ことしの歌会始、お題は「和」ではあったが。

 元旦早々、能登では大地震に見舞われた。ウクライナやガザでの犠牲者が増え続けている。

 歌会始のNHKの中継を見ての報告は、毎年のことになったが、1月19日、ことしも忘れかけて、途中からの視聴となった。ネットや翌日の朝刊での情報により感想を書きとどめておきたい。
 歌会始は“伝統に則った古式ゆかしい”皇室行事の一つと言われるが、中継の画面を見てしまうと、長い間短歌に親しんできた身ながら、まずもって参加者たちの服装が気になって仕方がなかった。
 ことしはマスクがなく、女性皇族は、ロングドレスに着帽、皇后だけは無帽、男性は参加者全員がモーニングのようであったし、もしかしたら選者の永田和宏は紋つきの和服であったかもしれない。入選者の女性は、制服の女子高校生をのぞいて、全員和服だった。陪聴者は遠くでよく見えなかったが、女性はドレス、和服もあり、そのチグハグは、違和感は何なのだろう。一層、平服にしたらどうだろう。
 参加者全員が、おごそかとも違う、ただ緊張しているような雰囲気の「歌会」に思えた。誰もが姿勢を正して、マスクを着けてないためか、女性皇族は、口角を上げるのに必死といった趣であった。世間の「歌会」は、参加者の間での批評の厳しさはあっても、「歌会」ってもっと楽しいものではなかったのか。
 ことしも、陪聴者はコロナ禍前の三分の一ほどであったというが、大阪の吉村知事、作家の筒井康隆も招ばれていたらしい。 私の見間違えでなければなのだが、俵万智の姿も陪聴者席の二列目か三列目に見えたような。
 入選の詠進歌は、年齢の若い順に披講(朗詠)される。ことしの入選者は、10代・20代・30代に各一人、40代・50代はゼロ、後の七人は、60代から80代であった。応募者、入選者の高齢化は否めないが、入選の高校生が在学する新潟の私立校は、学校ぐるみで多くの生徒が応募するらしく、近年、八人の入選者を輩出する常連校で、そのことをもって、学校の広報に一役買っているのが、ホームページなどから見て取れる。宮内庁にとってもありがたい存在になっているのだろう。

・「それいいね」 付和雷同の私でもこの恋だけは自己主張する(神田日陽里さん、17歳)

 つぎに、召人、選者一人の歌が披講されてから、高円宮承子さん、秋篠宮夫妻の三人の歌に続いて皇后・天皇の歌が披講された。

・広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり(皇后)

・をちこちの旅路に会(あ)へる人びとの 笑顔を見れば心和(なご)みぬ(天皇)

 そもそも、「歌会始」は宮廷内の行事の一つで、明治以降、形ばかり国民にも開かれてはいたが、「御歌所」の歌人たちが取り仕切る閉鎖的なものだった。新憲法下の象徴天皇制のもとで、「民間歌人」が選者となって、誰もが応募できる現在のような形になった。それでも、一般の短歌コンクールと違って、天皇に「詠進」するという仕組みを取り続けている。
 そんな仕組みを象徴しているのは、皇后を含む皇族たちの歌が披講される前に、立ち上がって天皇に一礼、披講されることになる場面、さらに、最後に、天皇の歌が披講される間、参加者全員、会場総立ちとなって、三回繰り返される披講を聴くことになる場面である。ちなみに、皇后の歌は、二回披講されている。こんな風に、上下、男女の関係が不平等極まりない宮中行事は、せめて宮中に留め、国民を巻き込まないでほしい。 

 マスメディアは、相変わらず、宮内庁広報そのままに、流し続けている。愛子さんは学業優先で、歌会始には欠席したとか、卒業後は、日赤の嘱託職員なるとか、佳子さんがどうしたとか・・・。また、あの「文春」でさえ、2月1日号で「<歌会始>選者が解読 愛子さま<恋への共鳴>」の見出しで愛子さん歌を取り上げているらしい。だが、私には「意味不明?」なので、とうとう買ってしまった!たった2頁の記事だったので、立ち読みも出来たのだが、松本人志の記事もあるし・・・。 
 その「歌会始」の記事によれば、何のことはない、愛子さんの「幾年の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」の「和歌のことば」とは「”恋の歌“を想像してしまいます」と選者の一人永田和宏の強引な<解読>を伝えるものであった。さらに、永田は、前掲の皇后の歌について、「深き祈り」と「深きおもい」のどちらがよいかの相談を受けて、「おもい」に皇后からの提案で「念ひ」の漢字をあてることになり「お気持ちの一層の深さが伝わる表現です」と語っていた。これって、自画自賛?「公務上」知り得た秘密ではないのか、こんな風に助言したとか、指導したとか、よほど公言したかったのかの疑問も。かつての選者にもそんな歌人がいたような。また、選者の一人の三枝昂之は、懇談の席で、愛子さんの歌について「和歌への関心と信頼を示したことは、歌人である私にとって嬉しく、共感した」という主旨のことを、天皇・皇后に伝えたとあかした、とのくだりもあった。こんな記事を積極的に流す文春も文春なのだが・・・。

 政府・政治家への、そして企業の不正への、スポーツ界・エンタメ業界のパワハラ・セクハラへの、取材に基づく文春砲への期待は、まだ消えてはいない。同時に、<天皇制>への素朴な疑念や問題にもぜひメスを入れて欲しい、と願うばかりなのである。私も、老躯に鞭打って、今少しと。

初出:「内野光子のブログ」2024.1.28より許可を得て転載
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