わが窮状からの随想

おそらくは沢田研二がその窮状を歌い上げてからも十年を経ているのにこの窮状は変わらない。窮状は球場でも宮城でもなかったのである。
変わらない窮状は憲法九条のものでしかなく球場の常態である年頃連中が、宮城にも揃い始めてそちらの情勢は芳しいらしい。
わたくしは昔、ある政治学者を称する単なる大学の先生と一年ほど同じ屋根の下に住んでいた。九条は国家武装を禁じていて民間武装を禁じているわけではない。その背景には何らかの思想があったはずだと言うと、たぶん人民抵抗の可能性を闕語法的に残しておきたいところがあったのかもしれないと、彼は言った。それを直に読み取ったのは、元の内務官僚や宮内省の役人たちであっただろうし、銃刀法、破防法と確実に戦略的なガードを左翼側の当初の反憲法的姿勢も利用して組立てていったのは自民党の早業だったと言うと、その都度に戦いはあったと彼はコメントした。だけど無力であった、とわたくしは返した。
三島由紀夫の盾の会は、思想上の凶器準備集合罪を右側でやっていた。ネトウヨよりは程度が良かった。実践的でもあった。
連合赤軍は自分たち自身の相克に武器を向けていくプロセスにすぎなかった。
憲法九条が隠し持っているものは現在でも人民主権の問題なのであって、それを「保守勢力」は十分すぎるほど恐れていたし、現在でもそうなのだ。
しかし、現在の「保守」が、生活の破壊を国民に強いつづけ、貧富の差を広げ、企業本位の改造を繰り広げながら、例えば人民の歴史を体現する築地市場までも売ってしまう事態に至ると、小選挙区制の組織票が守るものが、実は生活住民のものではないということに気がつく。生活保守は日本に存在しない。それでも、不安な国民保険や厚生年金の磁石に押されて組織票はいよいよ金持ちを喜ばすような投票行動をとる。人はパンのみにて生きるものにあらずか、ふん、と「カラマゾフの兄弟」の「大審問官」は現世の支配関係を代弁して、自由を恐れる民衆への「深い愛情」を語り始める。沖縄に愛情のこもったお灸がやってくる。
その時点から、わたくしたちは歴史をさかのぼってソクラテスを探し出すこともできる。
さて、どこにいるのやら、まさか時間と時代を間違えて、変な空間に紛れ込んでしまったのかもしれない。先進国同士の資本蓄積や所得の問題から外れた第三世界のマンホールに落ち込んで(マンホールの蓋は鋳物にすれば証拠もなくなり貧乏人の安全な稼ぎになる)、ディオニソスが紛れ込むのを待っているのかもしれない。
それでも、あの世の平等だけは観念的に確立しているかもしれない。いや、地獄の沙汰も金次第かもしれない。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。