やはりそうでしたか

やはり予想していたとおりのお答えですね。

まず、ブルマンさんのお言葉を訂正させていただきます。私の言葉では、「実体」ではなく、「実体のように見えるもの」です。私の誤読かもしれませんが、あたかも私が「実体主義者」であるかのように聞こえました。私を「実体主義者」と言うのは、「北朝鮮はこの世の天国だ」と言うくらい事実からかけ離れています。

さて、こんな会話は、いかがでしょうか。

「俺のこの時計スイス製で、50万くらいの価値があるんだ。でも、時計屋に行って売ろうとすると、なんと10万だった」

通常の会話ですね。商品世界の当事者は、無意識のうちに「相場」と現実の価格を区別しているんじゃないですか?

すみません。これまで、私自身の「価値」の定義を言うのを忘れていました。それは、「商品に内在しているように見えるある程度安定した交換力」というものです。まあ、これも廣松さんと山口重克さんからのパクリですが。少なくとも、この定義には全く「実体なるもの」は含んでいないと、自信を持って言えます。

そう言えば、ミクロ理論の古典中の古典、ヒックス(厳密に言えば、前期ヒックス)の『価値と資本』がありますね。主流派経済学でもこの言葉を使う場合もあるようですね。「何だ。それは均衡価格のことじゃないか」というツッコミが聞こえます。まあ、そう言ってもいいでしょう。所詮「言葉」ですから。ただ、誰でも「自分の商品には、自分の労働力には○○円の価値がある」という信仰を持っているのは否定できないでしょう。もちろん、現実的にはそれは売れなければ0になるわけですが。