こいのち通信(世田谷こどもいのちのネットワーク通信) 2021年4月

 3月号と称して4月1日に持ち越して作った通信、今度は正真正銘の4月号です。 いつも遅れ遅れの通信としては異例の速さ! あれ? また来たゾ、と訝られた方もあることでしょう。それにはワケがあります。
 実は、4月30日に、こいのち久々の学習会「GIGAスクール構想とはなにか?」を予定しているのですが、今回はこいのち始まって以来のZoomによる学習会。参加希望の方、お申込みください、とお伝えしたのですけれど、いまだに誰からも反応なし、という状況に憂いました。こいのちの読者はそういうメディアに慣れていないのか? チラシが届くのを待っているのか?と、だんだん心配になり、再度、お声かけさせていただきます。
 私のようなITオンチが、そこそこZoomにも慣れてこられるのだから、なんとかなります!パソコンを立ち上げて、私のところにメールで参加の申し込みをしてください。(marzoh@gmail.com)ズーム会議のURLをお送りしますので、それをクリックすればつながります(そのはずです)。いつものように、案内チラシも作りました。せっかくの機会ですからぜひ参加していただきたいです。坂井さんは、このテーマを語ってもらうなら、この人!とイナセンお墨付きの現場の教師。GIGAってなんなんでしょう。そこからわからない。データ容量の単位(GIGA)に引っ掛けて、Global and Innovation Gateway for All(みんなのためのグローバルなイノベーションの入り口?) 何のこと?のっけからわかりません。私なんぞは、ちょっと怪しいぞ、怖いぞ、とまず思ってしまう。まず、教育格差はますます広がるだろう、と単純に感じてしまいます。情報がすべて筒抜けになって、管理、監視が簡単にできてしまうことも容易に考えられます。そしてなによりも国全体の思惑があることも。教育が経済界の戦略に絡め取られていくのでしょう、と。昔、産学共同路線粉砕、と大学闘争の頃は叫んでいましたけれど、今は産学が手を携えて当たり前、どこに学びの自主性があるんでしょう、とつぶやいても始まらないような世の中、それがもっともっとデジタル化で進んでいくのだろう・・・。そういう、いわば直感のようなものが思い過ごしなのか、実は本当なのか。そんなことを探り、学び、考えていけたらいいなと思います。教育の問題は、より具体的で、世田谷でも小中高生全員にタブレットを配布、などすでに動きが進んでいます。世田谷での教育、学校現場はいったいどうなっていくのだろう? という身近な課題、懸念もあります。今回、保坂さんが忙しい中を縫って参加してくれることになったのは、とてもラッキーなことです。もともと、教育ジャーナリスが本業だった保坂さんには、国会議員の時も区長になった今も、「教育」「学校」で斬新的な改革が期待されています。ぜひ、お聴き逃しないように。
 坂井さんからの資料の一部を(さわりを)前回掲載しましたが、予習の意味もこめて、国がいったい何を目指しているのか、指導要領には何が書かれているのか、という部分を載せさせていただきます。また、最後の「課題」と思われることの問題提起の部分は前回の繰り返しですが、大事な点なのでしつこく書きました。坂井さんからの資料は、さすが!きれいに図式化されていて、全部を紹介したいのですが、それは当日の共有資料ということで、中途半端な情報共有をお許しください。
 イナセンからは、好評の「公教育の再生を考える」シリーズの第三弾が届きました。今回は理科教育について。本人は推敲ができていない、とやや物足りないふうですが、私はとても興味を持ちました。まったく理科、科学オンチの私が、仮説実験授業をずっと実践されているヒラセンこと平林浩先生に惚れ込み、「日曜科学クラブ」という子どもと大人のクラスをもう30年も続けて、子も孫もともに追っかけをしているということもあり、聞き慣れたテーマに「我が意を得たり」という感じでした。民間でこういうのが続いていることも知ってくださいね。毎月第一日曜日の午後に、ボランティアセンターでやっています。                                (星野弥生)

GIGAスクール構想とはなにか?  (オンライン講座の予習のために) 

 まず文科省の説明の一部を紹介しよう。令和元年に出された「GIGAスクール構想の実現へ」にはこう書いてある。
・1人1台端末と、高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備することで、特別な支援を必要とする子供を含め、多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、構成に個別最適化され、資質・能力が一層確実に育成できる教育ICT現場を実現する。
・これまでの我が国の教育実践と最先端のICTのベストミックスを図ることにより、教師・児童生徒の力を最大限に引き出す。
 これまでの教育実践の蓄積×ICT=学習活動の一層の充実
               主体的・対話的で深い学びの視点からの授業改善
 ここで出てきた「主体的・対話的で深い学び」とは、指導要領の改定を中央教育審議会が討議する中で出てきた「アクティブ・ラーニング」を言い換えたものといってもいい。つまりGIGAスクール構想は、新指導要領と切り離せないものなのだ。

 さて、文科省はこれを導入することで、学びがどのように変わると言っているのだろうか?
(以下省略) そして、ひとり一台になれば、学習が充実すると説明している。
 そのために、ひとり一台の端末とネットワークの整備、学校環境、そして支援員の整備等に、国の予算を約4500億円計上した。端末の整備のための予算は約2300億円。
 さらに全小中学校にネットワークを引くために2千億円、さらに支援員の導入や各自治体自身が国からの補助では足りない分を補填している分を入れると5千億以上の税金が注ぎ込まれている。これだけ巨額な税金がすでに注ぎ込まれ、全国の小中学校にすでにひとり一台のPCが導入されている。
 3つのOSから選ぶことができ、Chromeが約50%、iPadとWindowがそれぞれ25%
 という状況になっている。Chromebookは、クラウドにすべての情報をもっているので、ネットワーク環境が十分なものでないと動作が遅くなる。ただ、セキュリティに関しては、最も安全であるといえる。Windowsは今までも使われてきたので、教員が最もなれているOSだ。iPadは多くの児童がすでに触ったことがある端末なので、馴染みやすい。
 ここにどのようなアプリを入れるかを検討して端末を整えていったのだが、それは児童や教員がわと相談して決めた自治体は少ない。またフィルタリングといって、導入者が危険と考えるサイトを遮断し、アクセスできないようにしているが、多くの自治体で過剰に制限をかけているので、学習に必要なサイトさえ見えないことが多い。これは大げさではなく、多くの自治体で調べても必要なサイトに接続できないという現状が報告されている。
 これ以外にも膨大な資料が提示されている。また新指導要領の資料も膨大。これらを読み込んだ上で、国がなんのために、何を目指しているのか、把握していかなくてはならない。批判的に政策を検討するためにも、またなんらかの効果や学習者の利益を考える意味でも、全体像を把握していく必要がある。以下に指導要領の記述の一部を紹介する。
 
<新指導要領の総則の中の、情報についての記述は?>
 新指導要領の中の現状分析と情報技術の必要性に関する記述
 『今日,コンピュータ等の情報技術は急激な進展を遂げ,人々の社会生活や日常 生活に浸透し,スマートフォンやタブレット PC 等に見られるように情報機器の 使いやすさの向上も相まって,子供たちが情報を活用したり発信したりする機会 も増大している。将来の予測は困難であるが,情報技術は今後も飛躍的に進展し,常に新たな機器やサービスが生まれ社会に浸透していくこと,人々のあらゆる活動によって極めて膨大な情報(データ)が生み出され蓄積されていくことが 予想される。このことにより,職業生活ばかりでなく,学校での学習や生涯学習,家庭生活,余暇生活など人々のあらゆる活動において,さらには自然災害等 の非常時においても,そうした機器やサービス,情報を適切に選択・活用していくことが不可欠な社会が到来しつつある。
 そうした社会において,児童が情報を主体的に捉えながら,何が重要かを主体的に考え,見いだした情報を活用しながら他者と協働し,新たな価値の創造に挑んでいけるようにするため,情報活用能力の育成が極めて重要となっている。第1章総則第2の2(1) に示すとおり,情報活用能力は「学習の基盤となる資質・ 能力」であり,確実に身に付けさせる必要があるとともに,身に付けた情報活用 能力を発揮することにより,各教科等における主体的・対話的で深い学びへとつながっていくことが期待されるものである。今回の改訂においては,コンピュー タや情報通信ネットワークなどの情報手段の活用について,こうした情報活用能 力の育成もそのねらいとするとともに,人々のあらゆる活動に今後一層浸透して いく情報技術を,児童が手段として学習や日常生活に活用できるようにするため,各教科等においてこれらを適切に活用した学習活動の充実を図ることとして いる。』

 児童生徒の側からも、現実社会と乖離した学校教育に対し疑問が出ている。学校だけ一般社会と隔離されているから安全だと言っても、自宅に戻るとネットの荒海の中に放り出される。
(中略)課題と思われることを整理してみよう。①ひとり一台になっても、それを使うか使わないかは児童の判断ではなく教員が決めている。②学びのあり方の決定権は児童生徒自身が持つべきではないか。③PBL(課題解決学習)や探究型学習は時間がかかり、子ども自身の意欲関心によってもサポートが必要になることも多い。その時、児童数に対する教員数が少なく十分な支援ができない。③今まで体験したことのない教員が授業方法を変えることは容易ではない。④ゲームに使うことに偏っている日本の児童生徒の現状から、創造的に学習に活用する姿勢を育てる流れを学校のみならず、自宅においても作り上げていく必要がある。⑤教員のみならず、保護者や地域もまた自ら学んだ教育パターンから逃れられない。⑥生活指導的観点から、使用時の約束を教員側が作って過剰規制をしてしまうことが多い。⑦行政側と学校側、児童側との信頼関係がないため、セキュリティを勝手に決めて学校に押し付けてくることが多い。学校、教員側に選択権がない自治体が多い。⑧デジタルシティズンシップという観点から情報に関わる姿勢を育てる過程が大切。
 皆さんはこのような状況の中でGIGAスクール構想の何が課題だと思っておられますか?
           (世田谷区立八幡小学校 墨田区立八広小学校 坂井 岳志)

 

小学校現場から公教育の再生を考える その3  
《教育の自由を理科から考える》
―どっこい生き残っている民間教育運動の財産―
 前にも書いたように現在理科の補助教員として小学校現場にいる。久しぶりに理科の教科書を見る。昔より格段に良くなっている。オレは宮城教育大学出身である。理科教育では高橋金三郎先生がおられた。理科教育、科学教育の担当であり、科学教育研究協議会東北ブロックで活動し、極地方式研究会のリーダーでもあった。そういう雰囲気の中でオレもそれなりに理科の勉強をしていた。それが今回の仕事でよみがえった。
 現在の大日本図書の理科教科書では、かならず理科の実験の前に予想を立てさせる。これはかっての仮説実験授業の仮説のパクリではないか。総論では「根拠のある予想や仮説を発想する力…養うことができるようにする」と書いてある。また、それぞれの単元(学習項目)に簡単な科学史を踏まえた人物の読み物もある。大日本図書の理科の教科書はかなり良くなっていると思う。
 4年の「すがたを変える水」の「3 温度と水のすがた」では固体・液体・気体とおさえ三態変化を意識している。また、はってん(発展)としてエタノールの三態変化で液体から気体の変化の実験があった。昔、オレはバレないようにひっそりとやっていた。今では堂々とできる。
 3年の「電気の通り道」「じしゃくのふしぎ」では電気を通すものが昔「金物(かなもの)」と呼んでいた。その名称が、かつて民間教育研究者が主張した「金属」という用語に置き換われていた。科学の入門として当たり前のことが当たり前になっただけのことである。
 5年の「電磁石」も面白い教材だ。これは民間教育研究とは関係ないが昔からある日本の古典的教材だ。考えようによっては初期エンジニアリングの学習なのである。これは多くの子どもたちを魅了したものだと思う。発展性のある教材だ。
 いちいち上げるときりがないと思うが、なかなか日本の理科教育はたいしたものである。
そして、現在の教員たちに理科の授業を科学としてどういう意味があるのか振り返って欲しいと思う。それを考えないのなら、ただ教科書をこなしているに過ぎないのである。
 先ほどの「すがたを変える水」では「三態変化」の意味をおさえて行うのとただ水の状態変化のことを行っているのとは意味がちがう。物質の融点、沸点の表をもとに物質の階梯性をおさえる意義は大きい。80度でとろけるウッド合金の演じ実験をしたり、試験管に塩をいれバーナーで加熱し固体から塩の液体に変え、それをわざと紙にたらし燃え上がらせる。とにかく子どもの概念を崩していくのは楽しい。そういう中から科学に興味を抱く子どもたちが出現するのではないか。
 現在の日本ではノーベル賞受賞者が結構いると思う。これは過去の科学、理科教育の成果である。この背景には民間教育運動の財産・実践がある。今後はどうでなるのか先行きを考えるとお寒い感じがする。
 30年以上前に小学校では「科学センター」といって月1回ほど学校を超え子どもたちを集め実験主体の科学教育をしていた。その功績は相当なものだと思う。今後はどうでなるのか先行きを考えるとお寒い感じがする。各種の実験方法は民間の研究団体で培われたものである。それに対する敬意があってしかるべきではないか。いわゆる傅次郎?の実験もほとんどが科教協による実験に負っている。そういう力が日本の理科教育を押し上げ、日本の科学力を高めたのである。
 民間教育運動を目の敵にしていた文部省とそれに追随していた官製教育団体が理科、科学教育をダメにした罪は大きい。もう民間教育運動はないに等しい。
 本当に過去にとらわれずにいいものに学び伝えていく必要がある。民間教育運動を否定したため現在の教育内容はひどくレベルが低いのではないか。それが日本の教育をダメにしたのだ。
 支配層と思しき人々はあまりにも考え方が低レベルであり、安直である。すなわち学問教育の成果を簡単に手に入られ、製品化できると思っている。従順な臣民から従順な皮相なものしか生まれない。創造的なものは幅の広い市民社会からしか生まれない。人々はコロナで、低レベルで忖度しかない日本社会の駄目さ加減が良く分かったであろう。今こそ次の日本市民社会の根底にある文化、教育を再生せねばならない。あー演説はこれまで!
 日本の理科教育は捨てたものではない。
 ※今回の話は厳密さに欠けていると思う。きちんと調べて書くべきだと思います。問題提起だと受け止めと欲しいと思います。      稲野茂正・イナセン(小学校非常勤教員)

★時々、この通信でも掲載させてもらっている、友人である一コマ漫画作家の山井教雄さん(弘前在住)からの便りです。

【ミャンマーに関し、こんな漫画を描きました…(これが『漫画』と呼べるかどうか疑問ですが。)キャプション(説明やセリフ)なしでも、私の怒りと悲しみ、スー・チーさんに対する尊敬が読み取れると思います。漫画を描く時は言語中枢は使っていません。発想過程を後追で言語化して、『花の涙』なんてタイトルをつけると絵が途端に陳腐になると思いませんか?絵の伝達力は大したものですね。】
 美しいですね、スー・チーさん。カラーでないのが残念。原画は真っ赤な花です。切なくなりますね。先日牛込柳町の近くの「ミャンマーコーヒー」のお店で、ミャンマーを思いつつ美味しい淹れたてのコーヒーを飲みました。ちっぽけな連帯の気持ちでした。(弥生)

いろいろ告知板

「もっと語ろう不登校 part.256」 リモート+!
 5月8日(土) 2pm~    フリースクール僕んち  or ZOOM参加
 世田谷区代田4-32-17 Tel090-3905-8124(タカハシ)参加費:300円
 ZOOM参加希望の方は、前日までに以下に、メールを。
 高橋:fsbttoru@yahoo.co.jp  佐藤:yurinoki11513@gmail.com
 招待状を、メール返信でお送りしますので、簡単に参加できます。

「人間の生と性を学ぶ会」5月22日(土)13時半~16時半 経堂地区会館第三会議室
 「サヨナラ、性暴力」という冊子を参考にしながら、性や生き方に関するさまざまな問題を村瀬幸浩先生と一緒に自由に語り合います。前号で15日と書いてしまいましたが、一週間あとです。訂正します。はじめての方も何でも話せる場、(星野弥生)

青木美希さんの新しい本が出ました!
 いないことにされる私たち ~ 福島第一原発事故10年目の「言ってはならない真実」
 (朝日新聞出版 1650円)
 私たちの頼りになる友人、朝日新聞の青木美希記者が、原発事故から10年目に、「統計から消される原発避難者たち」を追って本を書きました。福島っ子リフレッシュについての記事を度々書いてくださり、「こいのち」では「地図から消されたまち」と題する話をしていただき、と縁が紡がれています。この本の「はじめに」と「おわりに」に、世田谷で一緒にトークをした保坂さんの言葉が紹介されているのも嬉しい。ぜひお読みください。そしてアマゾンにコメントしてください。こういう本を広めていかなくちゃね。

星野弥生の気功教室:毎月第二、第四金曜5時半~7時20分(経堂)、毎月第二、第四日曜日の10時~12時(代々木公園)などでの、誰でもできる気功です。よかったら元気になりに来て下さい。コロナには、まず免疫力をつけることが一番。詳しくはインターネットで「気功学習室」をごらんください。(問合せ 070-5554-8433 星野弥生)