昨年の2.1クーデタ以後続くミャンマー国民の、わけても若者たちの武装抵抗闘争をスーチー氏がどう思うかは、民主化勢力にとって懸念すべきところでした。マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデラを師と仰ぐスーチー氏は、1988年以来非暴力の抵抗運動を唱道してきただけに、敵とはいえ人間の殺戮をともなう武装闘争に反対の意思表明をするのではないかと、正直みなは危惧していたのです。そのことに期待してでしょうか、軍事政権のトップ、ミンアウンフライン統治評議会議長は、弁護士を通じたスーチー氏の意見表明は禁止していないなどと、今頃になって言い出しました。
イラワジ
敵も味方も一番知りたかったこと、スーチー氏が武装闘争もともなうミャンマー国民の抵抗闘争をどう思っているかということ、このことの一端をクーデタ直後囚われの身となり、先ごろ650日ぶりに釈放されたオーストラリア人でスーチー氏の経済顧問だったS・ターネル氏が、米国のネットワークABCの系列局であるニュース10とのインタビューの中で明かしてくれました。(以下すべて「イラワジ紙」12/7)
それによれば、彼は、8週間ほど前、判決を受けたときにスーチー氏に会ったといいます。その際彼女はターネルに、ミャンマーの真実を皆に伝えてほしいと頼んだということです。
「彼女は、特にビルマの若い人たちを誇りに思っていると表明しました。彼女は、民主主義に触れる機会が非常に短かったにもかかわらず(2011年~2020年―筆者)、国民が民主主義を守り戦う覚悟ができていることを本当に誇りに思っている」と、ターネル氏に言ったといいます。
このことを伝え聞いたザガイン州イェンマビン郡区の18歳の人民防衛軍(PDF)の兵士は、われわれ抵抗組織のメンバーは、スーチー氏から賞賛されたことを非常に誇りに感じているとし、「革命で落ち込むこともありますが、彼女の言葉は私たちを元気づけてくれます」と言ったという。2.1クーデタ以後、ミャンマーの民主化闘争は一人のカリスマの力に依存する在り方から大きく転換し、大きな運動のうねりなかでそれぞれの闘争ユニットが自立と連帯を深めつつ、国民統一政府(UNG)の旗のもとに収斂しつつあるようにみえます。民族、宗教、人種等の帰属によってあれほど分断・対立していた国民が、過去のいきさつをのり越え、近代的で民主的な国民国家をめざしてひとつにまとまろうとしています。そうした運動の成熟のなかでスーチー氏の存在はある意味で後景に退きつつ、しかしミャンマーの反軍部独裁の闘いに民主主義という刻印を押して、人々を励まし続けた功績は消えることはないでしょう。
軍事訓練中のロイコー人民防衛隊の新兵たち イラワジ
ウクライナ戦争やコロナ・パンデミックによって後景に押しやられて国際支援はないに等しいなか、独力で情勢を有利に動かしてきた国民、なかんずく若者たちの功績は計り知れません。彼らの戦いぶりから、私には臆病で自己中心的と見えた国民像が一面的だったことを思い知らされました。かれらの無私の戦いぶりに報いるためにも、国際社会は物的な援助と同時に、政治闘争のための文化的精神的支援にも注力していかなければならないと思います。民主革命が成功するか否かは、軍事的な成功とともに、いやそれ以上に政治的な勝利にかかっています。政治的な闘争が適切に組織されればこそ、非暴力の広範な抵抗闘争に老若男女を引き入れることもできるのです。
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