ごく簡単に(ちきゅう座総会について)

平行線の議論があります。

新自由主義者やリフレ派の理論がそれです。

しかし、その平行線に対して、どちらを信じるにたるものがあるのか?

それぞれが主体的にどちらを選択するのか?

この議論になると考えています。

剰余価値はどこにどのようにあるのか?

それともないというのか?

または、労使の賃金闘争や対立は何にもとずいているのか?

金融と財政赤字、国家と経済の支配についての手放しではない「経済学批判」は、進んでいるのか?

 

更に、政治経済学としての植草一秀さんの「戦争と弱肉強食」ではなく、「平和と共生」とは。

資本主義社会とは、弱肉強食の世界、しかも、既に、帝国主義的独占が、完成されている世界ではないのか?

ピケティや水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」をどの様にリフレ派は、論破出来ているというのかの問題であろうと考えています。

 

政治運動や反安倍、戦争反対、原発被曝訴訟を抱えている皆さんにとって、経済問題や政治歴史問題は、遠い故に、沈黙している分野となっているのかもしれません。

一般の方、市民、大衆にとっても遠いものとなり、政治の話は、タブーとされがちです。

 

しかし、この問題は、興味深く面白いものでもあるのです。

かつて大江健三郎さんと立花隆さんの対談があり、大江健三郎氏は、プラトン哲人政治の理想を語っていました。もっと、インテリならサルトルやマルクスについて、直裁に語れよと子ども心に思っていましたが、人間の産まれてから死ぬまでの基本的本質は、変わりはしない。

中国を語る場合、儒教思想的側面からも語られています。

ただ、似非進歩史観者のみが惨憺たる資本主義的破滅を受け入れ難く、断層を語るものが、ネットに蔓延していると言う危機が、リベラル21の岩垂さんの話からも出ていたのです。

 

問題は、山積みなのです。

皆さん、力を合わせて頑張りましょう。

真実は、ちきゅう座やリベラル21の中にあるのです。