ひびわれを埋める仕事

著者: 木村洋平 きむらようへい : 翻訳家、作家、アイデア・ライター
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世の中にはたくさんの仕事がある、それらは必要なことの領域を覆い尽くそうとしている。とりわけ、資本主義の力によって、お金になる=ビジネスとして成立する、という仕方で、持続可能なようになされる。

ところが、これは誰でもそう感じるのではないか、と思うが、すでにある仕事だけでは、必要なことの領域は、不完全にしか覆われていなくて、あちらこちらにひびが入っている、と。

その隙間を詰める仕事、世界のひびわれを埋める仕事が、もっとあってもいいのではないか、と。

実例を探してみよう。それは、たとえば「わたしのフクシ。」というwebサイトがやっているようなこと。周囲からわかりづらい障害や病気をもったひとのために、「見えない障害バッジ」を作ったり、ごくごく個人的で具体的な症状、病気をメールマガジンでシェアしたりしている。

それから、首都圏を中心に「サイエンス・カフェ」が流行っている、という話を聞いた。専門家を講師として呼んで、カフェやレンタルスペースに集まった10~20人の聴衆が、ひとつのテーマについて1~2時間の講義を受ける。そこには、インタラクティブな質疑応答や、参加者同士のコミュニケーションもある。1回にひとつのテーマを扱うので、1回きりの参加でもかまわない。

「芸術」(アート)は、いわゆるハイ・カルチャー(古典的な芸術に近づこうとするもの。ときに高踏的。)から、同人誌や、名もないミュージシャンの投げ銭LIVEまで、ビジネスではまかなえない領域を満たしているだろう。幅が広すぎて、具体例がむつかしいが、たとえば「ああ、この一冊!」と思える本に出会えるひとがいるのなら、ものを書く仕事も「世界のひびわれを埋める」仕事たりえる。

起業、イベント、ボランティア、NPO、アートの活動、web制作、いろんな形で「必要なこと」を丁寧にまかなう作業ができる。これは、やりがいのあることだし、面白い試みでもある。

今回は、そんな話をしたかったのだが、最後にひとつ、付言しておきたい。もしかしたら、「必要なこと」、世界の「ひびわれ」には、たとえばあるおじいちゃんが、あるお話を聞いてほしい、という、それだけのことだってあるのではないか。それはもう、さきほど列挙したような意味での「仕事」ではない、というのも、それは「定式化」できる仕事ではないから。

ビジネスもシステム(国や自治体の制度)も、文学も小さなイベントも満たすことのできない「必要なこと」。

だけれども、けっしてとびきり困難な仕事ではなく、それどころか、できてしまえばささやかでもあるようなこと。そういう世界のひびわれを埋めるのは、ひとりひとりの厚意ややさしさなのかもしれない。

初出:ブログ【珈琲ブレイク】http://idea-writer.blogspot.jp/2013/06/blog-post_7268.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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