アベ・小池の、国民・都民に対する休業要請や外出自粛要請。一応尊重はしつつも納得はしがたい。一つは、上から目線で、「感染が終息しないのは、言うことを聞かないおまえさんたちの自己責任」というイヤーな感じを拭えないからだ。
まず行政がやるべきことをやらねぱならない。そのための国家であり都政ではないか。医療崩壊を回避する防衛策こそが喫緊の最大課題である。医療従事者の安全を確保するために金も物資も惜しんではならない。
コロナに関する国民の不安を払拭するには、マスク2枚では足りない。「予想されるいかなる事態においても、重症患者への救命措置に遺漏はありませ」と、トップリーダーが言い切れる態勢を整えることではないか。
そして、国民に安心して休業も外出自粛もできる経済保障もしなければならない。行政がやるべきことをやらずに国民にのみ忍耐を求め、責任転嫁を図るごとき施策には、破綻が見えている。
もう一つ、納得しがたいのは、「5月6日までの、休業・接触機会8割減要請」策の実効性が見えてこないことである。出口戦略が見えてこない、と言ってもよい。要するに、曖昧模糊としたこの構図では積極的な協力のインセンティブに欠けるのだ。
いわゆる西浦モデルは机上の空論に近い。代入する変数次第でどうにでもグラフを描くことは可能で、結論は変わってくる。どうにでも描けるグラフで、一国の重要政策を左右されてはたまらない。アベや小池は、そんな危険な賭けに興じているわけだ。
それより納得しがたいのは、これまでのクラスター潰し戦略との整合性である。感染経路を追うことができない市中感染がこれだけ増えたのだ。PCR検査態勢なり、抗体検査態勢なりの抜本的拡充が必要だと思うのだが、その宣言はない。
そして、アベ・小池の言に従っていても、実は先が見えないのだ。「接触機会8割減」が厳格に実行されたとしても、コロナ禍が終了するわけではない。感染者の人口比割合が、緊急事態宣言が発せられる時点に戻るのがせいぜい、感染拡大の危険性は相変わらずなのだ。
「8割減」政策が、一時的に感染の規模を抑えこんでも、大半の人は未感染で抗体をもたない。その後の感染拡大が繰り返される可能性は極めて高い。この事態、実はアベや小池の言うことを聞いているだけは解決とならないのだ。そのように明確に自覚して、「感染症専門家」だけでなく、多方面の専門家を含む国民的規模の議論で本格的な対策を講じなければならない。
(2020年4月26日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.4.26より許可を得て転載
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〔opinion9689:200427〕