◆教師が教えていない知識はテストで✕
小学校5年の時の算数の余りの出る割り算の小テストで、0 点だった時の衝撃は、個人的な小さな出来事ですが、教育不信の原点になった精神的な大きな傷となりました。教科書を授業前に読み終えて知っていた記号を使用したための0点。もちろん、答えは全問正解でした。
教員が教えた知識・技能を、正統な正解として覚え、テストでは、教えられた範囲で、教えられたとおりに、答えを書くこと。(国家の教育の)授業で「教えた」こと、その知識が大事なのです。
こうした過程で、与えられた正解を公認の「正しい知識」として覚えるだけではなく、知識の在り方や知識への態度まで、じつは〈教育されている〉のです。言い換えれば、自己形成のための知識の獲得過程において、知識の多様でさまざまな条件やありようなどを知り、いろんな角度から認識し思考するという、大事な過程が狭められるということです。
◆1+1は、なぜ2なの?本当に2?
1個のリンゴと、半分に切ったリンゴの1切れを足したら、答えは2で正解でしょうか。正しい算数(数学)の知識では、正解はどうなるのでしょうか?
例えば、水1ℓとウイスキー1ℓを足したら2ℓになるか?もっと明確に比べれば、水1ℓと米1ℓでは?いずれも、2ℓにはなりません『1たす1は2にならない』(三浦つとむ著、国土社)からの借用ですが、かつて、4年生の教室で実演したら、ウイスキーでは「お父さんが好きなのだ」と声がかかり、米と水ではワァーともエェーともいうような声が起きました。
実際に、指折り数える実数の1は、多様なのです。ある例として、こんな話もあります。お兄ちゃんの友達が3人来たので、おやつにケーキを4つに分けて出しました。そこに、小さな弟が来て欲しがるので、お兄ちゃんのを半分に切って、あなたも1つね、と差し出しました。これが通用するのは、弟がいくつくらいまででしょy か?1切れでも、大きさや重さに気づくかどうか、小さくても上に大きなイチゴが乗っていれば納得するかもしれないのですが。
算数は、小学1年生でも「すう」の学問です。「すう」は観念であり「かず」とは違います。このような、知識の前提、条件、環境などをおさえることなく、数学的な正解を押し付けているのが「1+1=2」の正解知識なのです。
◆通信簿を欲しがる⁈親たち
通知表(通信簿)をなくした公立小学校が話題になったりしています。その発行は学校の自由ですから、必ずしも珍しいことではありません。
通知表廃止の新聞記事で気になることがありました。校長のリードで、教職員がしっかり議論して、総意で廃止を決めて実施。しかし保護者からは、通知表の代わりになるものが欲しい、高学年では数値としての評価が必要など、戸惑いと否定的な意見が多く出たという(2023・7・31、毎日新聞)。反対が半数を上回ったという。学業成績信仰か?
通信簿に、いい思い出のある父母がどれほどいるのだろう。1~5,よくできる・できる・もうすこし等の評価は、与えられた教育(知識)を、どれだけ受け入れたかの受容度数なのに、よく受容したら「いい成績」と喜んでいていいの?親たちにこそ、変わってほしい。(読者)
初出:「郷土教育770号」2023年9月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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