まだまだ「選択的夫婦別姓」は遠い?! 

 いま現在、政治的な課題となっている「選択的夫婦別姓(氏)」は、それを「希望する」夫婦には認めて欲しい!という要求である。したがって、「別姓」ではなく「同姓」を望む人たちは、そのまま「同姓」でOK!ということになる。
 「主権在民」を基本とし、個々人の「多様性」は可能な限り尊重し、認め合う・・・という現在の日本の社会において、「選択的」である「夫婦別姓」の要望は、至極単純明快であり、誰にも苦痛を与えないもののはずである。
 にもかかわらず、総裁選の際には、「(選択的夫婦別姓)をやらない理由が分からない」と、述べていた石破茂氏は、一旦首相に就任するや、「選択的夫婦別姓」について、一言も発しなくなってしまった。
 また、当初は自民党の中にも、積極的な「推進」の立場を取る議員も少なからず居て、立憲民主党は、公明党、国民民主党の賛同を当てにして、「選択的夫婦別姓」導入のための「民法改正案」を早くも衆院に提出したという(5月1日)。
 ところが、昨秋の衆院選では「選択的夫婦別姓導入」を公約に掲げていた国民民主党は、最近のSNS(主として若者たち?)の反応に臆病風が吹いたのか、今では「消極的姿勢」に後退してしまった。同じく公明党も、自民党内の強硬な反対派への遠慮や、あるいは、この「選択的夫婦別姓」ゆえに自民党との連立に(くさび)が入ることを(おそ)れているのか、最近は沈黙気味である。
 このような各政党の状況は、それぞれにあまりにも不甲斐ないと言わざるを得ないが、しかし、一面では、各政党を支える国民一人ひとりの「関心」や「熱意」そのものもまた、基本的に「希薄である」ことの端的な表われであるのかもしれない。

日本の「戦後家族」の問題性
 私は、この「選択的夫婦別姓」に関する論稿の先月版(「時代をみる」4月7日)において、田中優子氏(法政大学元学長)の新聞記事「時代を読む」(「東京新聞」2025.3.30)の中の次の一節を引用して、その「認識」の甘さ、あるいは誤りを指摘した。

― 日本国憲法第24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」とあり「のみ」を入れている。親を含め他人が結婚に口出しはできない、と言っているのだ。家族に関する事項についても「個人の尊厳」と「両性の平等」に基づくとあり、この憲法制定の段階で、明治以来の家父長的家族制度は終わったのである。

 つまり、田中優子氏は、日本の戦後憲法は、明治以来の家父長的大家族制度(「家」制度)を批判した新しい「男女平等」な「家族」の制度化であった、と述べている。
 もちろん、戦後憲法の果たした意味は大きい。それをも批判し否定するつもりはない。確かに、男子はすべて「結婚」すれば「世帯主」と位置づくことになったし、それまでの「大家族」は、「夫・妻・子ども」だけの「核家族」となり、「家長」は存在しなくなった。
 しかも、それまでは「家のための女=嫁」であったものが、「一夫一婦」を支える「主婦」として、改めて位置づけられた。(もちろん、「主婦」という呼称は、戦前から、とりわけ都市部において用いられていたが・・・)
 ただ、そうは言っても、戦後の「民法」の中には、結婚年齢・子どもの父の認知(嫡出子・非嫡出子)・再婚可能な期間等々、戦前の「家制度」の風習を踏襲する規定もかなり残されていて、それらが、戦後、それぞれ国際的な指摘や、国内での裁判などを通して、一つずつ改訂されてきたことは周知のことではある。
 しかし、戦後の「一夫一婦」の「核家族」において、もっとも問題とされるべき要因は、「夫は稼ぎ手、妻は家事・育児」という「性役割」を前提にしていたことである。ただそれは、戦前の「家の中の嫁」―「姑・小姑の嫁いびり」「夫の女遊び・妾囲い」「一方的な離縁(子無きは去る)」etc.― の「忍従」一筋の境地に比べれば、何と「明るい・晴れ晴れとした」妻役割に見えたことだろう。「見合い結婚」ではなく「恋愛結婚」が流行のように(はや)される中で、「4畳半ひと間」の新婚生活も、「手鍋(さ)げて」ウキウキと・・・希望に満ちて描かれていた。
 ところが、この「性役割」を前提にする戦後家族の問題性が、少しずつ認識され始めていくのである。それでも、かなりの男たちはその性役割に安住し、「仕事一筋」に邁進し、女たちも、その社会的性役割の構造自体を問題にする前に、アルコールに依存したり、子どもとの無理心中に(はし)ったりした。
 そして、もっとも残念な事には、日本の政治そのものが、かなり執拗に、しかも、現在に至ってなお、この「性役割」を前提とする「家族政策」を維持したこと、あるいは維持し続けていることである。 

「嫁は別姓」→「夫婦同姓」(全員)→希望すれば「夫婦別姓」?
 私の友人に、「姓(かばね)と氏(うじ)とは、歴史的には相異なる言葉である。<家族>を表わす時には<氏>を使うべきだ」と強硬に主張する人が居る。事実「姓(かばね)」は、古来、天皇から与えられる称号であった。
 また、歴史を遡れば、1871(明治4)年「戸籍法」、1875(明治8)年「苗字必称義務令」、そして1898(明治31)年「明治民法」と続き、士族(豪族)の「氏・姓」は廃止され、庶民ともども「苗字」を付すことが義務づけられるが、最終的には、「氏」という名称が「家族名」として固定された。したがって、現在でも、民法上では、「家族名」は「氏」となっている。
 しかし、現在では、「本名」は「姓と名」で表わすし、「姓名」と「氏名」に差異はない。したがって、通常では、「家族名」は「氏」「姓」「苗字」すべて同じと考えて問題はないと思われる。
 さて、「別姓」「同姓」をめぐる問題である。
 日本が「戸籍」を導入するに当たって、中国の「戸籍」を参考にしたのは周知のことである。中国および朝鮮の戸籍制度は歴史も古く、女は、「婚姻」に当たっても、男の「家」の人間に加えられることはなかった。したがって、中国・朝鮮では、ごく最近になるまで「夫婦」は「別姓」のままであった。
 しかし、日本の明治の幕開けは、米・欧の影響が強い。明治民法(1898年)策定に当たっての詳細は詳らかではないが、中国・朝鮮ではなく、米・欧に見習いながら、「氏(うじ)」が家族名として採用され、家長を初め、妻・子どもすべてが「同氏」となったのであろう。
 したがって、戦後の民法改訂の際にも、「核家族」として縮約された「家族全員」が「同じ家族名(氏)」となることに、何らの躊躇(ためら)いもなかったはずである。 
 このように考えると、日本の「夫婦(+こども)の同姓」は、中国・朝鮮の「夫婦別姓」に比べて、ある意味「進歩的」?!と捉えられていたに違いない。そのためにこそ、日本では、とりわけ戦後以降の、「核家族」=「夫婦・子どもの同姓」は、当時においては、「より民主的」という色合いを持って受け止められ、続いて来たのであろう。
 そして、確かに、憲法24条(Ⅰ項)の文面だけを見ると、そこには堂々とした「男女平等」の理念が規定されている。
― 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 しかし、問題は、民法750条の「夫婦同姓」規定である。
― 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 この民法750条は「要注意」である。「夫又は妻の氏を称する」の後半部分は、「婿入り」の際の規定なのだ。息子(男)の居ない家では、どうしても娘に「婿」を取って家の継承を図らなくてはならなかった。それゆえの「夫婦ともに妻の氏を称する」となっている。若干紛らわしいが、「夫婦同姓」には変わりはない。
 したがって、問題は、憲法の「男女平等」規定なのではない。民法の、日本の現実をそのまま反映した「夫婦同姓」規定なのである。

 おそらく、このままならば、「選択的夫婦別姓」の実現は、まだまだ先延ばしされることだろう。それを防ぐためにも、もう少し、論点整理が必要なのかもしれない。そのためにも、これまでの2回の最高裁判決の際に、すでに「夫婦同姓は憲法違反である」と述べた判事(1回目5名、2回目4名)の論述に、改めて立ち戻る必要があるのではないだろうか。(続)                      2025.5.9

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