ちきゅう座の記事に関連して、妄想を逞しくしてしまいました。
切っ掛けは、例のオウム事件でした。 これは、本当に不思議な顛末でした。オウム真理教信者一派による「武力革命」の企みが武装蜂起の段階で頓挫し、一味が逮捕されたのですが、何故か、本来は、罪に問われるべき刑法第79条の「内乱罪」は不問にされ、一般の刑事事件に準じて罪責を問われることになったのです。 彼ら一味の罪責は、刑法第79条第1項に云う「 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした」に他ならないのは一目瞭然でしたのに。
マルクス・レーニン・毛沢東、その他諸々の片言に惑わされた世間知らずの学生に依る「革命ゴッコ」とは違い、銃火器類や大量破壊兵器を準備し、武力蜂起に依り政権奪取後の国家経営も視野に入れた本格的な武力革命の実施段階で未然に防がれたのが実情です。
さて、彼らと「革命ゴッコ」の各種「極左暴力集団」とに一致する点があります。 それは、教義に反する「背教者」に対する慈悲の無い制裁です。 どちらも、宗教には違いありません。 盗人にも三分の理と云いますが、鰯の頭とマルクスその他の片言とでは、大した違いがありません。
そうは云っても、私の年代の者は、一度はマルクスその他も読んでいます。 私は、経済学の分野では、原始的資本主義の分析に観るものは、確かにありますが、その他は、妄想に近いものと感じました。 こんなものに未だに取りつかれておられる識者が居られる事実は、私には理解出来ません。
宗教が、妥協の無い崇拝を求め、背教には無慈悲であることは歴史が示すところです。 キリスト教やイスラム教の歴史を観れば明らかですし、所謂、社会主義国家が殺戮した人々は、恐らく数千万人の単位で、ナチスドイツ等は比較にならない単位でしょう。
昨今、又もや新しい宗教が蔓延っています。 それは、「地球温暖化教」です。
この新しい宗教も、また、背教には、無慈悲で、それが、旧共産主義者が赤旗を緑旗に染め直して振っている事実を証明しています。 旧教と連続した真理は、反資本主義です。 非科学的な竹槍精神で、「自然エネルギー」とか「生物多様性」とかが新しい信心の対象です。 どちらにしても、反対する者には、無慈悲なのはスターリンと同じです。 御用心。 御用心。
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