子供に付き合わされて訳のよくわからないがやたらと騒々しい公演に行くはめになった。それは大きな会場に10代後半から20代後半の若い人たちがひしめいていた。公演が始まったらみんな立って大声援の嵐である。冷房こそ効いていたが、かれらの熱気にはかなわない。こちらもついワル乗りして手を振り、拳を上げ、頭上で大拍手をしてみた。しかし元々興味の薄いもので、しかもお年寄りだから1時間ほどで電池切れになってしまった。椅子に座って改めて会場を見渡してみる。やっぱりみんな若者だらけである。なかには感激のあまり涙を流している人もいる。感激などと縁がなくなって久しいわが身からすると羨ましい。
しかし待てよ、とここで思う。この若者の群集90%以上は18歳以上と見受けられるので、来年の参議院選挙の投票権者となる。この人たちはきっとこれだけの感激と興奮をもって投票所には行かないだろうし、そもそも投票すら行かない人も少なくないのかも知れない。
政治と興奮を結び付けると扇動に向かう恐れもあるから、ちょいと興奮は横に置きましょう。情報を捉える耳と冷静に考える頭があれば十分なのですが、長い社蓄人生を過ごしているわが身に、それはさほど期待できそうにない。若い人たちにはピュアな心で考えて判断してくださいとしかいえない。
だが、この公演に参加して良かったと、いま心から感じている。もうずっと前に読んだからはっきりと覚えていないが、高橋和己の「悲の器」に「・・・にもかかわらず私がいるべきところはここではないと思うのである。」とかいう一節があったことを思い出す。まあ状況は全然違うけど、これだ!これですよ!
若いときのノンポリ(?)が、このたび歴史の傍観者でいることを止めることにしました。そしていま、汗をだらだらかきながら「戦争法案反対!」「若者を戦場に送るな!」と本気で拳を振り上げて叫んで、警察の皆さんに保護されながらでも、みんなで歩いてる。やっぱりこちらの方が似合っているみたい。