日本軍「慰安婦」問題も、徴用工問題も、在日差別も…、すべてが日露戦争から始まると言ってまちがいではない。
敢えて今、その日露戦争についての天皇の督戦歌。当然に韓国の民衆の感情を逆撫でするだろうし、日本の平和勢力をも刺激する。しかし、これであればこそ、右翼は大歓迎なのだ。たとえば産経。
「天皇陛下のもと、苦難乗り越えた日本人の強さ強調 平成最後の施政方針演説で首相」という見出しの記事。
「首相は、明治天皇の御製を引用した。大和魂は平時には見えにくくても、有事にはおのずと立ち現れる。大日本帝国憲法下の明治天皇と、現行憲法における象徴天皇で制度は異なるが、首相は近代以降、日本人が天皇陛下の下で結束し、幾多の試練を乗り越えてきた歴史を強調した。」
戦後の日本の言論空間は、少なくとも矜持のある新聞には、こんな論調を許して来なかったのではないか。恐るべし産経。恐るべし安倍晋三というしかない。
こんな人物に、憲法を取り扱わせてはならない。一日も早く安倍退陣の実現を。第198通常国会冒頭の改めての決意である。
(2019年1月29日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.1.29より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=11996
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion8341:190130〕