きのうは、沖縄の「慰霊の日」、4年前のあの日
2016年6月23日、平和の礎、こんな光景があちこちで見られた
あの日、私たちが乗った那覇の県庁前から出るシャトルバスは、だいぶ早めだったので、空席もあった。2016年6月23日は、摩文仁の丘の真夏の日差しも広がる海もまぶしかった。私は二度目の平和の礎だったが、追悼式に参列するのは初めてだった。会場に入るのに、ボディチェックのゲートを通る。テント内の席は早めに陣取ったのだが、なにせ演壇には遠い。前の方は、県内外の要人や遺族会の方々のために、確保されていたのである。元気なころの翁長知事の声は聞こえたが、遠くて、かろうじて頭だけが見えるだけだった。安倍首相の挨拶は、まるで判で押したようで、印象に残らない。
追悼式のあとは、平和公園内のさまざまな慰霊碑を回り、第32軍の牛島満司令官らが追い詰められ、自決したという高台まで登ってみた。見下ろせば鬱蒼とした崖が海にまでなだれ、多くの犠牲者の遺骨が、いまだ放置されているという。
この、最後の司令部跡のわずかな敷地に「黎明の塔」という旧陸軍の顕彰碑があり、毎年6月23日未明には、地元の陸上自衛隊第15旅団の幹部たちが参り、批判を浴びている。今年も30人ほどが制服で参拝したが、あくまでも個人的な参拝であって往復の交通費も花束も私費であったとのことである(『沖縄タイムズ』2020年6月24日)。閣僚や議員の靖国神社参拝と同じような構図なのだろう。
2020年6月23日未明、「黎明の塔」前の自衛隊員たち
例年は5000人規模の追悼式だが、今年は、200人規模に縮小、主催者発表によれば161人の参加者で行われ、テント内では、距離を置いたイスに、ポツンポツンと参加者が座っている映像が流れた。いつもは罵声を浴びせられる安倍首相は、ビデオメッセージでの挨拶となり、会場に行かなくていい口実が出来てほっとしているかもしれない。
それにしても、イージスアショア導入を停止をするならば、地元の建設自体反対の民意を押し切って、欠陥だらけの工事を進める政府は、直ちに辺野古新規市建設を中止すべきではないのか。
初出:「内野光子のブログ」2020.6.24より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/06/post-2c54d3.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9880:200626〕