かんたんには折れない気概 ―片桐幸雄『左遷を楽しむ』(社会評論社刊)を読んで

『スラッファの謎を楽しむ』の片桐幸雄がもう一冊の「楽しむ」本を出した。『左遷を楽しむ』というのだから、多くの人にとって穏やかならざる主題であるが、著者は、1年と半月におよぶ高松での「左遷」生活と、左遷前と左遷後(の形式的に本社に呼びもどされてから)の「仕事のない状態」(簡単にいえば高級な「窓際」あつかい)の1年9ヶ月近くを、ほんとうに「楽しんだのかもしれない」と思わせるよう筆致でたんたんと綴っている。

わたしにとっては第4章「読み書きを楽しむ」がいちばんおもしろく、かつ声を出して笑ってしまう個所であったが、どこがおもしろいかは、もちろん人によってまちまちであろう。わたしにはよく分からないが、公務員でなくても、官僚組織化のきつい職場にいる人にとっては、思わず「そうだ」と声を挙げたくなるような個所がたくさんありそうだ。

「左遷を楽しむ」という考えは、左遷でなくても、げんざい不遇と感じているひとにとって、おおいに力づけになるのではないだろうか。それも「雌伏して時を待つ」型の硬い決意ではなく、かといって「時が来る」のを拒絶するのでもない。楠木正成の詩の最後に「若し時に遭わざれば即ち独り其の身を善くして天命を楽しむ」とあるそうだが(本書、pp.184-188)、いたずらに不遇をかこつのでなく、われわれも気持ちの持ちようで、悠々と天命を楽しむことも可能かもしれないと思わせる類の「力づけ」が本書にはある。

組織の中にいれば、とうぜん葛藤や軋轢がある。左遷とまではいかなくても、飛ばされては困るという気持ちはだれにでもある。もちろんだからといって、長いものには巻かれていれば良いわけではない。いま不遇の身でなくても、そういった立場に落とされるかもしれない危惧は、だれにでもある。それでも、この本を一冊読んでおけば、かんたんには折れないぞといった気概をもつことができるかもしれない。この本の本当の価値は、そういった人たちに読まれることだろう。もし著者のように「左遷を楽しむ」人たちが増えてくれば、権力を笠に着て脅しで権威を保とうという人たちにとっては、やりにくい社会になるだろう。

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