11月26日には、連れ合いと千葉劇場へ「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」を見に出かけた。千葉駅からモノレールで二駅、葭川公園前で下車。千葉劇場は、私は初めて。
ボンヘッファー(1906~1945)は、若きキリスト教神学者であったが、ナチスによるユダヤ人迫害や教会への弾圧が激しくなると、聖職者たちさえヒトラーを崇拝する「帝国教会」を目の当たりにして、牧師ながら、ナチスへの抵抗運動に身を投ずるなか、スパイにもなり、ヒトラーの暗殺計画にも参加するようになる。信仰と信念を貫き、ついにはフロッセンビュルク強制収容所へ送られる。即決裁判により国家反逆罪で絞首刑に処せられたのが1945年4月9日、4月30日には、ヒトラーの自殺によりナチスは事実上崩壊するのである。

原題は、”BONHOEFFER PASTOR・ SPY・ ASASSIN” (2024年)、アメリカ、ベルギー、アイルランド製作、監督のドット・コマーニキは、「ハドソン川の奇跡」以来だという。
映画は、愛情豊かな家族と共に過ごす少年時代の回想から始まる。第一次世界大戦で戦死した兄の遺品の聖書を母から手渡され、信仰への道を深めて行き、ベルリン大学神学部卒業後、助手となって1930年から一年間アメリカに留学、ニューヨークの神学校で学びながらハーレム地区出身の友人と知り合い、黒人たちの力強い生き方と差別のきびしさを知る。その後、牧師としてロンドンの教会に着任するが、ナチスの台頭著しく、1933年1月ヒトラー内閣が成立、ナチスへ抵抗すべく同志たちと「告白教会」を結成すると、彼はベルリン大学を解任される。アメリカへ渡り、亡命をも勧められるも、1939年7月にはドイツに帰国、1943年4月、ユダヤ人亡命に関与したとしてゲシュタポに逮捕され、テ―ゲル刑務所に収監される。ドイツ国防軍内の反ヒトラーグループのヒトラー暗殺計画に参加するが、1944年7月20日の決行は失敗に終わる。それへの参画が発覚してフロッセンビュルク強制収容所で処刑されるまでを描く、2時間を超える大作である。抵抗運動のさなかでの家族とのさまざまなエピソードや同志の聖職者たちとの軋轢やナチス軍の兵士や収容所の看守たちが、ひそかに見逃したり、窮地の場面で助けたりする場面もいくつか描き出される。
ただ私には、回想場面、彼が場所を変えての活動場面などの切り替えについていけず、ストーリーがつながらないところもあった。だが、彼のスピーチやノートに書きつける言葉の数々には、共感することも多々あった。キリスト教理に疎い私には、理解が届かない部分もあったが、繰り返されるのは「ヒトラーが神より上に位置する」ことは許されず、「人間が完全従属すべき対象は神の掟であり、偽預言者のそれではない」「悪の前の沈黙は悪であり、神の前に罪である」・・・。「神」を持たない私は、これらの「神」をその都度「信念」に置き換えてはみるものの、なにほどのことができたのか、心細い。
ボンヘッファーについて、日本でも、1980年代から、著作や書簡集、伝記などの翻訳が出されていて、キリスト教関係者や研究者の間では、評価が高く、それは現在も続いている。しかし、私たちがボンヘッファーを知ったのは、ごく最近のことである。2019年6月、5日ほど滞在したハンブルグを発つ朝、ホテルから散歩に出て、聖ニコライ教会跡に立ち寄った時のことだった。連合軍、主にイギリス軍による空襲が始まったのは1940年末からであるが、1943年7月の大空襲による被害は甚大なものであった。この教会の尖塔が140mもあったため、空襲の標的の目印となり、塔だけが焼け残ったとされる。復興後も、戦争被害のシンボルとして残し、地下は博物館となり、70メートルまではエレベーターで昇れるそうだ。その敷地のモニュメント「試練」、その銘板に、ボンヘッファーの言葉が刻まれていたのである。


ヴィリー・ブラント通りに面した聖ニコライ教会の尖塔が辺りを圧する。塔の右手にはHAMBURG SDL (社会民主党)の文字が見えるビルがある。(2019年7月1日撮影)

2004年に作成され銘板の右には英文が記されている。「世界中のだれ一人も真実を変えることができない。人は真実を求め、見出し、供することができる。真実はあらゆる場所にある デイートリヒ ボンヘッファー」とでも訳す?(2019年7月1日撮影)
2019年のアムステルダム、ハンブルグの旅から帰国して、すぐに買い求めたのが、出版まもない下記の、宮田光雄『ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生の大部分は涯と思想』(岩波書店 2019年7月)であった。私には、少々手ごわい本で、通読はかなわないでいる。伝記の部分や詩編などをまず読んだ。「第8章ボンヘッファーと日本」において、日本の天皇制批判にも触れているというのである。「聖書研究」の一節、「十戒の第一の板」(1944年、テーゲル刑務所における執筆論文)おいて「日本のキリスト者の大部分は、最近、国家の皇帝礼拝に参加することが許されていると宣言した」ことについて、要求されているこのような国家的行為への参加、他の神々を礼拝することを拒否することが「キリスト者の明白な義務である」、イエス・キリストを否認するような行為への参加は拒否されなければならない、と述べている。キリスト教が「皇室礼拝」を相容れないことを明言し、ヒトラー総統礼拝の拒否を示唆している。
なお、本書の末尾で、ボンヘッファーが、即決裁判で国家反逆罪で処刑されたが、1996年のベルリンの刑事法廷は、この判決を破棄し、彼の名誉を復権しているとの記述があった。また、著者の「眼前に押し迫ってくる暗く絶望的に見える既成事実に打倒され、埋没させられるのではなく〈未来の世代に対して責任を負う〉ために時代に抗して確固と立ち向かっていく決意を新たにすることこそ、ボンヘッファーをあらためて〈想起〉する意味があろう」との言葉は重い。

初出:「内野光子のブログ」2025.11.30より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/11/post-6fe80b.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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