お粗末だった「ビキニ環礁世界遺産」報道  -肝心なことを書かない各紙-

著者: 岩垂 弘 いわだれひろし : ジャーナリスト・元朝日新聞記者
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 マスコミ界には「8月ジャーナリズム」という用語がある。いわば業界用語の一つだが、毎年、8月になると、新聞やテレビなどマスメディアが競って「戦争特集」を組み、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴えることから生まれた用語だ。8月は、多くの日本人にとって広島原爆(6日)、長崎原爆(9日)、敗戦(15日)を思い起こさせる月であり、マスメディアとしても、そうした日本人の習性に対応してきたというわけである。
 今夏も、8月に入ると、マスメディアによる戦争や核に関する報道が連日のように行われている。なかには、積極的な報道姿勢を感じさせる力作もあるが、突っ込みが浅い、お粗末な報道も目につく。その一例を書く。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は8月1日、太平洋・マーシャル諸島の「ビキニ環礁」を世界遺産(文化遺産)に登録したと発表した。ブラジルの首都ブラジリアで開かれていた世界遺産委員会で7月31日に決まったもので、同委員会は「ビキニ環礁は、核実験の威力を伝えるうえで極めて重要な証拠」と指摘したうえで、「環礁は、人類が核の時代に入ったことを象徴している」と、登録の理由を説明している。

 このニュースは、各紙の8月2日付朝刊あるいは同日付夕刊で報じられた。朝日はパリ発特派員電で朝刊一面2段扱い。読売はパリ支局発の記事で朝刊一面4段扱い。毎日はリオデジャネイロ発共同電を使い朝刊国際面で3段扱い。日経はやはりリオデジャネイロ発共同電を使い夕刊第二社会面に3段。東京もリオデジャネイロ発共同電を使い夕刊一面で3段扱いとした。
 各紙とも、その記事の中で、ビキニ環礁周辺で米国が1949年から58年にかけて67回の核実験を行ったこと、54年3月の水爆実験では、近くで操業していた日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗組員が被曝したことを伝えていた。朝日と東京は、関連記事として、それぞれ社会面に元福竜丸乗組員や被爆者の談話を掲載している。

 これらの記事に目を通して、私は大いに不満だった。なぜなら、肝心のことが書かれていなかったからだ。

 まず、世界遺産委員会がビキニ環礁を世界遺産に登録する理由に「核実験の威力を伝えるうえで極めて重要な証拠」を挙げているのだから、報道機関としては、ビキニ環礁で行われた核実験の威力がいかに巨大ですさまじいものであったかを詳細に伝えた方が読者により親切な報道になったのでは、と思った。
 ビキニ環礁で行われた米国の核実験のうち最大のものは、54年3月1日に行われた水爆実験「ブラボー」とされる。この時、実験に使われた水爆の爆発威力は15メガトンとされ、広島型原爆の約1000倍の威力だった。静岡県焼津港所属の第五福竜丸が遭遇したのもこのブラボー実験で、実験地から東へ160キロも離れた洋上にいた福竜丸は実験によって生じた放射性降下物「死の灰」を浴び、乗組員23人が急性放射能症になった。そのうちの1人、無線長の久保山愛吉は半年後に死亡する。水爆による世界で初めての犠牲者だった。久保山さんの死は世界中に衝撃を与えた。
 私など、「ビキニ環礁」と聞くと、反射的に久保山さんの死を思い浮かべるほどだ。各紙の「ビキニ環礁が世界遺産に」という報道が、第五福竜丸の被曝に言及しながら久保山さんの死に触れないのはあまりにもそっけない報道ではなかったか。触れていれば、ビキニ環礁が人類ににとって画期的な「負の遺産」であることを如実に伝える記事となったのではないか。
 
 次いで不満だったのは、各紙の記事が、第五福竜丸の被曝をきっかけに日本で国民的な規模の原水爆禁止運動が盛り上がり、それがやがて世界的な核兵器廃絶運動を生みだしていった事実に一言も触れていなかったことである。
 第五福竜丸の被曝直後、水爆の恐ろしさにおののいた東京・杉並区の主婦たちによって始められた原水爆禁止署名は、瞬く間に全国に波及し、わずか1年余で署名数は3200万を超えた。こうした高揚を背景に、55年8月には、広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれた。これには、3国際組織、14カ国から52人の海外代表と国内から約5000人が参加した。この世界大会は、「原水爆反対」の世論を形成する上で大きな役割を果たしたといってよい。
 第五福竜丸の被曝によって、日本国民は初めて原水爆の恐ろしさに目覚めた。その9年前に日本国民は広島原爆、長崎原爆による核被害を経験していたにもかかわらず、国民の目は、広島・長崎の核被害に向かうことはなかった。つまり、9年もの間、日本国民の意識に「核」が登場することはなかったのである。ビキニ環礁における核実験によって、日本国民は初めて核爆弾がもたらした未曾有の被害を認識するに至ったのだった。

 ビキニ環礁における核実験によって福竜丸が被曝したことを報ずるなら、「ラッセル・アインシュタイン宣言」にも触れてほしかったと思う。「ラッセル・アインシュタイン宣言」とは、第五福竜丸の被曝に衝撃を受けた、哲学者のバートランド・ラッセル、物理学者のアルバート・アインシュタイン、物理学者の湯川秀樹ら世界の著名人11人が共同で55年7月に発した声明で、「将来の戦争においては、核兵器が必ず用いられるべきこと、しかもかかる兵器が人類の存続を脅かすものであることに鑑み、われわれは世界各国政府に対し、彼等の目的は世界戦争によっては遂げられないということを、彼等が自覚し、かつ公に確認することを強く勧告する。われわれは、各国間に紛争のある総ての事項の解決に当たっては、平和的手段を見出すべきであるということを彼等に対し強く勧告する」と述べていた。
 この宣言は「パグウォッシュ会議」の発足という形で実を結ぶ。これは核軍縮を目指す科学者の国際的な集まりで、1957年にカナダのパグウォッシュで第1回会議が開かれた。その後も会議は続けられ、1995年にはノーベル平和賞を受賞した。
 
 要するに、ビキニ環礁における核実験は、国際的な反響を巻き起こし、世界的な規模の核兵器廃絶運動を生みだしたのだった。そして、それは、核軍縮を求める世界的な機運を生み出し、今や、国際政治を動かすまでになっている。こうしたことに各紙の記事が触れていたら、ビキニ環礁が世界遺産に登録されることの意義が一段と読者に深く理解されたのではないか。記事にも広がりと深みが増したのではないか。私は、そう思わずにはいられなかった。

 第五福竜丸の被災事件は56年前のことだ。だから、今の記者諸君やデスク諸氏にはこの事件や、この事件が世界や日本にもたらした波紋について記憶がないかもしれない。が、過去の新聞をひもとけばすぐ出てくる歴史的事実である。記者諸君やデスク諸氏には、少なくとも戦後史を勉強してほしいと願わずにはいられない。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/ 
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