中野@貴州さん
頭の中で自分の持ち物が幾らになりそうかそのことを否定しているのではないし、その場合でも「価格」ですよね。それ以上その「価格」を超える別の「実体」を想定しているわけではない。幾らかになるのか主観的願望を言っているのか、もう少し相場に照らし合わせて現実に近そうな価格を思い浮かべるとか、そこには色々とバリエーションはあるでしょうけど。
想像することを形而上学と言っているのではない。現象の背後に知性でしかとらえられない「実体」世界を真実在として臆断する態度を形而上学的思考と言っているのです。