最近の漫画はあまり面白くありません。
何故面白くなくなっているのかは、改めて、別の機会に言及するとして
昨今、話題になっている「はだしのゲン」を導入部分として、漫画やサブカルチャーについての政治性、社会性について語りだしていきたいと思います。
私は、白土三平先生の大ファンですが、
はだしのゲンの暴力描写が日本の青少年にとってタブー視されるなら、
白土三平先生の漫画、更に、闇に葬られ日が、日本に来るのかもしれないと空恐ろしい気がしています。
ネタにマジレスするなんてカッコ悪い……ネトウヨが大勝利宣言する松江市『はだしのゲン』閲覧制限問題の真相
http://news.livedoor.com/article/detail/7964375/
現在、GAOにて「さすらいの太陽」(これは、運命に翻弄される少女版あしたのジョーのような作品)
http://gyao.yahoo.co.jp/ct/anime/
観られたりしています。
漫画の神様と呼ばれた手塚治虫先生の火の鳥の「ヤマト編」もかなりの日本古代史批判に貫かれているし、
コミュニスト的であったのに驚かされています。
火の鳥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E9%B3%A5_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
ヤマト編 初出:『COM』(1968年9月号 – 1969年2月号)
古墳時代の倭(日本)。主人公のヤマト国の王子オグナと、ヒロインのクマソ国の酋長・川上タケルの妹カジカの間に芽生えた許されざる哀しい愛の物語。オグナはヤマトタケル、川上タケルは川上梟帥がモデル。『古事記』・『日本書紀』の日本武尊伝説と、日本書紀の垂仁紀にある埋められた殉死者のうめき声が数日にわたって聞こえたという殉死の風習と埴輪にまつわるエピソードも火の鳥の血の効果であるとし、期間も1年にわたっての事として下敷きにしている。石舞台古墳造営にまつわるエピソードがあるが、史実ではもっと後代の古墳であり、殉死者が埋められているという事も無い。手塚治虫はあくまで『古事記』・『日本書紀』は伝説であって、実在の天皇家とは何も関係は無いとコメントしている[4]。 なお、作中で川上タケルは、”長島”なる部下に「王」と呼ばれている。これは初出時には川上タケル=川上哲治として、クマソを巨人に見立て、その部下の長島=長嶋茂雄という洒落であったが、川上が監督を引退したので、川上タケルを王貞治に見立てる内容に改稿したためである。 オグナが女装してタケルを暗殺するくだりは神話通りだが、復讐の追跡を指揮するカジカは国境で率いてきた軍を帰し、単身男装して奴隷としてヤマトに潜入、非力なために鞭打ちを受けているところをタケルに助けられるという展開で、ヒーロー、ヒロイン両方に与えられる異装、女王(継承者)が自らの意志で奴隷に身を落として苦役を受ける不条理など、コミカルタッチの中に手塚独自の倒錯趣味が埋め込まれている。
今回は、実験的に入れてみましたので、この位にしてみます。
続きをまた書きます。