◆民法改正、監護・懲戒権は残された
民法 第四章 親権 第一節 総則(親権者)第八百十八条 成年に達しない子は、父母の親権に服する。第二節 親権の効力(監護及び教育の権利義務) 第八百二十条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。(懲戒)第八百二十二条 親権を行う者は、第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
民法の「親権」に関する条文の一部です。今年五月に改正され、傍線部分が加えられました。また、家庭裁判所の許可を得て「懲戒場に入れることができる」という条文は削除されました。「児童虐待の防止等を図り、児童の権利利益を擁護する観点」からの改正とされます。)
親権と監護・教育権、懲戒権を理由にした、親による子どもへの支配・抑圧、しつけと称する暴力・虐待などの多発を防ぐのが改正の主な理由です。でも親による抑圧や虐待は、子どものためを思って、と弁解されるのが常。しっかり「監護・教育をしている」というわけです。
しかも、教育基本法大改悪で社会教育から分離独立された家庭教育ですが、多くの自治体で制定された家庭教育支援条例では「生活に必要な生活習慣を身に付けさせる」こと、つまり「しつけ」が親の責任とされています。
◆専ら〈られる〉対象でしかない子ども
子どもに関する大切な文書に「児童憲章」があります。一九五一年五月五日にのこどもの日に、首相が主宰の児童憲章制定会議が定めた宣言です、ある解説では、「子を親の従属物とみる戦前の児童観がまだ十分に正されていない状況」の中での宣言とされます。
前文は「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福を図るために、この憲章を定める」と謳います。元の教育基本法の前文が思い浮かびます。しかし三項目の総則、十二項目の本則では、〈られる〉がズラリと並びます。総則の「人として尊ばれる」「社会の一員として重んじられる」は新しい子ども観らしいのですが、三番目の「良い環境の中で育てられる」から、保障される、与えられる、まもられる、教育される、みちびかれる、指導される、保護される……子どもは、られる・される対象、受動的存在でしかありません。
戦後に大切な意味を持った児童憲章ですが、役割は既に終わっているのです。
◆子どもが「服する」制度は違憲だ!
子どもが「服する」ような「権」(権利というよりも権限、権力です)があることが問題だと考えるべきです。服従、服属、服務などの「服」。誰かが誰かに「服す」など、あってはならない違憲の規定です。
恵み深い家父長たる天皇の赤子(せきし)として服した時代の民法の規定です。
「監護」も「取り締まりまもること」「監督し保護すること」で、「監督」とは「指示に従うよう指揮・命令し、監視すること」で、「服する」延長です。親権は部分修正でごまかすのではなく、子どもを親の従属物と扱う戦前の規定として、まず廃止するのが正当な考え方と言うべきです。
親(保護者等)には、子どもの権利・基本的人権を守る、第一次的な責任と権利があるとして、親の〈子どもの権利・人権擁護権〉のような構想を検討してはどうかと思います。子どもの〈善き同伴者・共生者〉の親として。 (読者)
初出:「郷土教育760号」2022年11月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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