ていこう原理30 変えられた9条と、変えさせぬ9条

◆変えられていた元の教基法9条 
 「9条の改悪は条文を変えずに進められる」というタイトルの20年前の原稿のコピーが出てきました。自分が書いたものですが記憶が薄く、憲法9条についての文かと思い読んでみると、元の教育基本法(47教基法)の9条についてで、現実は改悪され、その後の心の教育問題や、自衛隊の靖国問題などにつながる改悪でした。はずかしいことに、愛国心の教育の目標や教育行政の政治権力からの独立性の切り崩しなどに気きをとられ、9条の条文の改悪をしっかりと認識していませんでした。
 47教基法第9条の第1項は、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活にこける地位は、教育上これを尊重しなければならない」ですが、改悪教基法の第15条では後半が「…宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならないと変えられているのです。
 微妙な改変です。「宗教に関する一般的な教養」が加えられ、「尊重しなければならない」が「…されなければならない」と受身表現になってのです
◆47教基法9条改悪と教育の改悪
 20年前の文のサブタイトルは「『心の教育』という国民精神づくりと動員の策動」でした。2002年に『心のノート』が発行、配布され、03年には中央教育審議会が、47教基法9条の改定は見送ったものの、「宗教的情操に関連する教育」として道徳教育の拡充を推進し
ていました。
 47教基法9条について、20年前の文には、こう書きました。
 「この条文は言うまでもなく、国民の心を縛り支配した天皇制国家体制の装置としての国家神道と、それと一体化した国家の教育体制のもたらした惨禍の歴史への反省を踏まえています。国家(その権力を行使する政府)は、『国権の発動としての戦争』を放棄(憲法9条)したように、『国権の発動として教育』も放棄し(つまり教育や宗教を国家目的の実現のための道具として使わない)、そのことを憲法、教基法に明記して約束したのだと、私は思います」。
 こうした、戦前回帰の動きの中での、47教基法9条の改変だったのです。改悪教基法15条に加えて規定された「宗教に関する一般的な教養」とは、宗教の教えと道徳の徳目の境を越境させる考え方だというべきでしょう。
◆空洞化させない! 変えさせない‼
 制服姿の自衛隊員が靖国神社に集団で参拝など、戦前の体制への復活を示そうとするような動きが露わです。靖国は、戦前の軍国主義の精神的支柱でした。国国家神道の中心的な施設でもあります。
 こうした動向に対して、憲法9条だけでなく、20条も空洞化されつつある、との指摘も出ています。「国家神道を解体した20条と軍隊を解体した9条は、自由を確保する基盤です」という憲法学者の指摘もあります(朝日新聞2024・3・20、斎藤小百合さん)。
 改悪の後の、心の教育、道徳教育の国家統制や支配、管理の拡大を見れば、やはり二つの9条も自由と平和の基盤だった、思わざるを得ません。その一方が改悪された後の20年の現実です。
 憲法9条も、解釈改憲、空洞化が目立つ状況ですが、条文そのものにこの9条精神が籠っており、条文自体に〈力〉があると信じて、条文の改変は阻止したいと、思わずにはいられません。(読者)

初出:「郷土教育778号」2024年5月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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