アドルフ・ヴェルフリの絵画とアール・ブリュットの地平

著者: 髭郁彦 ひげ いくひこ : 言語哲学
タグ:

アール・ブリュット (art brut) あるいはアウトサイダー・アート (outsider art) の巨匠と称されているアドルフ・ヴェルフリ (Adolf Wölfli) の展覧会が東京ステーションギャラリーで、4月29日から6月18日まで開催されている。この展覧会のフライヤーにおいても、日本で初めて本格的に編集されたヴェルフリの画集『アドルフ・ヴェルフリ―二萬五千頁の王国』においても、アール・ブリュットの特異性が強調されている。だが、アール・ブリュットあるいはアウトサイダー・アートとは何であろうか。それがこのテクストを書こうと思った一番目の動機であった。二番目の動機は狂気と創作行為の問題とに関連する。ヴェルフリは狂った者という烙印を押されたことが契機となって作品が認められたのだろうか、すなわち、作品よりも狂人という側面が注目されたからこそ彼の芸術は認められたのだろうか。それがこのテクストを書く二番目の動機であった。三番目のものは執拗に繰り返される同一形態の異常さという問題である。一般的に言って、われわれの社会は理性的な秩序を好む社会であり、政治的にも、経済的にも、文化的にも合理的な規律が重んじられている。だが、ヴェルフリの作品の中に示されている過剰なまでの規則性は狂気への道に開かれてはいないだろうか。遊びのない狭い空間に無理やり押し込められたような多くのオブジェは、正常さというものを壊す根本原因の一つになり得るのではないだろうか。こうした疑問がこのテクストを書く三番目の動機であった。

今述べた事柄と密接に関係する問題を考察するために、ここでは、以下の三つの探究視点を設定して、ヴェルフリの作品に対してアプローチしていきたい。一つ目の視点はヴェルフリの作品を語る場合に必ず言及されるアール・ブリュットやアウトサイダー・アートといった概念と係る研究レベルである。二つ目の視点はヴェルフリの創造性の持つ常識からかけ離れた超越的特質と狂気とが如何に結びついているのかという問題を検討する探究レベルである。三番目の視点は、固定化され、無限に繰り返されるようなシステムの生産性が持つ、あまりにも法則を重んじるがゆえに非合理となる規則性の問題を明らかにしていこうとするレベルである。この三つの視点からの探求が、アール・ブリュット及びヴェルフリの作品に対する新たな考察地平を開いていくために非常に重要なものとなると考えられるからである。

 

アール・ブリュット及びアウトサイダー・アートとは何か

アール・ブリュットという問題について語り始めるとき、20世紀のフランスの画家であり、アール・ブリュットの芸術作品の膨大なコレクションを行ったジャン・デュビュッフェ (Jean Dubuffet) の存在を無視することはできない。デイヴィド・マクラガン (David Maclagan) は『アウトサイダー・アート:芸術のはじまる場所』(松田和也訳) において、「デュピュッフェのコレクション、それに彼が発表した膨大な記事や論文は、アール・ブリュットの定義に関する厳密な基準を定めた――形式と内容における徹底的な独創性、そしてその制作者の社会的・心理的孤独である」と書いている。これは重要な発言である。だが、徹底した独創性にしても、社会的・心理的孤独にしても厳密化が極めて困難な問題であることをマクラガンはこの本の中で何度も繰り返し強調している。社会的・心理的に孤立している人すべてが創造的活動を行っているわけではない。独創性という概念も普遍的なものではなく、時代的な色合いを大きく担ったものである。さらに、アール・ブリュットの作品にはサイコティック・アート、すなわち、精神病を患った人たちのものが多数を占めるが、霊媒師や学習障害者の作品も存在する。それゆえ、サイコティック・アートとアール・ブリュットを完全にイコールで結ぶことはできないのである。

また、アール・ブリュットという概念が1972年に英語圏の国々に紹介されたとき、ロジャー・カーディナル (Roger Cardinal) はこの語にアウトサイダー・アートという訳語をあてた。だが、アウトサイダー・アートもアール・ブリュットと完全に一致する用語ではない。アール・ブリュットのブリュット (brut) は「生の、自然のままの、野性の」という意味のフランス語であるが、この語はデュビュッフェにとっては「根源的」や「原初的」という語とパラフレーズできるものであった。そこには一般的な美術作品の源泉としての始原性を持った芸術作品という考え方が内包されている。つまりは、公的な文化・社会内で制作される美術作品を超えた価値をアール・ブリュット作品の中に見ようとするデュビュッフェの知的態度が含意されているのである。それに比べて、アウトサイダー・アートという語においては、内と外という二分割法による差異が強調されている。一般社会の公的な文化圏内で創造される芸術作品と対立する形で、その外部にあるものがアウトサイダー・アートであるというニュアンスがこの語には暗示されているのだ。しかし、前述したようにどちらの用語も定義の厳密化を要求すればするほど解決困難な問題を抱え込んでしまう。アール・ブリュットの持つ始原性とは何か、アウトサイダー・アートが提示する内部と外部との境界線をどこで引くのかといった問題である。

ここでこれらの語の定義について詳細に検討することは不可能であるが、今述べた二つの基本的な疑問点についてだけは述べておく必要性がある。第一の点に関しては以下のような問題がある。アール・ブリュットの作品が有するオリジナリティーは精神病院などに入院している社会と隔絶した芸術家による原初的な創造である側面をデュビュッフェは重視したが、マクラガンは「アール・ブリュットの作品は確かに極めて独創的な外観と印象を持つが、必ずしもその見せかけほど世の中と隔絶しているわけではない」と主張し、さらに、「だがデュビュッフェは、真の創造性は孤絶から生まれ、妥協の余地のない個性を持つと断じ、それは美術館や画廊やサロンに溢れ返っている「文化的芸術」に見られる体制順応主義とは正反対のものであると規定した」と主張している。デュビュッフェは一般的な芸術作品の独創性をあまりにも低く見積もり、逆にアール・ブリュットの作品をあまりにも高く評価し過ぎているのだ。第二の点は、アウトサイダーという語が必然的に分けてしまう内と外という区分問題である。この点についてマクラガンは、「アウトサイダー・アートは最も自由な形における創造性の典型とされながら、一方ではその名称自体が根本的な矛盾を体現している。文化の「外部 (ルビ:アウトサイダー)」から生じるものがいかにして「芸術 (ルビ:アート)」たりうるのか?」と書いている。この矛盾に対してどう答えていくかによって、アウトサイダー・アートに対する考え方も大きく変わっていくのだ。以下のセクションでは、今述べたことを前提としながら、アール・ブリュットとしての、あるいは、アウトサイダー・アートとしてのヴェルフリの作品の具体的な分析を行っていく。

 

狂気と創造性

美術界という組織の外部にいながら創作活動を行い、驚くべき作品を制作したとしても、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートの芸術家であるとは見なされない。作品に独自性があり、さらにはその作品の作り手が特異な形で社会と隔絶していなければならないのだ。これはヴェルフリの作品を考えるために重要な点であるが、このセクションではヴェルフリと同時代を生きたジョージア (旧グルジア) の放浪の画家ニコ・ピロスマニ (Niko Pirosmani) と後期印象派の代表的な画家であるフィンセント・ファン・ゴッホ (Vincent van Gogh) の生涯を比較することによって、この点について検討していこうと思う。

ヴェルフリは1864年にスイスのベルン近郊にあるボーヴィルで、貧しい石切工の子供として生まれた。8歳のときに一家はほぼ離散し、ボーヴィルの傍にあるシャングナウの農場に預けられ、農家や大工の家を転々とする。その後、農場や軍隊で働くが、1890年26歳のときに、14歳の少女への性的暴行未遂で二年間刑務所に服役する。1895年、3歳の少女への性的暴行未遂で再逮捕され、精神鑑定を受け統合失調症と診断され、ベルン近郊のヴァルダウ精神病院に入院。以後約35年に亘ってこの病院で入院生活を送る。入院当初の数年間は衝動的で暴力的だったが、1899年、35歳頃から絵を描くようになる。1930年に死亡するまで膨大な量の鉛筆画を描くと共に作曲や物語の創作も行う。次のセクションで詳しく考察するが、ヴェルフリの絵の独創性は絵画作品の中に物語が綴られたり、楽曲が書かれたりし、絵画でもあり、楽譜でもあり、物語でもある作品が多数見られるという点にある。芸術ジャンルの横断性がそこにあるのだ。それが狂気ゆえであったからかどうかを判断することは困難であるが、確かにそれは定式化された芸術ジャンルを破壊している作品である。

ピロスマニは1862年に、ジョージア東部にあるカヘティ地方の小村ミルザアニで農民の子として生まれた (1866年に生まれという意見もある)。8歳で孤児となり、裕福な貴族の家に引き取られ、そこで住み込みとして働く。28歳頃にザカフカス鉄道で職を得るが、1894年、32歳頃その職を失い、知人と共に乳製品の販売店を開くが数年で閉店。以後、店の看板や壁に飾る絵を描きながら、放浪生活を送る。1912年にペテルスブルクからやって来た三人の画家に見出され、彼の絵の独自性がモスクワでも評価され、1913年にはモスクワで行われた美術展に作品が4点展示され、大きな反響を呼んだ。だが、1916年にグルジアの新聞にピロスマニを誹謗中傷する記事が掲載され、深く傷つく。1918年、55歳頃、病気のために動けなくなったピロスマニを隣人が発見し、病院に運ぶが、その二日後に死亡する。ピロスマニの作品は色彩の明瞭さや描かれたオブジェ対する独特な単純化などによって高く評価されたが、彼の生活は一般の人々のような安定したものではなかった。定住場所のない放浪者であり、親しい友人もいなかった。ピロスマニはヴェルフリやゴッホのような狂気が反映している作品を描くことはなかったが、店の看板も含めるとヴェルフリやゴッホと同様に大量の作品を残した (生涯に2000点以上の作品を描いたという説もある)。

ゴッホは1853年にオランダ北部のズンデルトで牧師の子供として生まれた。1869年にグーピル美術商会に入社し、1876年までそこで働く。商会を退職後はイギリスで牧師をし、さらにオランダのドルトレヒトの書店で働いた。1878年にベルギー南西部のボリナージュ地方の炭鉱で布教活動を行っているとき画家になることを決意する。弟のテオドルスの支援を受けながら画家生活を行い、1886年にパリに移住。1888年に南仏のアルルに移りゴーギャンと一緒に住むが、同年の12月に有名な耳切り事件を起こす。1889年から一年間サン=レミ精神病院に入院する。1890年5月にサン=レミ精神病院を退院し、パリに向かうが、二カ月後の7月、パリ近郊のオーヴェル=シュール=オワーズでピストル自殺をする。ゴッホの略歴を見ていくと、彼が一つの町に留まらずにさまざまな場所を移動する人生だったことが理解できる。さらに、彼は人生の後半部を精神病 (統合失調症であったとする説が有力) で苦しんだことも理解できる。

三人の画家を比べると、どの画家も作品のオリジナリティーという点ではみな強烈な独創性を持っていた。そして三人とも反社会的とも言い得る一般社会の人々とは大きく異なる生活を行っていた。だが、この三人の中でアール・ブリュットあるいはアウトサイダー・アートの芸術家と形容される画家はヴェルフリだけである。ピロスマニはヴェルフリと同じように膨大な作品を作成し、富みも名声もまったく求めず、一般社会的から背を向けた生活を送った。しかし、精神的な病を患うことはなかった。また、イコン的な側面を持ってはいたが、ジョージアの民衆文化の影響が強いピロスマニの作品は、後のセクションで詳しく述べるようにヴェルフリの作品の持つ過剰な規則性が持つ狂気性を有してはいない。ゴッホもヴェルフリも精神病を患い、精神病院で絵画制作も行った (ヴェルフリの場合は精神病院のみでの制作活動であるが)。確かにゴッホの渦巻状のタッチに狂気の痕跡を見ることも可能であるが、狂気という点がゴッホの作品に対する評価の最重要ポイントとはなっていない。さらに美術史上、ゴッホは後期印象派の一人として位置づけられている。こうした違いを見ていくと、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートにおいては、狂気と隔絶さらには狂気と独自性といった二つの条件が揃うことに大きな意味があることが理解できるが、この問題に関しては次のセクションでヴェルフリの作品を具体的に分析しながら考察していく。

 

規則性の過剰と反理性的作品

ヴェルフリの作品について語るとき、不思議な紋様、聖者の様な人物、奇怪な生物、文字や音符の列挙、中心を持った曼陀羅的な構図、イコン的に配置された人物や動物、画面上に描かれる過剰なまでの物の充満といった点が主要な問題となるだろう。だが、こうしたヴェルフリ作品の独自性すべてについてここで探求することはできない。ここでは、ピロスマニのポリフォニー性とヴェルフリのポリフォニー性。前者のキリスト教的なイコン性という特質と後者の曼陀羅的イコン性という特質。ゴッホの渦巻型のタッチとヴェルフリの曼陀羅的構図。強く何度もキャンバスに叩きつけられた前者のタッチと後者の繰り返し執拗に描かれる同一形態というテーマにだけに論考を絞って検討して行きたい。なぜなら、こうした探究視点を取ることによって、ヴェルフリの作品に関してだけでなく、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートに関する明確な考察も可能になると思われるからである。

『放浪の画家 ニコ・ピロスマニ―永遠への憧憬、そして帰還』の中で、はらだたけひこは、ピロスマニの絵の中に反映されているジョージアの民族的・文化的なポリフォニー性について語っている。ジョージアでは実際にポリフォニーつまりは多声的な合唱が日常的に歌われているそうであるが、そうした音楽的なポリフォニー的特質はたとえばピロスマニの「カヘティの叙事詩」の中に示されたアレゴリー性の中にも見られるとはらだは主張している。「この絵では、遠近法による大きさは無視され、生活の情景が点描されている。宴会や祭礼、幌馬車の人々、そして身ぐるみはがれる男など、描かれたエピソードには脈絡がない。それぞれが異なる時間と物語をもって進行している」とはらだは述べ、さらに、「このポリフォニー的世界によって、絵全体には日常生活とは異なる祝祭的な時間がある。すべてを絵筆で洗い流したように、生まれ変わって清々とした空気が感じられ、描かれたものは終わりのない時を生きている」と述べている。そこにあるポリフォニーは調和的な幸福なポリフォニーである。それに対してミシェル・テヴォー (Michel Thévoz) は『不実なる鏡:絵画・ラカン・精神病』(岡田温司、青山勝訳) の中で、1976年のセミネール:サントーム (Le sinthome) の中で示された日常言語の解体構築に関するジャック・ラカン (Jacques Lacan) の言葉を引用しながら、「つまり「言葉 (ルビ:パロール) の本質的に音素的な属性、すなわち言葉 (ルビ:パロール) のポリフォニーによって占拠されるような何か」がその存在を主張しはじめるのである。この結合の緩みは、ヴェルフリの場合、それが聴覚的コードから視覚的コードへの翻訳によって生じるもの」であると語っている。すなわち、ヴェルフリのポリフォニーは調和的な多声性ではなく、日常的な言語的、音楽的、絵画的合理性を破壊し、新たな秩序を構築するための横断的な記号として作用するものである。そこにはピロスマニ的な心地よい、幸福なポリフォニーはまったく存在してはいない。

両者のイコン的な特質も大きく異なる。ピロスマニのイコン性に関してはらだは、ピロスマニの絵の中にある「この平面性、正面性、対称性は、イコンの特徴でもあることから、ピロスマニの絵は、この地域のイコンやフレスコ画の系譜のなかにあるといわれている。一般的に、イコンとは、東方正教会で崇拝される聖人を描いた板絵。フレスコ画とは、教会などで、漆喰に絵の具を重ねて描かれる壁画のことである」という指摘を行っている。この指摘はピロスマニの絵のイコン的特質が伝統的なものの系譜を受け継いでいるという見解であり、ピロスマニの絵画のオリジナリティーがキリスト教を背景とした歴史的、地域的、民族的な流れと隔絶したものではないことを語っている。マクラガンは前述した著作の中で、ある種のアウトサイダー・アート作品について「中には何らかの形象的・物語的な脈絡を持つ作品もある――容易に読み取れるものではないが。訳の判らない図形にしか見えないものもあるし、またそのような脈絡を覆い隠すような「装飾的」モティーフに浸食されているものもある」と書いているが、これはヴェルフリの作品の大きな特徴の一つである。ヴェルフリ作品の物語性には聖者の様な人物や十字架の様な紋様などが繰り返し執拗に登場する。さらにヴェルフリの作品におけるイコン性に関しては、全体的構図がキリスト教的なものではなく、仏教の曼陀羅に近い形態をしている。それゆえ、ピロスマニの絵のイコン性とヴェルフリの絵のイコン性はまったく異なっている。だがその特質が異なるとしても、どちらの絵の中にも宗教的な神秘性が内包されている点は強調しておこう。

ゴッホの後期作品の大きな特徴の一つとしては渦巻型のタッチを挙げることができるが、ここではまず曼陀羅とゴッホやヴェルフリの絵を比べた場合に注目できる以下の点を提示しよう。中沢新一は『イコノソフィア:聖画十講』において、霊界と訳され、流動的で動力が漲っている魂の世界であるアストラル界 (Astral world) と曼陀羅の関係を、「(…) 燃えたつ炎のようなアトラス界の流動性は、複雑な階層性をつくりなす無数の渦として描かれる。この領域には、物質的対象にしばられることのない力が自由な流動性をあたえられながら、大きな渦巻状の運動をはらんだ「場」をつくっている。仏教マンダラのなかでは、この渦巻状の運動性を内蔵した空間または「場」を表現しようとしています。そこでは無数の小さい渦巻が生まれ、しかもそこからもっと大きな渦が自己生成してくるプロセスとしてのマンダラが描かれているのです」と語っている。ゴッホのタッチはまさにこうした自由で激しく動き続ける魂の移動の痕跡を表現してはいないだろうか。だが、構図的なレベルでの求心的な力の表現はヴェルフリも行っている。それは絵画のタッチとしての線的な流れなのではなく、図像的なものである。それゆえ、そのダイナミズムには宗教画的なイコン性の特性が強く表れているが、その図像形態に関しては、自由な精神の表現というよりも神秘性や不気味ささえも感じるものであると述べ得る。

前の段落で指摘したこととも関連するが、ゴッホのタッチは渦巻状の形態という特徴だけではなく、激しく叩きつけるような筆力の連続という特徴も有している。こうした強烈なタッチの連続はヴェルフリの絵には存在していない。もちろんゴッホの有名な絵のほとんどのものが油絵であり、ヴェルフリの絵が鉛筆画である点は考慮しなければならない。だがこうした素材的な問題を超えて、両者の絵画の差異と類似点を見ていくことは重要である。ゴッホのタッチの激しさに狂気の影を感じることは容易なことだが、ヴェルフリの絵の中にも狂気の形跡が見られないだろうか。確かにヴェルフリの絵には強烈なタッチは存在していないが、このセクションの冒頭で示した不思議な紋様、聖者の様な人物、奇怪な生物、文字、音符などのオブジェが画面一杯に溢れるように何度も繰り返し登場する。その繰り返しの執拗さ。そこには狂気の色彩が塗りこめられてはいないだろうか。アントナン・アルトー (Antonin Artaud) は『ヴァン・ゴッホ』(粟津則雄訳) の中で、「(…) なぜなら、人間ではなく世界が異常なものになったのだ (…)」と述べているが、ヴェルフリの絵画世界はまさにそういった異常な世界を表してはいないだろうか。二人の画家が有していた狂気の色合いはまったく異なるかもしれないが (両者共に統合失調症であったという医学的見地はここではまったく意味がない)、二人の絵には、繰り返しや連続性の多用による狂気の刻印が押されているのは確かなことである。

このセクションでは上記した二人の画家の作品とヴェルフリの作品との比較検討を行ったが、最も注目すべき点は主体性と狂気との関係という問題である。一見するとヴェルフリの絵は装飾的でもあり、物語的でもあり、音楽記号的でもある。そこには秩序があり、調和があるような第一印象を受ける。それはピロスマニ的なポリフォニーと類似しているようにさえ思われるかもしれない。それに対して激しく繰り返されるゴッホの後期作品での渦巻型のタッチは狂気の典型的象徴として捉えることも可能なものである。しかし、ゴッホの絵の中には、アルトーが指摘しているように、「ヴァン・ゴッホが、この世界でもっとも執着していたものは、画家としての観念であった。天啓を受けた人間としての狂信的で黙示的なおそるべき観念であった」という側面が内在しており、「すなわちこの世界は、おのれの母胎の命ずるがままに位置付けられ、広場で行われる秘儀的な祭のような、圧縮された、反心霊的なリズムをとり戻し、あらゆる人びとのまえでるつぼの過熱状態に戻されなければならぬという観念であった」という強烈な主体的意識の反映が描かれているのだ。それは狂気だろうか。いや、そこにはゴッホという一個の主体の意志が存在している。それに対して、ヴェルフリの絵には一個の主体としての強い意志があるだろうか。テヴォーはヴェルフリの言葉を引用しながら、「この魔法使いの弟子 (筆者注:ヴェルフリのこと) が期待しているのは、誰かが彼の楽譜を演奏してくれることではなく、楽譜のほうが彼を弄ぶことである。(…)「僕の頭のなかにそんなものがあるとでも思いますか」。医師から制作方法について質問されたとき、彼はそう答えている」と書いている。つまり、ヴェルフリの創作行為はデカルト的な理性に基づく主体的芸術活動ではなく、主体内部の複数の主体が反響することによって遂行される芸術活動なのである。それこそが狂気の最大の特質ではないだろうか。ここではこれ以上の検討をせずに、次のセクションであるこの小論の結論部分で、改めてこの問題も含め、詳しく考察していきたいと思う。

 

ヴェルフリ、ピロスマニ、ゴッホの作品を比較することによって導かれた結果を基にしてアート・ブリュット、アウトサイダー・アート、ヴェルフリの作品に対する探究のまとめを行っていこう。この三つの問題を総合的に論考し、結論づけるためには、以下の三つの方向性からのまとめが必要であると考えられる。第一の方向は描かれた対象の過剰性と合理性の問題に関係する。第二の方向は流動性と自由あるいは魂の解放という問題に係る。第三の方向は「誰が描くのか」という問題、つまりは、画家の持つ主体性に関する問題である。

第一の点についてはヴェルフリの多くの絵画の持つ紋様性の有する意味が問題となる。すなわち、一つのあるいは複数の中心を持った円状の形態を構築する、同一形態の記号、紋様、オブジェが画面全体にびっしりと繰り返し描かれていることの意味が問題となるのだ。描かれる対象の過剰さは見るものに安らぎではなく、不安を与える。前述したように、ピロスマニの絵のイコン性は穏やかで、調和的なポリフォニーを思い浮かべさせ、安息への方向にわれわれを導いてくれるように感じられる。それに対して構図的にいかにイコン的であろうとも、ヴェルフリの絵画には調和的なポリフォニーは流れてはいない。そこにあるものはあまりにも多くの声の過剰なる反響である。ミハイル・バフチン (Mikaïl Bakhtine) の用語で言うならば、カーニヴァル的な声の反響である。昇華されることなく繰り返される声の群れが次々に現れる喧騒としての、あるいは、不快な振動の連続としての絵。それがヴェルフリの絵画ではないだろうか。その中に狂気の印を探し出すことは困難なことではないが、狂気という観点からではなく、アート・ブリュットやアウトサイダー・アートの根本的な一つの特徴として、描かれたオブジェの過剰さを挙げることができるのではないだろうか。ヴェルフリだけでなく。ヴァレリー・ポッター (Valerie Potter)、ヴァン・ストロップ (Vonn Stropp)、ニック・ブリンコ (Nick Blinko) などのアール・ブリュットの作家の作品にもこうした過剰さが見られる。この過剰さは合理的な秩序の破壊の表現でもあるが、定式化されない自由の表現でもある。

第二の点である流動的形態が示す自由あるいは魂の解放について、中沢新一が前のセクションで挙げた本の中で言っている言葉に耳を傾けよう。中沢は曼荼羅に描かれたアトラス界にある魂について、「人間のあらゆる欲望や感情は、どんなものももともとはエレメント的なのです。だから、それは本来、純粋で清浄なものだといえます。ただ、その物質的現実に受胎したそれらのエレメントを、受胎のなかから解き放つことができたとき、純粋なエレメントでできたエデンの園がその姿を現すようになります」と述べている。デュビュッフェの観点に立てば、こうした魂の解放がヴェルフリの絵には示されていると述べ得るかもしれない。だが、中沢が書いている仏教などの宗教が説く曼陀羅世界の清浄さはヴェルフリの作品には感じられない。ヴェルフリがいくら統一的なシステムを求めて魂を解放させようと試みても彼の絵は煩雑で呪文的なものだ。それは、作品の見手に自由な意識の持つ解放感や安心感を与えるものではなく、不安感や苛立ちを抱かせる。この特質もヴェルフリの芸術がアート・ブリュットである大きな理由の一つではないだろうか。また、それはユージン・カブリチェフスキー (Eugene Gabritschevsky)、ラファエル・ロネ (Raphael Lonné)、クリス・ヒプキス (Chris Hipkiss) などのアール・ブリュットの作家の作品にも見られる特徴である。

第三の点はエゴの多重性と芸術家の創造行為の問題としてパラフレーズすることができる。前のセクションの最後でも言及したように、ヴェルフリは、ゴッホとは異なり確固とした主体的意志を持って芸術活動を行っているわけではないと語っていた。一般的な芸術家に対しては投げかけられることが決してない「誰が作品を描くのか?」という問はアート・ブリュットやアウトサイダー・アートの芸術家の作品制作においては大問題となる。たとえば、霊媒師であるアール・ブリュットの画家の作品は、誰が描いているのか。作者の意志とは無関係に、作品が制作されると霊媒師=作者は主張するが、それでは誰が描いたのか。その芸術家は天の意志と言うだろうが、問題は日常においても当然そうであると考えられてているよりも、われわれ各人の主体というものは堅固なものでも唯一つのものでもないということだ。主体の持つ分裂的な表現は一般的な美術作品の評価を打ち砕くものである。テヴォーは語る。「(…) 芸術家であるヴェルフリは、言葉と形象の戯れ、あらゆる種類の記号に許されたイニシアティヴ、象徴体系の魔法のなかで与えられるインスピレーションに救いを求めることができる。ヴェルフリは、これらの装置すべてを狂わせ、相互のはたらきを刺激し、表現プロセスを制御不可能な道へと導き入れる才能をもっている」と。だが、それは一個の主体の有する才能というよりも、分裂した主体が織りなすドラマなのではないだろうか。そしてそのドラマこそがアール・ブリュットあるいはアウトサイダー・アートの特質であると言えないだろうか。

ここではヴェルフリの作品を見つめながらアート・ブリュットとアウトサイダー・アートに対する考察を行ったが、最後に、マクラガンの「(…) アール・ブリュットとは、文化の外側にある創造性の新たなモードであり文化が覆い隠した根源的な創造性の再発見であるとされていたのだが、実際にはそれは当の文化の派生物であり、歪曲された形での反映であったのだ。アール・ブリュットとアウトサイダー・アートは、ある意味でナイーヴ・アートやプリミティヴ・アートと同様、芸術の特定の形態をメインストリームの文化から区別するために導入されたカテゴリであり、それも、関係する「芸術家」たちの頭越しに定義されたものである」という発言を検討したい。この発言は文化的な枠内に取り込まれることなく完全に孤立した芸術は存在しないことを示していると共に、アール・ブリュットまたはアウトサイダー・アートの作家の創作活動は文化の内部や外部といった区分を超越して展開されることも示している。また、それは彼らの創造が理性的な主体を超えたエゴの多重性を自由に移動するゆえであることも暗示している。アルトーの「(…) 思考とは、平和時のぜいたくにほかならない」という言葉とラカンの「私は思考する故に自らの存在を停止する」という言葉を思い出そう。思考の停止は合理性の停止である。だが、思考の停止によって開始される創造的冒険というものも存在するのである。アール・ブリュットあるいはアウトサイダー・アートの作品は新たな美的な冒険の可能性をわれわれに教えてくれる。この冒険を初めてわれわれに教えてくれた芸術家がヴェルフリであった。ヴェルフリの作品を見つめよう。そこには美の旅への誘いがある。それが解放の旅か、狂気の旅かは判らないが、そこには確かに魂の旅があるのだから。

初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study857:170612〕