◆人権・権利を嫌う法律、定めた条例
こども基本法は、法律名に「権利」が入らなかったものの、子どもの権利条約による権利の擁護を定めてはいます。しかし例えば、相模原市子どもの権利条例が「権利として保障」と定めている「自分の意見を表明すること/表明した自分の意見が尊重されること」つまり「意見表明権について、「意見を表明する機会及び多様な社会的活動に参画する機会」と定めています。「権利」ではなく「機会の確保」なのです。
いじめ防止対策推進法は、「教育を受ける権利」や「児童等の尊厳」はともかく、「人権」という言葉は使われていない、というより「排除」されたと言われます。「児童らは、いじめを行ってはならない」という禁止条文があり、いじめたとされた子に対しては、懲戒や出席停止などの罰則を定め、まさに刑罰法です。
相模原市いじめ防止等に関する条例は、
「自他の人権を守る心を育む」こと、「児童のいじめ防止に資する主体的な活動の促進及び支援」、そして「いじめを行い、またはいじめを受けた在籍児童への適切な指導及び支援」を謳っています。
同市は、人権施策の実施は不十分なのですが、この条例は人権・権利嫌いの法律の欠点をカバーしていると評価したいと思います。いじめ防止のベースは人権の保障であり、子どもたちは防止活動の主体であり、いじめた子といじめを受けた子のどちらにもケアが必要なのです。
◆〈だれかが与える〉のではない人権
権利・人権を嫌う法律と定める条例を対比してみました。こうした法律を制定した政権与党の自由民主党の憲法改正草案(2012年)は、「いまの憲法は、国民の権利を必要以上におもんじているため、国の大切な仕事をする政府や省庁などにとっては、迷惑なきまりがたくさんある」として、国民主権の縮小や基本的人権の制限、国に対する国民の義務強化などを主張しています。
また、「主役は国で、国民は国の一部」「国あってこその国民」として、人権規定の主語も国になります。さらに「日本の文化と伝統がある(から)…西洋の『天賦人権説』をまねればいいというものではない」と言って、いわば「国賦の人権」つまり「国あってこその人権」を述べているのです。
でも国があろうとなかろうと、人権・権利は誰もが生まれながらに持つのであり、天(神、絶対者)や国(権力者)が「与える」ものではなく、人類の人智が自ら闘い築いたもので(いわば人智創造説)、それがどう確保され保障されるかが大事なはずです。確保、保障に役立たない国などは。造り変えたいものです。
◆しっかり読もう憲法97条
まさに、憲法の第97条が大切なのです。自民党の憲法改正草案が、この条文を削除しようとしているのは、この条文の重要さの証左だと言っていいでしょう。改めて全文を記しておきます。
《この憲法が国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。》
個人的には、憲法の前文と、この97条を読むと、胸が熱くなる感覚があります。第1条や26条、「大臣」が出てくる第5章の条文など、改訂したい部分はあるものの、制定者たちの心情・真情が感じられると思うからです。(読者)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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