ようやく、「暑い!」から解放されましたね。暑いを通りこして寒い日も。四季の中でも秋は一番気持ちのいい時期。冬に向かうまで、野山の秋の恵みをいただいたり、澄んだ空を照らすお月様を仰いだり、日本酒も美味しくなり・・・。でも、だんだんに秋が短くなるように思えます。温暖化のせいで四季ならぬ二季になってしまうんでしょうか。
10月号と謳いながら、11月の始めに届く通信になってしまいました。みなさま、お元気でしょうか。この号で選挙のことに触れようとは先月通信を出した時には夢にも思わなかったけれど、石破さんがバタバタと急ぎ、もう結果が出てしまいました。自公が過半数を取れなった、というのはたしかに悪くはないニュースです。立憲民主が伸びた、というのも。でも、その成果をどう政治に活かすのか、ちゃんと見張っていかなくては、と切に思います。「野党」だからいいのではなく、ここまでひどくなっているこの国をどう変えていくのか、ですから。私は、誰に、どの党に入れていいかわからない、と訊かれた時に、まずは日本が戦争を出来る国、する国にしないために、憲法9条をちゃんと守れるかどうかだと思う、と答えてきました。その意味で言うと、票を伸ばした党も危うい。有権者は選挙で終わり、ではなく、これからが正念場、です。この国ではどんどん「戦争」への準備が進められていますから。防衛予算しかり、沖縄への軍備施設しかり、米軍と自衛隊との共同演習・・・こいのちも、そういう「目」を失わずにウオッチできれば、と思っています。
通信を出すこの一か月の間、うれしいニュースもありました。一つは、袴田巌さんが再審の結果、晴れて無罪になったこと。無罪は当然とは言え、お姉さんの秀子さんが満面の笑みを浮かべた写真を見た時には本当にうれしかったです。判決は、心からこれまでの裁判が間違っていたと反省したものでもなかったですけれど。47年7か月もいつ死刑が執行されるかもしれない恐怖にさらされて獄中生活を送らされた袴田さん。これほどの長い期間、一人の人の自由を奪ってきた国家の罪は問われないのか、とやるせない憤りを覚えます。保坂さんが衆議院議員だった時に法務委員会に属し、拘置所の袴田さんを何度か訪ねた折や、刑場を視察した時の報告などを受け、冤罪の可能性があるのに死刑制度が日本に存続していることは本当に理不尽だと確信しました。この無罪判決が、国家の責任を問い、死刑制度の廃止につながる動きに発展していくことを心底願います。
もう一つの嬉しいニュースは、被団協のノーベル平和賞の受賞です。最初にこのニュースを私が知ったのは、スペインの友人からの「おめでとう!」のメール。それから次々にスペインからもスイスからも「よかったね!」。海外での広島・長崎の原爆に対する関心は強いです。私も夏にヨーロッパに行く時は、8月6日、9日は「今日は何の日」と話すことにしていました。とりわけ、ウクライナでもガザでも戦闘が止まずに、人びとが殺されていくのを何とかしたいけれども、無力感に陥ってしまっている。これは世界の多くの人たちが感じていることなので、核廃絶の実現を世界共通の果たすべき第一義的な課題としよう、ということがこの受賞によって示されたのだと思います。なのに、日本の政府は、核兵器禁止条約にオブザーバー参加すらせず、ひたすらアメリカの核の傘の下にいる、これは国際的にはまったく通用しない姿勢です。外圧に頼らなくてはならないのも情けないことですけれど、この国、何とかしなくてはみっともないぞ、と強く思っています。
10月、いろいろと興味深い会に参加する機会がありました。2日はプレーパークの「しゃべくり道場」なる宮坂区民センターでの集いに参加しました。お題は「なぜ、プレーパークには禁止看板がないの?」。大学の先生である堂免(どうめん)さんが「公園研究者」としての驚きを語る、というとても面白く、示唆に富んだものでした。後で少し報告したいと思います。
19日は教育総合会議。テーマは「こどもたち一人ひとりの個性を引き出す多様な学び」。第一部での船木成記さん(総務省地域力創造アドバイザー)による「地域づくりの視点から学びの意味をとらえ直したい」と題する講演の後、学びの多様化学校「ねいろ」を校長先生が紹介されました。一人ひとりのチャレンジ力を大切にし、自分たちの学ぶ欲求を満たすことが考えられ、子どもたちは「質問がしやすい」とのこと。「不登校を経験したことで幸せになれた」と語る生徒がいます。いつも思うことですが、こんなに「ねいろ」が素晴らしいなら、世田谷のすべての学校を「ねいろ」色に染めればいいのに、と。第二部は、第一部の報告者と区長、教育委員との壇上での討論。教育委員の渋澤さんは「学びたいという意識がこんなに強いんだということが、ねいろの実践からわかる。ねいろに来られない子どもたちへのアプローチのシステム、みんなが主役になれるシステムをどうつくるか」と語り、保坂さんは「時間、機会、環境が整うとこどもたちは変わっていく。日本型教育は成功していると言われてきたが、今はそういう時代ではなくなってきたのではないか。コロナ以後、一斉学習から個別学習へ、抽象から事象へ、という動きが出ているので、気候異変を受けて学びを変えたい」と。どう変えるのか、ぜひ聞きたいし、これこそ「こいのち」で続けている「教育を変える」課題です。総合会議に参加した理由の一つは、こいのちの学習会で懸案になっている、渋澤さんに「教育大綱の魂」を語っていただく会をいつお願いできるか、を直談判することでした。お会いして、約束はとりつけましたが、日にちは未定です。来年(!)の1月にはぜひ、と思っています。楽しみにしていましょう!
「教育」に関してもう一つ。総会の時に「教師の仕事をしていて幸せでした」と発言された照屋洋さんは、こどもたちの身体性を取り戻すのに授業に「演劇」をとり入れる、という実践を長く続けてこられました。先日ボランティア協会の情報誌「セボネ」に登場していただこうとインタビューをさせていただき、ぜひ、こいのちで一度ワークショップをしてみよう、ということで意気投合しました。12月14日(土)15時~ 東京新教会にて。詳細は次号でお知らせします。
(星野弥生)
ひらせん(平林浩先生)が旅立たれました。
つい数日前、悲しい急なお知らせが届きました。小学校の先生を辞めた後、長年にわたって子どもや大人に「仮説実験授業」を中心とした、科学の授業を続けてこられた平林先生(ひらせん)が旅立たれたと。電話をしてご自宅に伺う日を相談しようと思っていた矢先でした。90歳のお誕生日を迎えられた半年くらい前にからだの変調に気づかれ、5月には「平林先生と一緒に行くコスタリカ自然探訪」という旅を4年越しで企画したのに、先生が行くことができず、13人の参加者が先生の分まで旅する、ということがありました。その頃から、ご自宅で療養され、暑さから解放されて、少しずつお散歩もされるようになったのに。でもとても静かに、奥様に看取られて逝かれました。35年以上前、息子に授業を受けさせたいと、お茶の水で開かれていた「日曜科学クラブ」に参加するようになり、気が付いたら私がハマっていました。理数系はからっきしダメの私がなぜ?と周りから訝られましたが、ひらせんの授業は理系、文系を通り越した、いわば「人間系」だったなあ、と思います。自然を観る目は、そのまま人を、社会を観る目につながっていました。「こいのち」の学習会でも何回か話していただきました。2007年の総会の記念講演にお願いしたお話のタイトルは「教育が今ほど卑しめられている時代はない」。案内の中で先生はこう書かれました。『教育は大切だ』『教育を良くするための改革を』といわれながら、こんなに教育が軽蔑され、さげすまされてしまっていいのか、と思うのはわたしだけでしょうか。教育がこれほどまでに政権の目的や経済目的の道具にされてしまっていいのでしょうか。学校がさげすまれ、教師もさげすまれ、親もさげすまされています。それは結局、子ども、人間をさげすむことではないかと憤りがわいてくるのです」。17年前のことなのに、先生が憤られたことが、さらにひどくなってきている状況に私たちはいるのだ、と気づかされます。2011年の3.11後の総会では、「ひらせんの仮説実験授業『放射線と放射能』」そして、区長になったばかりの保坂さんとともに「世田谷の子ども、教育の未来を考える」という対談を企画、科学的に放射能を知った上できちんと判断し「ちゃんと恐れる」ために、原子や分子という『見えない世界』に想像力をもって入っていく案内人になっていただきました。2019年の総会では、平林先生と保坂区長との夢のような対談が実現しました。「子どもも親も先生も幸せになる教育・学校とは」というお題で、保坂さんとリヒテルズ直子さんとの共著「子どもの学び大革命」の内容にヒントを得ての企画でした。この時に先生が「世田谷線は原っぱのような電車ですね」とおっしゃったのがとても印象に残っています。車窓からも景色を、自然を観察していらした。先生はどうしても立って話をされる教師のクセが抜けないで、保坂さん曰く「対談にならないですよね。僕が一緒に立ってしまうのも変だし・・・」そんなことがあったなあ、と思い出します。こうしてみると、ひらせんは「こいのち」にとって、大切な時に大切な話をいつもしてくださいました。いただいた宝物があふれそうです。講演会にはたくさんの方が聴きに来てくださり、こいのちの仲間もそうやって増えていきました。
先月、たまりばの西野博之さんと病床の先生をお訪ねしました。その時、図らずも短時間のインタビューが実現してしまいました。これをあと何回か続けましょう、と先生とも約束したのですが、果たすことができなかったのがとても心残りです。辛そうでしたが先生はこんなふうに話されました「90歳まで現役で続け、伝えてきたことは「学ぶって楽しい」ということです。テストされて点数をとる、人の価値を他人に決めてもらうことが学びではない。楽しみを手にいれるには、楽しく生きている大人がまわりにいなくてはなりませんね。「面白がる」ことが関係を作っていきます。科学はやればやるほど面白い、ということを今は教えていないのではないでしょうか。学校の教育システムは全然変わってきませんでした。教育は学校という装置を政治に利用し、人間を育てずに国家を育てる装置にすり替えっていったのです。「学力は出会いをものにするちから」です。子どもは知りたがり、やりたがり。その意欲を邪魔しないで手を貸し、子どもに接すればいいんです。手助けができる大人、魅力的なことをたくさんやれる大人になればいい」。
こんな素晴らしい言葉を残して逝かれた先生。私たちへの「遺言」だと思っています。先生はいつも「私は日本一しあわせな教師です」と言っておられました。「私のやることは材料を提供することだけ。その材料と一人ひとりが向き合い、そして、同じ場を共有する人の間につながりができるのです」。そう、場のちから、出会いのちからを、「授業」の形で私たちに伝えてくださいました。たくさんの「出会い」を作ってくださり感謝でいっぱいです。これからも私たちと共にいてくださいね。安らかに。 (星野弥生)
しゃべくり道場「なぜ禁止事項がないのか
講師は堂免隆浩さん。一橋大学社会学研究科の先生です。呼び名はそのまま「どーめん」。どーめんさんは、広島の江田島ですごした子ども時代の外遊びを語り、その後のプレーパークとの出会い、そこで感じた不思議、「駒沢はらっぱ」の世話人になって六か月のどーめんにとってのプレーパーク、を語りました。2023年1月から世田谷中の370の公園、184の広場、14の市民緑地、都市林、48の緑地、都立公園4か所を自転車で周り、撮った写真は10万枚!2024年2月に公園巡りは一段落。気づいたことは「プレーパークには看板がない!」。駒沢はらっぱではレンジャー遊び隊の手伝いをし、レンジャー倉庫を作り替えた時に、「こどもが手を出すのも遊びの一つなのかなあ」と気が付きます。「何故プレーパークには禁止看板がないのか」。常識を疑いたくなり、そうか、プレーパークは常識外れなんだ。禁止事項がない理由は「看板」に書いてあります。「自分の責任で自由に遊ぶ」と。ここは決して無法地帯ではなく、子どもの状況によって、できる・できないは変化する。看板をつくると変化に対応できない。状況に応じて、世話人ができる・できないを調整する、そういう「自治」があるんですね。
「自由」には二つの意味がある、とどーめんさん。(1)遊びたいという気持(2)遊べるという遊びの選択肢の多さ。遊びの選択肢に気付けている子どもは、「遊びたい気持ちにまかせる」。気づいていない子どもには、気づかせてあげる。これがプレーワーカーの役割です。プレーワーカーの役割については、一緒にあそぶこと、みんなの遊び場を作ること、遊びの楽しさを広げること。
どーめんがプレーパークを知ってわかったことは、、〇人びとは多様である 〇それぞれの人にとって、やりたい気持ちを実現できることが望ましい。そこで、自由な遊びができ、気づいていない他の遊び方を知ることができ、身近にある。こういう遊び場の重要な選択肢の一つとしてプレーパークを発展させたい、とどうめんさんは語りました。次なるフシギもわきおこります。・「責任」の意味をほりさげてみたい。・プレーワーカーを職業人として考えてみたい(これまでプレーリーダーだったのが、プレーワーカーになりました)。・世話人がどんな人たちなのか調べてみたい。
どーめんさんの話の後は、当日の司会を務めた元祖「プレーリーダー」天野秀昭さんとのトークでした。とても面白い興味深い内容だったので、ぜひ「こいのち」でも、とお願いしてみました。「こいのち公園部」が発展していきそうです。 (星野弥生)
映画『生きて、生きて、生きろ。』(島田陽磨監督作品)
かねてより「ふくしまっ子リフレッシュin 世田谷」の運営委員の間で話題になっており、気になっていた作品である。震災後の福島での取り組みの記録であることは承知していたが、私はそのタイトルに強く引きつけられたのだった。
マスコミなどの報道、福島在住のリフレッシュ参加者から、また青木美希さんの著作や講演から「復興」などとは程遠い原発と被災地の厳しい状況についての情報はある程度得て来た。そんな状況にある人々に「生きろ!」というからには、困難な中で生きることを励まし、鼓舞する特別な何かがそこにはあるのだろうか?それを確かめたくて、観ておきたい、観ておかねばと思ったところがある。しかし、この映画、そしてそこで購入したパンフや書籍を読んでみて新たに私が突き付けられたものは、予想をはるかに超える厳しい現実だった。
映画は主に、原発のある「浜通り」相双地区(相馬郡、双葉郡)に立ち上げられたメンタルクリニックなごみや、こころのケアセンターなごみで、そこにようやくたどり着いた深い傷を負った方々のサポート活動に当たる精神科医の蟻塚亮二医師と精神科専門の看護師米倉一磨さんらの活動を追っている。原発事故の影響により、不眠、鬱、性暴力被害、ヤングケアラーとしての経験、深刻なアルコール依存など、様々な困難を抱えながら転々と何軒もの医療機関を訪ね、医師の無理解やそこでの二次、三次被害にもさらされながらここにたどり着かれた方々である。
分厚い臨床経験の裏打ちがあり、当事者に寄り添おうという姿勢の蟻塚医師は、不眠やうつの姿をして立ち現れるものの奥にPTSD(心的外傷後ストレス障害)があることをかぎ取る。そして、その彼らに、抱えている悲しみをもっと悲しんでいいんだよ。それこそ、生きることそのものなんだよ!と伝えながら寄り添う。「よく生きてきたね。ハイタッチするべ!」と語りかける。米倉さんはアウトリーチ型で繰り返し自宅を訪ね、ご本人が主体となるような生活場面をていねいに工夫するなどして、ともに時間を過ごす。
この映画で新たに突き付けられるものは「遅発性PTSD」という課題だ。心的外傷(トラウマ)とは、いのちを脅かされるような突然の体験の強烈な記憶である。自分の力を超えた圧倒的なパワーの記憶は体/心(脳)の深いところに刻まれ、保存され、原体験と類似した出来事が引き金となってさまざまなストレス反応を引き起こす。それは多くの場合「遅発性」とあるように、かなり時差的に遅れて表面化するものだ。
蟻塚氏は、弘前から沖縄に招聘され診療を開始する中で、独特の不眠障害を訴える何人もの高齢者に出会ったことから「晩発性PTSD」を発見し提唱する。それは凍り付いていた沖縄戦のおぞましい体験が戦後60年たってようやく溶け出してきた現象だというのだ。
そういえば、最近ようやく先の戦争に従軍した兵士たちのPTSDが注目され始め、語り合う団体も立ち上げられていると聞く。そこに集まるのは多くはすでに亡くなってしまった兵士本人であるはずはなく、彼らの激しい暴力などを受け続けて育ったその子どもたち、今や60代から80代に至る人々だという。
タイトルのとおり、トラウマを一人で抱えずお互いに吐き出し合って「生きて、生きて、生きる」道を共有する取組みをもっと広げて行かなければ!そのためにも、原発事故被災地、福島内では語れないことを、世田谷で吐き出していただくことも大きな意義がある。その意義は大事にしたい。しかし一方で、「遅発性」、「晩発性」のPTSDは震災後十数年経ったこれからこそ、ようやく表面化していくに違いない。そしてすでに、子どもたちには様々な現象が現れている。例えば、福島県の児童虐待の増加率は、全国的にずば抜けて3.69倍に増加している。大人たちの不安定さが、もろ子どもたちへ吐き出されているのだ。その影響を身体に宿した子どもたちが、数十年後、どんな遅発性のトラウマ、生きる上での困難を抱えることになるのだろうか?私たちは、今、この事実をきちんと知るところから始めなければならないと強く思う。
もう一つ。映画でも書籍も、原発事故が起こるべくして起こる歴史上の起点と、常に為政者の都合で繰り返し続けられて来た棄民の構造をマクロ的に詳しく語り、学ばせてれるところもとても優れている。
残念ながら、映画は自主上映以外にはすぐに観られる機会はないようだ。ぜひ、蟻塚亮二氏の著作『悲しむことは生きること』(風媒社)を手に取っていただきたい!
(人の泉・オープンスペースBe! 佐藤由美子(こいのち事務局))
憲法ワークショップが世田谷で行われています
前号と一緒にチラシをお届けしましたが、区内で「憲法ワークショップ」が9月から開かれています。二回目は10月19日でした。憲法って身近なはずなのにちゃんと読んだことがない人が意外と多い。壊滅的な敗戦から日本が「民主的」な国に変わるために「平和主義」「基本的人権」「国民主権」をいっぱい取り入れた大切な憲法が、意外ときちんと教えられていない。それなら、私たち自身が学び、話し合いましょう、とはじまりました。日常の中でやっていることがどの条文に関係しているかを探したり、絵本や折り紙を使いながら、話し合っています。小中学生も参加できます。世田谷在住の児玉勇二弁護士も参加してくださっています。次回は12月9日。場所は東京新教会です(豪徳寺と経堂の間、二つ目の信号をユリノキ公園から少し入ったところです。)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ い ろ い ろ 告 知 板 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
★「もっと語ろう不登校 Part294 11月2日(土) 14時から オープンスペースBe!
090-9248-1355(佐藤)参加費300円
ズーム希望者は 佐藤:yurinoki11513@gmail.com 高橋:fsbttoru@yahoo.co.jp
295回は、12月7日。フリースクール僕んち+ZOOMです
★「自衛隊も米軍も、日本にはいらない!」演奏・講演 花岡しげるさん
11月16日(土)13:30~16:00 東京新教会にて(チラシ参照)
主催:コスタリカに学び平和をつくる会 (連絡 星野弥生)
★「憲法ワークショップ」 12月9日(土)15:00~18:00 東京新教会
(連絡 090-3427-2828 上原)
★「人間の生と性を学ぶ会」11月例会 11月21日(木)17:30~20:30 宮坂区民センター
村瀬幸浩先生とともに「50歳からの性教育」(河出新書)を読みながら、「性」を学び直しています。
★星野弥生の気功教室。第二、第四金曜日の17;30~19:20 経堂地区会館別館 第二、第四日曜日 10時から代々木公園。どなたでも参加できるセルフコントロールの気功です。「Be!」での気功クラスは月に一度第三金曜日の13:30~15:00東京新教会。11月19日(星野弥生 070-5554-8433)
こどもいのちのネットワークの会員になってください。つうしん・お知らせが届き、講演会・学習会などの参加費が無料になります。年会費3000円 郵便振替口座00100-9-396998
【事務局 】星野弥生 Tel 03-3427-8447 070-5554-8433 email:marzoh@gmail.com