これ以上の東京オリパラ「ぼったくり」被害はごめんだ。政府は、直ちに「損切り」せよ。

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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(2021年5月9日)
ワシントンポストが、東京オリンピック中止を促す記事を掲載したとして、話題になっている。執筆したのはサリー・ジェンキンスという、その道では著名なスポーツジャーナリストだという。世間が注目したのは、IOC会長トーマス・バッハを「ぼったくり男爵」と揶揄し、主権国家日本が恐れ入る必要はないとしたその姿勢にある。

何より「ぼったくり男爵」という訳語のインパクトが強烈で素晴らしい。なるほど、確かにあの連中は「国際ぼったくり一味」である。それだけではなく、国内にもこれに与しての「おこぼれ・ぼったくりグループ」が存在し、国際・国内のぼったくり屋たちから二重にぼったくられる国民の怒りに火を付けたのだ。

その話題の記事の全訳を、クーリエ・ジャポン (COURRiER Japon・講談社発行のオンライン誌)が掲載している。やや長文だが、面白いし説得力がある。ぜひご一読を。
https://courrier.jp/news/archives/244435/

ワシントンポスト記事のタイトルは、「日本政府は損切りし、IOCには『略奪するつもりならよそでやれ』と言うべきだ」というもの。日本政府に「損切り」(ロスカット・loss cut)を勧めている。これは面白い。

「損切り」(ロスカット)は相場用語である。損の拡大を防ぐために、手仕舞いして現状の損を確定させることをいう。損を取りもどさねばと、損切りの機を失すると大損をすることになる。相場の格言では「見切り千両」と言い、また、「損切り万両」とも言う。

ワシントンポスト記事は、これまでのオリパラ準備のための資金投入を「投資」に見立て、「利益の回収」にこだわってこのままオリパラを継続すれば際限なく出費が嵩んで、結局は「大損」することになる。それよりは、オリパラ中止という「損切り」を断行して現状の損を固定し、以後の出費を抑える方が結局は大きな得になると忠告をしているのだ。

しかし、損切りは心理的になかなか難しい。博打打ちは、「もう一勝負、次ぎこそ挽回」とのめり込んで身を滅ぼす。博打打ち同様、太平洋戦争の責任者だった昭和天皇(裕仁)も、敗戦必至の事態となりながら国体の護持にこだわって、「もう一度戦果を挙げてから」と固執して傷口を広げ、この誤りによって国を破滅寸前にまで追い込み、国民に塗炭の苦しみを余儀なくさせた。

以下は1945年2月14日、いわゆる「近衛上奏文」提示時のやり取りである。早期戦争終結を縷々上奏する近衛と、裕仁の最後の会話。
(裕仁)もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しいと思ふ。
(近衛)そう云う戦果が挙がれば誠に結構と思はれますが、そう云う時期が御座いませうか。之も近き将来ならざるべからず。半年、一年先では役に立つまいと思ひます。

相場を張っている張本人は裕仁である。近衛は、事態を客観的に見れば挽回不可能なのだから損切りせよと勧めているのだ。しかし、博打を打っている本人が、話を聞こうとしない。「もう一勝負をして挽回してからでないと」と結局耳を貸さなかった。このあと、全国の主要都市が焼夷弾に焼かれ、沖縄の凄惨な地上戦での犠牲を出し、あまつさえ広島・長崎の悲劇をもたらした。この誤った指導者の判断による犠牲はあまりにも大きい。

ワシントンポスト記事の「損切り」に関わる部分は下記のとおりである。

日本の指導者たちがすべきなのは損切り、しかもいますぐの損切りである。

 残り11週間のいま、この取引の残りの部分からきっぱり手を引くべきなのだ。オリンピックの費用は非合理的に膨れ上がるのが常だ。

 世界的なパンデミックの最中に国際的メガイベントを開催するのは非合理的な決定なのである。損を取り戻そうとして損の上塗りをするのも同じくらい非合理的である。

 いまのこの段階で夏季五輪の決行を考える人がいるとしたら、その主要な動機は「お金」である。たしかに日本は五輪開催のためにすでに約250億ドルを投じてきた。だが、国外から来る1万5000人をバブル方式で外部との接触を遮断するとしたら、その追加費用はどれくらいになるのだろうか。

加えて毎日の検査実施などの一連の規程もある。警備も実施しなければならず、輸送や大会運営に関連する巨額費用も出てくる。大きな災害が発生してしまったときのコストはどうするのか。」

「国際オリンピック委員会(IOC)のフォン・ボッタクリ男爵と金ぴかイカサマ師たち」によるボッタクリの被害者は、私たち日本国民である。このまま座して事態の推移を看過すれば、損失は膨らむばかり。早急の損切りが是非とも必要なのだ。ふくらむ損失とは経済的なものばかりではない。医療の崩壊がもたらす国民の生命と健康の損失が必至ではないか。

記者サリー・ジェンキンスはこう言っている。「中止はつらい。だが、それが弊風を正すことにもなるのである。」 

損切りをもっての東京オリパラ中止に躊躇してはならない。痛恨の裕仁よる終戦遅延の罪や、原発再稼働の過ちを繰り返してはならない。そして果敢に辺野古新基地建設の中止もしなければならない。これをにに「損切り」して、国家プロジェクトの撤回ができる日本となれば素晴らしいことではないか。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.5.9より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=16856

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion10853:210510〕