で、いったい何を「予防」するのでしょうか?熊王氏への疑問

大体にして熊王氏が私と蔵田氏のやり取りを「憲法解釈」論争に準えて不毛であるがごとく捉えるのは極めて的を失しているのであって、まずもって「憲法解釈論争」をあまりにも軽く見ていないだろうか。

 

ところで当局の直面している「ジレンマ」とは蔵田氏の解釈するような「本当は増えているのに」「過剰診断」としなければならないところにあるのではない。小児甲状腺がんの見かけ上の多発は「放射線被曝によるものとは考え難い」「一網打尽の集団検診による過剰診断である」とほぼ一致しているのに、検診の結果がんの疑いの強いものに対して、この検診とはまったく別個に甲状腺学会で過去に決めた甲状腺がんの手術実施ガイドラインに照らして、すべからく施術を進めて既にその数が100人を超えるところにまで至っているというところにある。繰り返しになるが事故前のこの国の「声がかすれる」などの自覚症状から始まってがん診断~手術の流れからいえばそれこそ数十倍のオーダーで多い。むろん従前の甲状腺がん手術も同じガイドラインに則って行われてきているのである。

つまりここに言ってみればダブルスタンダードが介在しているのではないか。ガイドラインの方は自覚症状を持ってはじまる一連の診断・治療行為に対するものであるのに、それを過剰診断にまで機械的に適用するというように。

要は従前のケースでも自覚症状のないものを仮に検診すればガイドラインに照らせば施術対象となるものが多数潜在的にあるのが発見されるであろう、それを今回は過剰検診で発見しているだけではないのか、施術主体である福島県立医大の当事者たちはそう考えているのだが、だからと言って新たなガイドラインを策定しようという動きにも至っていない。これをやろうとすると、福島事故の被曝影響を受けていないと考えられる地域で対象群検査を大規模に展開して、その比較対象群においても福島と同じがん化プロセスが観察されることを立証しなければならないからだ。仮に立証された場合の治療ガイドラインは「経過観察」となろう。こうした大規模な対象群検査がなぜ行われないのかと言えば、まず膨大な費用と人手をかけたうえで当然頻出するがん判定からする無用な不安を掻き立てることになりかねないからだ。現時点でも「経過観察」もありうるのだろうが、恐らくインフォームドコンセントの結果としてそれよりも「手術」が患者?サイドから選択されているのだろう。敢えて言えばこうしたダブルスタンダード状態が当局にとっての「ジレンマ」なのではある。

こうして従前のガイドラインを機械的に適用して徒に被手術者数を積み上げて行くのが真の意味での治療なのかどうか。手術を受ければのど元に一文字の切開跡が残り一生甲状腺ホルモンを摂取する必要に迫られる。クオリティ・オブ・ライフから見てこれが妥当なことなのかどうか。こういうことも少しは議論されてもいのではないのか。今のままでは健康検査対象者は「原因がなんであるか構っちゃいねぇ、切って切って切りまくれ」の材料にされているに過ぎなくなる。

 

ところで「予防原則」に岡山大津田教授の言辞を引きつつ熊王氏は言及されているのだが、一体何から何を予防しようというのだろうか。福島の小児甲状腺がんが、もしかして本当に原発事故で発生したヨウ素131の被曝が原因であるかもしれないと仮に認めたとして、何を予防するのか?ヨウ素131の半減期は8日でとっくに消滅していて被曝プロセスもはるか昔に集結しているのである。健康検査を継続して「早期発見はいいことだ」とばかり切って切って切りまくる、それが予防原則なのか。知恵のないこと夥しい限りではないか。岡山大の津田?福島での甲状腺がん「多発」をあちこちで言いふらしているが、学問的に根拠づけがはっきりしているなら、学会誌に査読付き論文でも提出すればよいのだが、学会誌はおろか岡山大の紀要やら自分の講座でも一切言及したためしのない、いってみれば売名行為にのみ血道をあげているインチキ学者でとしか言いようない輩。そうやって熊王氏の引用された彼の言表を見ると上げ足を取られないようにそれだけに腐心した見かけ倒しの優等生的言辞に見えてこよう。

2015年7月12日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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