二〇二一年十二月八日。政治家や軍人の多くも昭和天皇も、アメリカの国力、軍事力に勝てるとは思わないままに、真珠湾攻撃で第二次世界大戦に突入して八〇年でした。それから一週間後の十五日は、憲法二六条(教育権)と一体とされた一九四七年制定の「教育基本法」が、わずか二年間だった第一次アベ政権の手で大改悪されて十五年目でした。どちらも、国の在り方を誤らせる暴挙だと思います。
❖法の主旨を逆転させた教基法の大改悪
十五年経っても大改悪を強行された悔しさ、無念さは消えません。
この大改悪で教育は、学ぶ人たちのためから国家や社会のために為し得るように逆転されてしまいました。憲法二六条の「教育を受ける権利」は学習権(学びのための教育の保障)として理解されてきましたが、文字通り与えられた教育を「受け取る」権利に捻じ曲げられかねません。国家・社会の必要に応じて、人材づくり、国民形成ができることになります。
大改悪の主なものを挙げてみます。まず前文。憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきもの」が削除され「公共の精神を尊び」が加えられました。
第二条の「教育の方針」が「教育の目標」に変えられ、社会の発展に寄与する態度、伝統と文化を尊重し国や郷土を愛する態度など五項目の「態度」や道徳心を養うことを規定。これらの目標は、第一条の「教育の目的」に反するように思います。「態度」を教えるとは、教育の根本が道徳教育ということをも意味しています。
元の教基法の第一〇条(教育行政)も〈裏返し〉にされました。この大々改悪でその後、国家、行政、政治による統制、介入、干渉がひどくなりました。教育は「国民全体に直接に責任」を負い、教育行政は条件の整備確立のみを担うとの規定(つまり独立と自治)が消え、国や地方自治体の行政が「教育施策」を策定し実施するようにされました。教育委員会(教委)の独立性が崩されたのです。
❖教育の戦前化、教育する国家の復活
第二次アベ政権(二〇一二年一二月)からの八年間で、改悪教基法の具体化と云うべき学校教育制度の改悪ラッシュが続き、いわば〈戦前化〉が進められました。
第一次アベ政権後の自民党政権下で、教員免許更新制。十年余も教員を苦しめました。二〇一二年の第二次政権復帰以降、「教育再生」の名で、国家による教育=学校教育の戦前化(戦前型教育の再生)が急進、政治的な介入が顕著になりました。(ちなみに、最近「正論」を表明しまくっている前川喜平氏はこの間、「面従腹背」だったそうですが、文科省事務次官まで順調に立身出世、でした。)
教育無償化からの朝鮮高校の排除、教科書への政府見解の記述の押し付けなど検定基準の改訂・強化、教育長を教委の代表とする制度改革と自治体首長と教委が協議する総合教育会議の制定、道徳教育の「特別の教科」としての教科化(評定も)と検定教科書の発行、二〇二一年度からは教育のデジタル化(GIGA教育構想)が実施されました。
この構想は、人材教育と教育産業振興を押さえる経済産業省と情報・通信行政所管の総務省が「主導」の構造で、まさに国家による教育内容・方法の導入です。文科省は下請け、教育委員会は二次下請け、学校は三次下請け……と言ったら穿ち過ぎでしょうか?
初出:「郷土教育750号」2022年1月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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