日本における反知性主義、大資本における圧倒的翼賛体制状況に対して、貧困する地球人民側としての「良心、知性、論理」としての体系化は、どこまで進んでいるのだろうか?
甘利問題で支持率が上がっている様では日本も末期に来ていると言うしかないだろう。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-c130.html
関心そのものがない。どうにでもなれと考えている人が実は多いと言う事なのだろうか?
しかし、何故、この様な日本の知性の危機現象が起こっているのかについては、最大限に考察を必要とされてもいるだろう。
ニュース23は、2月1日放送にて。
エマニュエル・トッド氏のインタービュー。
http://revolutio.exblog.jp/22839344/
更に、昨日の再放送(前半見逃して残念…)
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/2016special/
「資本主義という言葉が広い意味で使われ始めたのは、20世紀初頭になってから…いささか恣意的ではあれ、そうした使い方は、1902年に出版されたヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart 1863-1941)の有名な『近代資本主義』に始まる、と私はみなしている。この言葉は、マルクスでさえ、知らなかったはずだ。」(pp.71-72)
https://chikyuza.net/archives/59976
ブローデル『地中海』
http://revolutio.exblog.jp/22839365/
上記のブローデルからトッドまである意味、高度な頭脳の展開は、全く、貧困化しているちきゅう座、左翼の論理展開から外れるものではないのだが、世間は、何故、どこが、理解に届かないものとしているのだろうか?
池上彰的そして、佐藤優的段階としての限界…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10146340310
(動画)プライムニュース「なんと佐藤優が初登場!2016年世界情勢と日本」
https://www.youtube.com/watch?v=z3bSCXyXMDo
【ちきゅう座経済学の論点と乗り越えは如何にして可能か?】
日銀のマイナス金利について
https://chikyuza.net/archives/59970
市場経済について
https://chikyuza.net/archives/59627
税制からの改革、日曜討論(小野寺五典VS小池晃)…いつもながら、生活の党枠を出さないNHKの姿勢が許せないが…。
植草ブログでも
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a6dd.html#search_word
「格差是正へ累進課税の強化は」と言う議論が後半部にあったが、いつもの様に、税逃れの為に海外に逃れてしまうと言う話となり、
金融資本主義操作アベノミクスの政策を正当化する議論において思考停止している。
それを、本来、打ち破らねばならないはずであり、日本から逃れて、税制の低い国、アジアの国々に逃れるなら逃がしてやって、残った人によって、真に日本を愛する人によって、教育改革、更に、例えるならジブリ、サンライズに続く文化改革と産業としての見極めから開始することは出来ないものだろうかと常々、考えないわけにはいかない。
労働賃金の安いところとして、かつては、中国を目指した企業の在り方があったのだろうけれども今は、日本企業支配さえ用済みとなり中国は自立の道を歩み、更に、安いアジアの国々に逃れていくと言う事であるのだろう。
産業や仕事を求めているその世界に逃がしてやり、更に、日本に本当に残りたい真愛国者としてそこの人を愛し、文化を愛する人によって、築いていく経済的不平等を肯定する方向だけのアベノミクス、更に、TPPにNOと言う論理を何故、小野寺五典に対して、小池晃氏が、明確に主張できないのだろうか?
まさに、バス事故(事件)も食の安全を脅かしている廃棄物が出回っていた事件も大企業に潰されたる末端労働の貧困によるものであった事が判明しつつあるだろう。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9836.html
ダイエーがなくなり、西友やイオンが、商品流通を競い合っている。生協は、それなりの位置にあるのかも知れない。
個人商店、商店街もないわけではないが、影が薄い。
安全で、安ければどこでも良いのであるが、生協化の限界がある理由は何故であるのだろうか?
必要な労働を必要な個所で配分していきたいものだ。
しかし、それを脅かしつつあったのが、バス事故や廃棄物の再利用商品化の問題でもあったのだが、
下請け労働、小会社も消費者も巨大流通からはじき出されている構造への疑問へ再び向き合えずにいる延長上に、
TPPもあり、医療の商品化グローバリズムもあると言う構図を問わねばならないのではないだろうか?
税からメスを入れていくべきか?
産業や教育の在り方からメスを入れていくべきか?
いずれにしても大資本が大資本を引き入れる実体経済から遊離したる金融資本主義の支配、更に、政治、選挙としての政党の在り方からおかしくなっている事を説明に乗せていかねばならないのだが、一筋縄ではいかないものもある。
また、
介護と子育ても同じ位相にある事がわかる。
http://www.nhk.or.jp/special/mama/
共同体の中で営まれていた事、その助け合いの中で出来ていたものが、極端な商品化、プライベート牢獄化としての閉じ込めの中で、分断されて来た問題点があるのだ。
医学的無知から薬漬けとされたり、教育もQ&Aとしての対話にはならず、知識として横にしか広がらない捉えどころのないけむに巻いた構造、安倍晋三政治的なかみ合わない答弁によって、政治不信を助長させるあり方が、随所に、物神性としてなされる資本主義ブルジョワ性の支配に対して、まずは、生命、命から開始する解放としての医学を基調にしながら、商品的に分断されたる破片を集め合わせる作業から再び開始しようとするのが、ちきゅう座的対話としての展開として今後に期待するわけであるのだ。
【ちきゅう座歴史学の論点と乗り越えは如何にして可能か?】
池上彰解説でも、イスラム国を作ったのはアメリカであるとはっきり述べている。
しかし、「アラブの春」やフセイン独裁者打倒として、良い事をしようとして結果として、裏目に出たと西側信奉者は、したいんだろうか?
ベトナム戦争の教訓がある。
更に、
『朝鮮戦争の起源』
http://revolutio.exblog.jp/22839679/
アメリカ的な地中海的なグローバリズム資本主義の高橋源一郎氏が、「平和論」にて述べてきた様に、全く、歴史から学ばない繰り返しを行っていると言う事であるのだろう。
時間切れなので、ここで続く。