お盆休みも終り秋の気配の中再稼働反対行動は続く

2012年8月27日 連帯・共同ニュース第283号

■  消費増税法案の成立をめぐる与野党《民主党と自民党・公明党》の不透明で理不尽な行動は国会を混乱に陥れている。当然のことである。政治はどこへ行くのか分からず、一種の病というべき政党間抗争に落ち込んでいる。これらのいうならコップの中の嵐に似た動きは政党や政治家たちがビジョンを喪失している結果である。ビジョンや構想という政治の根幹にあるものの喪失であり、やむ得ないものとして見ればビジョンや構想が描きにくい歴史の現在に直面しているということになるのだろう。視界が閉ざされて身近なところの抗争に追いつめられるのは政治だけではなく、どこでもあることであり、国会を舞台にした政治はそれを象徴しているといえるのである。僕らもまた現在から未来のビジョンや構想をもつ困難性に直面している点ではあまり変わらないのであり、かろうじてその自覚にあるかどうかくらいの違いである。他人事ではないことを感受しているのだ。首相官邸前から霞ヶ関一帯にひろがりつつある、脱原発―再稼働反対行動に参加する人たちが行動する中で自問自答しているのもこのことである。行動を通して視界を破ろうとする動きに時代は見えているのであり、破ることの困難性を感受しているのだ。

■  再稼働反対というシンプルな表現になるのは政治的表現が集中点を見出す必然であるが、背後に表現ならざる表現というべき現状に対する不安や不満の意識がある。閉塞的な危機感や日常に浸透してきている不安感である。単純化された政治的スローガンの背後には現在の社会の意識が個人の意志と言う媒介を通して渦巻いているのであり、その混沌とした意識が在るのだ。同時にこれを政治的ビジョンや構想にするという欲求もあるのだ。脱原発や再稼働反対の表現には戦後の大量生産―大量消費という高度成長の時代の社会の転換がイメージとして内包されている。高成長時代という戦後社会の転換がイメージされているのであり、脱原発(それへの過程としての再稼働反対)には無限の高成長という戦後社会のビジョンを換えていくという欲求があり、その言葉は明瞭なものに向かって日々脱皮している。行動の中で深化しているのだ。また、国会を舞台とする政治《国民的意思決定の制度》を形式から実体的なものへ換えようとする欲求(意識や意思)がある。国民の自己決定という意志が反映されることを追求しているのである。

■   テント前ひろばの保持と毎週金曜日の行動を二つの軸にしながら、現在の政治に挑み続けよう。8月31日(金)(18時~20時)にも、テントにも参加されんことを! (文責 三上治)