岩波書店が『最後の審判を生き延びて』というタイトルを付して2月25日付けで刊行した『劉暁波文集』について大きな疑問がある。疑問は岩波書店によるこの書の刊行のあり方にかかわるものである。岩波書店によるこの書の刊行は、岩波書店の歴史だけではない、日本の出版史上に汚点を残す大きな不正である。それは道徳的にも、思想的にも許されるものではない。くりかえしていうが、正しくないのは岩波書店によるこの書の刊行のあり方であって、『劉暁波文集』の内容にかかわることではない。
本書は、廖天琪・劉霞編『劉暁波文集』の版権を有するドイツのS・フィッシャー社から岩波書店が日本における独占的出版権を得て、刊行されたものである。昨年の10月8日に劉暁波はノーベル平和賞を受賞したが、それからしばらくして私は岩波書店が『劉暁波文集』の日本における排他的な独占的出版権を得たという報を聞いて驚いた。劉暁波問題は昨年10月のノーベル平和賞の授賞に始まったのではない。それは2008年12月9日の「08憲章」の公表とその前日における劉暁波の拘留に始まるのである。岩波書店と雑誌『世界』はこの劉暁波問題に積極的な関心を示したことは全くない。むしろ一貫して無視してきたのである。彼のノーベル平和賞受賞についても、『世界』はただの一行も論じることをしなかった。私が目次によって見るかぎり、『世界』は昨年一年を通じて「08憲章」についても、劉暁波の問題も、要するに中国の民主化をめぐる問題を論じたことはない。その岩波書店が、劉暁波のノーベル賞受賞後、『劉暁波文集』の日本における排他的な出版権を得たという報を聞いて私は唖然とした。「良識」を看板にしてきた岩波書店の商業主義的な退廃はここまできたかと思った。だが今年の2月、刊行された『劉暁波文集』を手にして私は、これは商業主義といった問題ではないことを知った。ことははるかに重大であり、この出版行為自体の正当性にかかわる問題である。
本書には丸川哲史・鈴木将久による劉暁波と彼へのノーベル賞授賞を批判する内容の「訳者解説」が付されている。本書が収める劉暁波の文章の翻訳者は丸川・鈴木の両人と及川淳子の3人である。しかし本書の「訳者解説」が丸川・鈴木の両人の名で書かれているように、岩波書店刊『劉暁波文集』のこの「訳者解説」を付した刊行に責任を負っているのは書店の編集担当者と丸川・鈴木の両人である。
この「解説」は「08憲章」からノーベル賞授賞に到る出来事の連関について「幾つかの問いを立てておく必要」があるというように書き出されている。「問いを立てる」というのは、端的に「疑問がある」ということである。「08憲章」のいう中国の民主的改革構想に、そしてその中心的起草者である劉暁波に対するノーベル賞の授賞に疑問があるというのである。
この書を手にしてまず「解説」を読み始めた読者は、「これは何だ」と思わず眼を疑っただろう。劉暁波のノーベル賞受賞に因んで出版された書に、その授賞そのものを疑う「解説」が付されていることをどう考えたらよいのか。これは常識的には考えられない出版行為である。これは普通ではない、特別な意図をもってした出版としてしか考えようがない。「解説」は「08憲章」とノーベル賞授賞についての二つの疑問をいう。この二つの疑問は後者についての問いに集約されるものである。その後者の問いをここに引いておこう。この問いに、この「解説」の本意も、この書の刊行意図もすべて露呈している。
「さて、第二の問いの検討に入ろう。劉氏がノーベル平和賞を受賞した経緯、さらにノーベル平和賞そのものをどう考えるかである。問題を突き詰めていけば、こうなるだろう。人権や表現の自由という理念それ自体に関しては、実のところ誰も反対していないのであれば、劉氏への授賞の理由「長年にわたり、非暴力の手法を使い、中国において人権問題で闘い続けてきた」こととは別のところで、授賞は劉氏と「〇八憲章」の思想にある国家形態の転換に深く関連してしまう、ということである。平和賞授賞は、中国政府からすれば、やはり中国の国家形態の転換を支持する「内政干渉」と解釈されることとなりそうだ。その意味からも、ノーベル平和賞が持っている機能に対する問いを立てざるを得なくなる。」
これは実にあいまいで、不正確で、不誠実な文章である。劉暁波問題という現実とあまりに不釣り合いな、いい加減な文章である。これを読んで、何かが分かるか。分かるのはこの「解説」の筆者が中国政府の立場を代弁していることだけであろう。劉暁波は中国の国家体制の転覆を煽動する犯罪者であり、その国内犯罪者に授賞することは内政干渉であるとは、中国政府が主張するところである。丸川・鈴木はこの中国政府の主張と同じことを、自分の曖昧な言葉でのべているだけである。この曖昧さとは、これが代弁でしかないことを隠蔽する言語がもつ確信の無さである。私はこれほど醜悪で、汚い文章を読んだことはない。
「08憲章」に異論をもつものは当然いるだろう。また劉暁波の思想なり、行動に批判をもつものもいるだろう。さらにノーベル平和賞の授賞のあり方に批判的であるものもまたいるだろう。だがそれぞれの批判者が己れの責任においてその批判的見解をのべることと、その批判的見解を「解説」とした『劉暁波文集』を、権威ある出版社から刊行することとは全く違う。後者にあってそれはきわめて悪質な、政治的な意図をもった読者誘導の言説となる。
岩波書店は、劉暁波のノーベル賞受賞後、その『文集』の日本における独占的出版権を得て刊行した。だがそれには劉暁波と「08憲章」と、そしてノーベル平和賞の授賞のあり方を疑う「解説」が付されていた。この出版をどう考えるのか。これは誰が考えても許される出版行為ではない。これはまず第一に『劉暁波文集』を獄中の劉暁波に代わって編んだ妻劉霞と友人廖天琪の意に反するものである。第二にこれは、ノーベル賞の授賞を中国民主化への大きな支援とし、民主化のいっそうの推進を考えようとする中国だけではない、世界の人びとに冷水を浴びせるものである。
岩波書店のこの出版は正しくない。岩波書店はこの非を認め、謝罪と訂正改版の処置を直ちに行うべきである。もしこれに頬被りして答えることがなければ、岩波書店自身が己れの道徳的退廃を認めたことである。
(2011年3月31日・子安宣邦記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0401 :110402〕