本日の東京新聞「こちら特報部」《民、侮るなかれ 参院選2019》。
いつにもまして、語りかけのボルテージが高く熱い。誰に語りかけているのか。現状維持でよいとする「無関心の有権者」にである。本当にそれでよいのか、「現状維持」とはどういうことなのか、無関心が何をもたらすのか。熱い語りかけなのだが、一面虚しくもある。が、虚しくはあっても、語り続けなければならない。
見出しをならべてみよう。
25面の前半記事の見出しは以下の3本
「現状維持」危うい行く末
安倍政権続けば…生活さらに困窮
無関心の有権者「今のままでいい」
そして、頁を変えた26面後半記事の見出しがやはり3本
「声上げれば変えられる」
外交・安保 膨らむ懸念
人権感覚も 世界に遅れ
この見出しで、全体の構成がほぼお分かりだろう。
メインの見出しが、下記の2本で対になっている。
「現状維持」危うい行く末(25面)
「声上げれば変えられる」(26面)
つまり、「現状維持」は、実は悲惨な近未来を招く選択なのだ。それを回避するには、「声を上げ」なければならない。「声を上げ」れば、悲惨な近未来を回避することができる。今、声を上げるとは、何よりも投票すること。選挙に参加するよう人に働きかけること。もちろん、安倍政権にアンチの立場での投票の呼びかけである。
「無関心の有権者は『今のままでいい』」というけれど、「このまま安倍政が権続けば…生活はさらに困窮する」ことになる。それだけではない。「外交・安保も、安倍政権のすることは危なっかしく、懸念は膨らむばかり」。「日本の人権感覚も 世界に遅れ」ていく一方ではないか。いつまでも安倍政権の横暴を許していてはならない。いまや、声を上げ、選挙に行って、反安倍に一票を投じようではないか。私にはそう読める。
下記がリードである。
街角の有権者にこの参院選で期待する変化について尋ねると、選挙に関心がない人ほど「今のままでいいんじゃない」と答える。要は「現状維持」を望む意見で、よく出くわす。しかし、現状維持とは、現在の状況が固定化して続くことではない。現政権がもたらした経済、社会の指標や、外国との関係について、良好や悪化といった「傾向」が、そのまま引き継がれることを意味する。では、現状維持がもたらす日本の未来とはどんな姿なのか。
本文に、こんな記載がある。
「日本すごい」どころか、「日本ダメ」が世界的に定着しつつあるのが現実なのだ。それなのに、なぜ現状維持を望むのか。
駒沢大の山崎望教授(現代政治理論)が、老後資金2千万円不足問題について、学生たちに感想を尋ねたところ、「日本沈没」「終わった」と思考停止に陥るタイプと、「文句を言ってもしかたない」「個人で頑張る」といった自己完結するタイプに分かれたという。
山崎氏は、「雇用も外交も問題は山積していて、暮らしにくさもあるのだが、ならば選挙で政治を変えようという発想には結び付かない。漠然とした将来の不安はあっても目をつぶり、むしろ不安ゆえ、現状が変わる方を恐れる」と心理を読み解く。
突破口はあるのか。山崎氏は、職場でのパンプスなどの強制に抗議する女性たちの身近な運動「#KuToo」の広がりに着目する。「当事者が.痛いと声を上げれば、個人の不満は共感され、集団で現状を変える力になる。・・政策も同―じ。若者が直面する貧困や奨学金といった切実な問題だって、当事者がおかしいと声を上げれば、政治も転換できる。そのことを知ってほしい」
うーん。このような運動が全体的な突破口たりうるのだろうか。「#KuToo」やLGBT容認の運動の広がりはあっても、どうして政治的な運動は十分な広がりを持てないのだろうか。
文末の「デスクメモ」が、率直にその苛立ちを露わにしている。
「この記事は大半の現状維持、選挙無関心派には届かないだろう。彼らは新聞はおろか、テレビやネットでも選挙の話題に触れず、投票にも行かないからだ。
ヒドイ現実に直面しても、自己責任に帰してしまう。だが、それは美徳ではない。この国の主権者として責務を果たして欲しい。」
これ、運動に携わる者にとっての、永遠のテーマである。
(2019年7月13日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.7.13より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=12953
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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