甲州の旅の三日目は、夫の急な所用で、宿を朝5時半に発つことになった。タクシーは6時からということで、宿のご主人の車でぶどうの郷勝沼駅まで送っていただいた。民宿をとり仕切っているのは奥さんで、ご主人は勤めに出ていて、週末は手伝っています、とのことだった。朝日を浴びたぶどう畑と、遠く南アルプスを望む風景を満喫しながら、5時57分発高尾行きの一番電車を待った。
時計が6時45分を指している。それでも3人ほどが乗車した。東京に近づくほど、通勤らしき人が増えてくる。
南アルプスの朝あけ。山の名前がわかるといいのだけれど。
八王子から新横浜に出て、夫は大阪へ、私は、5月12日までというから、よいチャンスと神奈川近代文学館での「松本清張展」に寄ってみることにした。文学館は数年前の「斎藤茂吉展」以来かもしれない。菊名までの東急も、みなとみらい線もちょうど通勤ラッシュの時間帯だった。終点の元町・中華街下車、文学館の開館は9時半なので、アメリカ山公園側の出口から,公園を抜けて、外国人墓地を右に見て、ゆるい坂を上るが、おそらくインターナショナルスクールの生徒たちなのだろう、おしゃべりしながらの楽しそうな登校風景だ。外国人墓地の正面入り口の前を左に曲がるころ、生徒たちは、あわただしく走り出して、学校に駆け込むようだった。9時始まりなのだろう。港の見える公園の展望台を素通りして、イギリス庭園に入り、さまざまなバラと香りにつつまれながら、バラのトンネルをくぐったり、しばしベンチでひと休みしたりしていると、手入れをされている人に、熱心に種類や育て方を尋ねる人もちらほら、辺りは、どっと人が増えてきた。すでにローズ・フェア開催中で、明日からの週末は、マルシェも開かれるという。新幹線車中の夫から、「神奈川新聞」の投書欄に「清張展」の感想が出ていると、画像が送られてきた。2.26事件の貴重な資料が、今回展示されているというものだった。
港の見える丘公園展望台、横浜のセレブ犬?たち。
公園から大佛次郎記念館を望む。
霧笛橋を渡ると、人影もまばらで、文学館の開くのを待つ人は、数人だった。その後の入館者も少なく、東京の美術展などの賑わいとは、こんなにも違うのかな、の思いしきり。私が、清張の熱心な読者だったのは1960年代だろうか。実家の薬局で週刊誌のスタンドを置いていたころと重なる。曜日を違えて届いた週刊誌を、売れない内によごさないように(?!)、20種類以上を読み漁っていたころである。清張の活躍は目覚ましかった。単行本になった推理小説や連載ものも楽しみだったが、やがて、関心は、伝記小説や評伝類、「日本の黒い霧」や「昭和史発掘」へと移っていった。当時の私は、松本清張の推論にだいぶ影響されていたかもしれない。もう一度読みなしてみたいと思う。会場で、気ままにメモを取っていると、和服の同じ年配の女性に「熱心なのですね」と声をかけられた。彼女も入館一番乗りの一人だった。
長洲一二知事の時代にオープンしたとの碑があった。
チラシの裏面と入場券。
中央の写真、松川事件全被告に無罪判決が出た仙台高裁前、左から中野重治、松本清張、水上勉、広津和郎。
今回の展示の二・二六事件関係資料は、主として防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵のもので、初めて見るものが多かった。上段の日章旗には、安藤輝三が投降前に自決を図った折の血痕が見える。下段右は同じく安藤が処刑前日の1936年7月11日に書いたもので「金剛不壊身」の横には「ダンジテシセズ 死スニ能ハズ」とある。左は、磯部浅一が書いた処刑前日の1937年8月18日の書で、「捕縛投獄死刑嗚呼吾カ肉体ハ極度ニ従順ナリキ然レトモ魂ハ永遠ニ抗シ・・・」とある。ほかにも、香田清貞の両親あての遺書、栗原安秀の看守あての書、村中孝次の書もあり、次の二人の辞世もあった。
・身とともに名もけなして大君につくす誠は神や知るらん(丹生誠忠)1936年7月9日
・君が代の繁く栄えん時にまで吾が魂はなどか消ゆらん(中橋基明)1936年7月8日
この地図は大佛次郎記念館でもらったもので、近辺の西洋館の案内だった。元町に出る道を幾通りか教えていただき、初めて歩く道となった。
山手資料館前の外国人墓地と元町公園の間の、なかなか風情のあるこの道を下ろうかと迷いもした。
そのまま少し進むと、左手に山手聖公会、山手234番館が続き、すぐ右手にはエリスマン邸、べーリック・ホール邸があった。いずれも貿易商だった人たちの住まいであった。この日は絵画教室の写生会でもあったのだろう、点在する西洋館のあちこちで、写生に余念のない人たちに出会った。この写真の奥がエリスマン邸である。向かいには、横浜雙葉学園の校門が見えた。さらに進んで、最初に出会った坂、代官坂を下り始めると、かなり長い長い坂だと気づく。おしゃれなカフェを何軒か通り過ぎた。
ようやく元町の商店街に出る。ちょっと覗いてみたいお店もあったのだが、何のことはない、ポンパドールのパン屋さんで、少しばかり買っただけだった。このパン屋さんは、確か、前に来たときは、メインストリートではなく、坂を少し入ったところにあったような気がしたのだが。それに、何軒かある、かばん屋さんの「キタムラ」の騒動はどう落着したのかな、など気にしながら石川町へ進む。元町商店街の、片側を歩いた範囲内ながら、空き店舗の3軒に、テナント募集の看板が掛けられていた。「全国津々浦々、国民の皆さんに、景気回復を実感していただけるように・・・」なんて繰り返している首相だが、元町でもこんな具合だから、不正統計がなせる景気回復だったのではないか。
3時半過ぎには帰宅。この日の万歩計は10464歩。
初出:「内野光子のブログ」2019.05.17月より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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