◆違いを見抜いている子どもたち
能登やトルコの地震災害、ウクライナやパレスチナ・ガザ地区の戦争被害。毎日のように市街の破壊の映像を目にします。破壊のひどい市街の様子の映像は、見た目では違いは分かりません。
小学校六年生の社会科の「戦争体験講話」の授業に参加の機会があり、地域の高齢者から農村地帯でも低空飛行の戦闘機から機銃掃射を受けた恐怖などの戦時体験を聞いた後に、質問をさせてもらいました。見た目はほとんど変わらない、能登とウクライナやガザの破壊された市街の映像、その違いををどう見るかと問いかけました。
すると、すかさず、能登は天災だけど、ガザなどは人による破壊の人災だと、違いを指摘する声が返ってきました。素早いだけでなく、天災は防ぎようがないけれど、戦争被害・人災は人の力で防げるはずの破壊だ、との指摘もありました。
質問した大人としては分かっているつもりながらも、この反応に接して、《子どもたちに教えられた》という、強い気持ちがあらためて湧きました。子どもたちは、「戦禍」としての破壊を、しっかりと認識してくれているのだと、うれしくもなりました。
◆イスラエルの戦果、ガザの戦禍
イスラエルは、ガザ地区への強力な攻撃の戦果を誇示しています。例えば、イスラエル軍は「これまでに、パレスチナの戦闘員1万人を殺害し、さらに1万人を重傷で戦闘不能にさせた」と声明した(ロイター)など、人を殺した数を、まさに戦果、「華々しい戦闘の成果」として誇っているのです。殺したのが《戦闘員》だから「戦果」なのでしょうが、おそらく彼らにはガザ市民(民間人)の死亡数も戦果の一部なのでしょう。
ガザ市民の犠牲者は、すでに3万人に届くほどになっていると伝えられます。二〇二三年末で2万人、その七割は女性と子どもと言われます。能登や熊本地震で亡くなった人は3百人近くですが、ガザでは毎日、平均3百人が犠牲になっているとも伝えられます。
これらの死者は、もちろん「戦禍」です。戦争がもたらす「わざわい」です。だれも生活感覚で果報の「果」と思うわけはありません。天災でなくなった人の3百人とその重さを考えると、人知で避け得るはずのガザの3百人には、別の重さを感じさせられます。
◆天災のなかに人災のカゲを見る
天災と人災。天災は人知では避け得ないが、戦争はなくせるよねと、子どもたちに語りかけましたが、その後に、それでよかったのかと疑問が湧きました。地球沸騰とも言われる異常気象、大雨・大洪水やひどい乾燥と山火事、生態系の異変などは、人類の過剰な活動が大きな原因だと指摘されていること(いわゆる人新世)を踏まえると、天災も人知でかなり防げる、と考えなければいけないのでは、という疑問です。
ゴリラ研究者として知られる山極寿一氏は、「人類の700万年に及ぶ進化史の99%以上は戦争がなかった。約1万年前から定住と所有が人類の暮らしの中心となり……(戦争が始まった)」と述べています(毎日新聞2024・2・10)。つまり、定住・都市化、生産拡充・所有の増大、そのための武力の増強とそれによる支配の拡張……です。
地球環境の破壊も戦争も、人類の活動史に刻まれている。そんなことを思考させられた六年生の授業でした。(読者)
初出:「郷土教育775号」2024年2月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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