ていこう原理25 世田谷区の総合教育会議と教育大綱

◆子どもも参加した総合教育会議
 東京・世田谷区の総合教育会議に、小中学生7人が参加して、活発に意見を述べていました。その議論を経て「教育大綱」が策定されました。首長が主宰する総合教育会議に、こんな使い方があるのかと考えさせられました。
 「子ども」の捉え方に小中学生たちから「うれしい」との発言もありました。教育長からは、「教えて→学ばせる」学校教育を変えたい、との発言もありました。あえて、大綱の全文を紹介します。
◆子どもも発言し決まった教育大綱全文
 学ぶとは、自分自身を見つめなおすこと。これからやってくる未来に向けて、あたたかく充実した日々を送るために、身体まるごとで問いかけ、思考を深めて、成長をはかる。
これからの時代、最大の課題は「人類と地球の共存」となる。しかも、にわかに正解のない課題であり、子どもと大人は険しい道を行かなければ生き延びることが出来ない時代だ。
 「いま」に交錯する難しい課題につい て、わずかな可能性も見逃さずにとらえ、語り合い希望を紡ぐ。そのために、「いま」を感じて、人と人が力を合わせて認識を研ぎ澄ます学びが、明日をひらく。
 この時代に生まれ、地球で暮らすすべての人々が、互いをいつくしみ、助け合って、生命の鼓動をつなぎあう。学びは人を豊かにして、しなやかで強い意志を育てる。その学びを糧として、次世代にとってより良い社会を実現するために、人は働き、支え合い、生きる。
 学びの権利は、誰もが持つもの。その保障と実現こそ、「世田谷の教育」が目指す礎である。さらに、学びの権利を分け隔てなく実現する「誰一人取り残さない社会」を構築していくために、私たちは「世田谷の教育」の意義を共有し、高めていく。
 人はひとりひとり違う。性別も、年齢も、育ち暮らす環境も、資質もそれぞれだ。学びの場での気づきや、学びを深める速度やリズムも、それぞれ異なる。それならば、学びのあり方も多様となる。
 学びの場は、学校だけでなく、家庭であり、地域であり、地球全体だ。また、学ぶ人は、赤ちゃんから、子どもであり、大人である。子どもは、「未熟な大人」 として、くくれない。
大人が忘れかけた理想や希望により近い、個性を持った「独立した人格」だ。大人は子どもたちの個性を引き出し、「いま」を生きる日々を大切にして、尊厳をもって成長し、学び、遊び、友情を育てる環境を創り、一歩一歩を踏み出せるように、寄り添い導く責任を負っている。
 まさに、人間として誰もが持つ生命の鼓動を、やさしく受けとめ、可能性と未来への道を引き出すのが「世田谷の教育」であり、子どもも大人も、「世田谷の教育」を創り出す当事者なのである。
 ともに人類全体の課題解決に取り組む姿が,私たちの明日をつくる。(原文は、総ルビ付きです)
◆国民全体に対し直接に責任、誰が‼
 首長主宰の会議は、教育行政への政治介入の制度だと、批判的に見てきました。しかし考えると。教育行政の独立性はすでに崩され、「全国民に直接に責任を負う」との規定(旧教基法)もありません。一方で民主主義の政治家は、市民(国民)への責任を負っていると言え、教育への発言、政策提言もあり得ます。公開の場での主張、議論こそが大事です。
 会議への子どもも含む市民の参加(傍聴だけでなく)や意見表明の機会の工夫など、より開かれた総合教育会議を、ぜひ実現したいものです。(読者)

初出:「郷土教育774号」2024年1月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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