◆はだしのゲン、第五福竜丸の削除
広島市の小中高校で使われてきた平和教材『ひろしま平和ノート』(平和教育プログラム) から、『はだしのゲン』と第五福竜丸が「消える」 ことに対し、削除の撤回を求める運動が広がっています。
「いまやゲンが被爆の伝承の象徴的な存在」( 朝日新聞2023・2・20、天声人語) と言われる、中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』。反核兵器運動が高まる大きな契機となった、核実験による被曝漁船の第五福竜丸の記述。これを削除すると、同市教育委員会が決めたのです。
ゲンは小3と高1向けで漫画の一部を掲載、小3では6㌻にわたるとのこと。福竜丸は中1向け教材で記述されているといいます。なぜ削除するのか。報道から拾うと、「漫画の一部を教材としているため、被爆の実態に迫りにくい」「児童の生活実態に合わない」(中国新聞) 、「いまの時代になじまない表現がある」「コイを捕る池が他人の家の庭であることから誤解を招きかねない」(毎日新聞) など。
どれも、核兵器への脅威と危機感が高まっている現在に、ゲンや福竜丸を教材から削除する理由としては、まるで納得し得ないものです。学校現場や教員たちの実践力や工夫には任せていられない、教えやすい教材に差し替える必要があるといった、行政主導の口実のようにも聞こえます。削除するな、の声が大きいのも当然です。
◆学級に「ゲン」を持ち込めないのか!
それでも、気になることがあります。学校現場と教職員に、〈削除理由をクリアするだけの実践と工夫の力と自由〉があるのか、ということです。日常の教育実践が官製の教材頼りになってはいないか、と振り返ってみてもいいと思います。
広島県には、県教職員組合が実践を積み重ねた、自主的に編成された平和教育があり、その平和教育が県教育委員会による「攻撃」で潰された歴史があったと記憶します。教室に掲示されていた平和カレンダーは一掃されてしまいました。
多くの教職員たちが、自ら問い学び、自主的に教材を発掘し、編成し、自分の言葉で子どもたちに問いかけ対話するような気風があったのだと思います。そうした自主編成の精神であれば、たとえば 「漫画の一部」 に問題があるなら、10巻なり数巻の『はだしのゲン』を教室に持ち込むかもしれません。教員自身の戦争や被爆の知識などの不足を自覚すれば、当然に体験者やその伝承者を教室に招いたり、社会見学などと組み合わせたりする工夫もするでしょう。
◆教師の学ぶ自由、教育の自由こそ大事
じつは並べられた削除理由は、子どもたちだけではなく、教員たち自体にも当てはまるのだと思いす。教員たちも、戦争や被爆の実態( 実相) など知らないし、 生活実態も合わないはずです。だから、教員たちが、教室で教える前に、自ら問いを持ち学ぶことが求められるのです。
教員の長時間勤務が大きな問題になっていますが、より大きな問題は、学校に教員の学ぶ自由、意見表明の自由などが無くなっていることだと思われます。学習指導要領が、学習(教育) 内容ばかりか方法にまで口出ししていると言われる中で、それに乗っていれば授業ができるのなら、教員に学ぶ自由などは無用です。
でも、自ら問い学ばない教師に教えられるのは、不幸ではないでしょうか。ゲン、福竜丸の削除は撤回させるべきですが、削除された官製教材に依存しない実践も追及してほしいと考えます。(読者)
初出:「郷土教育765号」2023年4月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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