おしつけないで!6.30 リバティ・デモ 報告

東京「君が代」裁判・4次訴訟原告の先生方を励ますために、ご参集いただいた皆様に感謝申しあげます。限られた時間ですので、お話しできることも限られたものになることをご容赦ください。

私たちの裁判での主張は、日の丸の否定でも、君が代の無価値でもありません。
私たちの主張の骨格は、
★「国旗・国歌」にどのような考えを持とうとも自由ではありせんか
★「国を愛する」気持ちをおしつけることなどできませんよね
★教育の場には自由がなくてはならない。失われた自由を学校に取り戻したい
というものなのです。

その根拠は、近代憲法の典型である日本国憲法がその根本としている「個人主義」と「自由主義」にあります。個人主義とは、個人の尊厳を憲法上の価値の根源とする考え方です。国家ではなく、社会でもなく、個性をもった一人ひとりの個人こそが最も大切だという考え方です。自由主義とは、その大切な個人の尊厳に敵対する危険な存在として国家を把握し、国家権力が暴走することがないよう、厳格に制約しなければならないとする考え方です。

このような考え方を徹底してきたのが、アメリカの司法です。とりわけ、連邦最高裁の判例は厳格にこの考え方を貫いてきました。そのうち、国旗・国歌に関わるいくつかをご紹介します。

▼1940年 ゴビティス事件・連邦最高裁判決
エホバの証人の信者であるゴビティス家の子供たちは、公立学校の国旗宣誓敬礼の強制拒否して退学処分となり、これを違憲と争いましたが、連邦最高裁で敗れました。違憲とした裁判官はわずか1名。8名が合憲としました。多数派の意見は、個人の尊厳よりも国家のまとまりが大切だとしたのです。

▽1943年 バーネット事件・連邦最高裁判決
ゴビティス判決は、わずか3年で、劇的に逆転します。それが、今に至るまでのリーディング・ケースとなっているバーネット判決です。事案はゴビティス事件と同じく、エホバの証人の信者の国旗宣誓敬礼拒否による退学処分の合違憲判断です。6対3で違憲の判断は今日まで維持された判例法となっています。

▽1969年 ティンカー事件・連邦最高裁判決
ヴェトナム戦争反対の黒い腕章をつけて登校した生徒に対する停学処分の合違憲判断が争われて生徒側が勝訴した事件です。
「生徒・教師が憲法上の権利を校門で捨てるとの主張はできない」「(腕章着用)は、静かで受動的な表現」「われわれの憲法は、われわれが混乱のリスクを引き受けなければならないと語っている」などという理由が述べられています。

また、一連の国旗焼却刑事事件の無罪判決があります。
▽1969年 ストリート事件(無罪)
▽1989年 ジョンソン事件(無罪)
▽1989年 アイクマン事件(無罪)

アメリカ国民には、星条旗を焼却する「表現の自由」の保障があります。
アメリカ合衆国は、さまざまな人種・民族の集合体ですから、強固なナショナリズムの統合作用なくして国民の一体感形成は困難だという事情がありねます。当然に、国旗や国歌についての国民の思い入れが強いのですが、それだけに、国家に対する抵抗思想の表現として、国旗(星条旗)を焼却する事件が絶えません。合衆国は1968年に国旗を「切断、毀棄、汚損、踏みにじる行為」を処罰対象とする国旗冒涜処罰法を制定しました。だからといって、国旗焼却事件がなくなるはずはなく、ベトナム反戦運動において国旗焼却が続発し、合衆国全土の2州を除く各州において国旗焼却を処罰する州法が制定されました。その法の適用において、いくつかの連邦最高裁判決が国論を二分する論争を引きおこしたのです。

著名な事件としてあげられるものは、ストリート事件(1969年)、ジョンソン事件(1989年)、そしてアイクマン事件(同年)。いずれも被告人の名をとった刑事事件であって、どれもが無罪になっています。なお、いずれも国旗焼却が起訴事実ですが、ストリート事件はニューヨーク州法違反、ジョンソン事件はテキサス州法違反、そしてアイクマン事件だけが連邦法(「国旗保護法」)違反です。

連邦法は、68年「国旗冒涜処罰」法では足りないとして、89年「国旗保護」法では、アメリカ国旗を「毀損し、汚損し、冒涜し、焼却し、床や地面におき、踏みつける」行為までを構成要件に取り入れました。しかし、アイクマンはこの立法を知りつつ、敢えて、国会議事堂前の階段で星条旗に火を付け、そして、無罪の判決を獲得したのです。

アイクマン事件判決の一節です。
「国旗冒涜が多くの者をひどく不愉快にさせるものであることを、われわれは知っている。しかし、政府は、社会が不愉快だとかまたは賛同できないとか思うだけで、ある考えの表現を禁止することはできない」「国旗冒涜を処罰することは、国旗を尊重させている自由、そして尊重に値するようにさせているまさにその自由それ自体を弱めることになる」
なんと含蓄に富む言葉ではありませんか。

その他の州レベルでの判決です。
▽1965年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」
▽1977年 マサチューセッツ州最高裁
「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」
▽1977年 ニューヨーク連邦地裁
「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」

自由の到達点において、わが国が国際基準に比較していかに遅れているか。君が代不起立がいかにささやかな、自己防衛行為でしかないか、お分かりいたたけるのではないでしょうか。
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本日の「おしつけないで!6.30 リバティ・デモ」は、予定のとおり、にぎやかに楽しくおこなれた。参加者数は、主催者発表で80名。但し、出発前集会参加数確認は75名。「デモだけに参加した者が5人はいたと思われる」とのことでの、総員80名とのこと。
(2018年6月30日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.6.30より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=10635

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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