ていこう原理 15 一緒が当然の「普通」学校・学級へ変革を

◆なぜできぬ「一緒」、元教育長の嘆き
 「インクルーシブ教育を進めたいと予算を付けても、丁寧な個別教育になってしまう。なぜだろう? 残念でならない」。
かなり以前のことですが、退任した教育長が、このように嘆かれました。この発言が忘れられません。おそらく、教育行政組織がインクルーシブ指(志)向になっていないからだと言わざるを得ませんし、今も変わってはいないと思います。指(志)向は、文部科学省に向いているからです。
 なぜなら、国連の障害者権利委員会からダメ出しされた特別支援教育(特別支援学校、学級) があるからです。文科省は、「(障害のある子供に)一人一人の教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供」するために、「特別支援学級に在籍している児童生徒については、原則として週の授業時数の半分以上を目安として……(特別支援学級で)授業を行うこと」という通知を発出しています(二〇二二・四・二七)。国連委員会の勧告後も取り消したとは聞きません。
この通知に対して、障がい児も共にの教育が進んでいる自治体の教育長は、「市の障がい児教育とは異なるので、戸惑っている。この障がい児教育をすすめてきたことで、子どもたちは変わってきている。昔にくらべ、ともに生きるということが、すすんできていると思う」と述べています。
◆許されぬ障がい児受け入れの地域格差
 障がい児の中でも、医療的ケアを必要とする子に関しては、「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」があります(二〇二一・九施行)。同法は基本理念で「医療的ケア児が医療的ケア児でない児童と共に教育を受けられるよう最大限に配慮」を求めています。
 相模原市にも、きょうだいと同じ地域の学校で共に学ぶことを求め、自主登校もしてきた子がいます。願いが叶えられて、五年生の新学期をみんなと一緒に迎えられるよう強く望まれます。支援法は、「普通」学校への受け入れは定めていませんが、自治体には「その設置する学校に在籍する医療的ケア児に対し、適切な支援を行う責務」を定めているのに、です。
 市長が、「人権尊重のまちづくり条例」(仮称)の制定を目指す相模原市、そして優生思想により障がい者が殺傷された津久井やまゆり園事件の起きた相模原市での、〈みんないっしょ〉がすすまない現実です。
 川崎市で、同様に「普通」学校で学ぶことを認められなかった医療的ケア児は、多摩川一つを越えた東京都世田谷区に転居して、すぐに地域の学校に受け入れられました。自治体と学校がその気になれば、実現は可能。住んでいる自治体による格差は、あってはならないはずです。
◆まず一緒、その上で「個に応じた教育」
 分離しておいて、その上で一人一人に丁寧な個に応じた教育という発想が、逆立ちしていて間違っているのです。国連障害者権利委が、特別支援教育は分離教育と中止を勧告したのは当然です。
 インクルーシブ教育とは、「障害のある子とない子が同じ場にいて一緒に学ぶこと。そのために学校や教育の仕組みを変えることまで含んでいる」「分離教育の先には分断された社会がある。『障害を理由に分けていい』というメッセージを子どもに伝えてしまうからだ」(毎日新聞二〇二二・一二・一三、一木玲子さん)。
 インクルーシブは、教育だけでなく、学校や学級そして社会が多様性を認め合い、差別、排除をしないように変化することを求めているのです。  (読者) 

初出:「郷土教育763号」2023年3月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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