11月28日の各紙朝刊は、菅首相が「支持率1%になっても辞めない」と語った、と伝えた。それほど大きな扱いではないが、読者には「へえ、そこまで覚悟がおありですか」と思わせるような記事だ。菅さんのこの発言は鳩山前首相と二人だけで会食した時のものだと、記事にはある。しかし記者団がこの発言をだれから聞いたのか、だれに取材したのかは、どの新聞も触れていない。
『毎日』、『読売』、『東京』などは、首相が「『支持率1%になっても辞めない』と述べ、政権維持に向け意欲を強調した」とまったく同一の文章で断定的に伝えている。『朝日』は「『内閣支持率が1%になっても辞めない』と語ったという」と、伝聞の形になっているが、情報源にはやはり触れていない。
首相と前首相の二人だけで会食した席でのことだから、記者が首相の発言をその場で見聞きしたように伝えるのは、常識で考えておかしい。それに、二人だけの話の内容を伝えるのだから、情報源は二人のうちのいずれかに決まっているわけで、それを伏せて報道することに意味があるとも思えない。なぜ(おそらくこの場合は)鳩山さんが情報を提供したことを読者に伝えようとしないのか、説明がつかない。
菅さんの発言が伝えられるや、野党からも党内からも「1%にまで支持率が下がっても辞めないというのはおかしい」と、批判の声があがった。それを受けてであろう、鳩山さんは会食の翌日(28日)、茨城県での講演で、辞めないという話は「首相が言ったのではなく、(首相の)友達が1%になっても辞めないでくれと激励した。間違って報道されている」と述べた、と報じられた(『毎日』11月29日朝刊)。「1%発言」が首相のものか、首相の友達のものかでは、その意味するところは全く違ってくる。鳩山さんの言うとおりだとすれば、各紙の報道は大誤報になる。
最初の報道は情報提供者がだれであるかに触れていないから、ニュースの内容については報道したメディア自身が責任を負わねばならない。「誤報」を情報提供者のせいにするわけにはいかない。しかも、最初のニュースの情報源と思われる鳩山さんから報道が「間違っている」と公の場で指摘されたのだから、報道した新聞は何らかの反論なり釈明をしなければならないだろう。しかしその後、1週間近くたっても、新聞は音なしの構えなのだ。こんな新聞の姿勢はおかしいだけではなく、読者に対して無責任ではないだろうか。
『毎日』のコラム「近聞遠見」(12月4日朝刊)のなかで、岩見隆夫記者は「まさか密談が表に出ると思っていないワキの甘い菅側は、あわてて鳩山に発言修正を求めたのではないか」と推測している。つまり首相の「1%発言」は本当と見なしているようなのだ。岩見記者はさらに「現首相と前首相のやりとりがこんな形で扱われると、政治家の言葉に対する信頼がはなはだしく損なわれる。友達が本当なら、菅側はいまからでも氏名を公表したほうがいい」と書いている。
岩見記者のコラムは政治家の言葉の「軽さ」を嘆いているのだが、新聞の政治報道の「軽さ」も問題ではないか。政治的にインパクトの大きい情報を伝えるのに、だれが考えても自明とわかる情報源を読者に伝える努力をまったくしていない。その情報源に報道が間違っていると指摘されて、それに反論も釈明もしない。自分たちの仕事に多少とも誇りがあれば、これほど単純な内容の報道を「間違っている」と政治家に指摘されて、黙って引き下がっていることが理解できない。
そして何よりも、「いったい本当のところはどうなんだ」と疑問を生じたに違いない読者に対して、事情をきちんと説明する責任が新聞にはあるはずだ。その説明をしないと、こんなことで新聞は誤報をするのか、と思われてしまう。ただでさえ危うい新聞への信頼がますます揺らぐことになりかねない。政治家の言葉の「軽さ」に劣らず、メディアの報道の「軽さ」も深刻であることを、報道現場の人たちにも気づいてもらわねばならない。
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