厚生労働省の外郭団体である「年金積立金管理運用独立行政法人」(以下、GPIF)は現在、約130兆円の公的年金資産を運用している。サラリーマンの厚生年金と自営業者の国民年金を、納付されてから給付するまでの間、管理運用するのである。今後、公務員の年金資産や独法などの保有資産も併せて運用する予定があり、近い将来に運用総額は200兆円に達すると予想されている。運用割合の基本は、国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%、短期資産5%と決められている。ただし乖離許容幅はある。2014年3月末の実際の構成比は、国内債券55.43%、国内株式16.47%、外国債券11.06%、外国株式15.59%、短期資産1.46%、であった。
《130兆円の資産運用の成果と行方》
2013年度と2014年度は、国内株価の上昇が寄与して、それぞれ+10.23%と+8.64%、という良好な投資成果を挙げた。政府とメディアはアベノミクスの成果というが、安倍政権誕生前の12年秋に始まった株価上昇の主因は、外国投資家の投機的な日本株取得であったことは市場の常識である。逆に、リーマン・ショック期には08年度に-4.59%、09年度には-7.91%のマイナス成果であった。成果が悪いときは他人のせいにし―リーマンショックは想定外―、成果が良いときには自分のせいにするのは運用者(この場合は政府)の性癖だから用心して聞くほうがよい。
昨今の話題は、国内株式の比率を増加しようとする政府方針を巡るものである。運用マフィアたちは、株価はまだ上がるから、買い増して更に儲けようという。同時に、年金受益者という他人の財産で株価を上昇させ、アベノミクスの成果にしようとしている。資産運用は人間の「欲」が絡むから、理屈も実践も百家争鳴となる。筆者(半澤)も、かつて運用者のはしくれであった。言いたいことは多いがここでは私見を控え、次の二点に絞って問題の所在を明らかにしたい。即ち、「債券と株式のプラス・マイナス」と「株式のパッシブ運用の増加」の二つである。それらは素朴な問題でもあり核心の問題でもある筈だ。
《債券と株式のプラス・マイナス》
株式と債券は、リスクとリターンにおいて反対の性格をもつとされる。株は儲かるときは大きいが下落して損失が出るリスクも大きい。そして総じてインフレに強い。債券は収益力はそう高くないが満期に元本が返ってくるからリスクは少ない。しかしインフレには弱い。債券所有期間に金利が上がれば債券価格は下落する。物価が二倍になれば償還元本の実質価値は半分に下がる。資産運用の要諦は、この二種の資産の割合を適時適切に定めることにある。運用の専門家が、小難しいことを言おうと、ファイナンスの教科書に難しい数式が書いてあろうと、要は上記の「割合」をどうするかが運用の核心である。尤もらしい理屈を言いつつ、最後は人間が「エイヤッ」と決めるのである。
さて政府の態度はどうか。政府の有識者会議は昨秋、GPIFの運用に関して国内債偏重見直しやリスク資産拡大検討などを求める提言を行った。今年4月には、この有識者会議の座長だった米沢康博早大教授が、GPIFの運用委員会委員長となった。国債を売り株式を買うという提言が具体化しつつあるのである。「つんのめり」が好きな安倍首相は、5月のロンドンで、早くも運用方針の変更を予告し「アベノミクスは買い」を改めて訴えた。
日経などの経済専門紙を除くと、メディアの論調は株式買い増しに批判的である。評論家の内橋克人は、NHKラジオ第一放送の朝番組「ビジネス展望」で、5月と7月の二回にわたり、株式投資のリスクを理由に慎重論を述べた。『世界』14年8月号では朝日新聞記者の松浦新が、同様のリスクを指摘している。一方で松浦は、財政収支の改善がなければ国債の暴落は必至だと論じており、必ずしも辻ツマが合わない。二人の言説が誤りだというつもりはないが、実務経験者からみるとこの種の議論には適切な代案がないのが難点である。
《株式の「パッシブ運用」の増加》
ひとはプロの株式投資は素人より巧いと思っているがそれは実証されていない。それどころか逆であるのが実態である。「パッシブ運用」の増加がそれを物語っている。「パッシブ運用」とはなにか。日本語にすれば「消極的運用」あるいは「受身的運用」である。
その前に、一体、株式投資の巧拙はどう評価されるのか。それは株価指数(例えば「日経平均株価」や「東証株価指数TOPIX」など、これをベンチマークという)を物差しにして測定するのである。かりに日経平均が100%上昇したとき、ある資産構成(ポートフォリオ)が、150%増加すればそれは「優秀な投資成果」である。運用成果が50%の上昇にとどまった場合は、―預金金利などよりはるかに高収益でも―、それは「貧しい投資成果」である。同じ理屈で、平均株価が20%下落したときに10%の下落で済んだ運用は「優れもの」であり、30%下落の運用は「ヘマな」運用である。世間の常識では理解しにくいが、運用の世界ではこれが常識である。しかも、プロの運用が持続的に指数を上回るのは不可能だという実証が多い。そこで出てきたのが「パッシブ運用」という概念とその実践である。日経平均225銘柄と同じ構成比のポートフォリオを作り、そのまま保有を続けるのである。実は、日本国内の機関投資家の株式運用の多くは「パッシブ運用」である。たとえば、株式投資信託の純資産残高約66兆円(14年末)のうち、約70%がパッシブ運用をしている。だから投信の顧客は「日経平均」を買っているのである。かつて笑い話だった「ダウという株を売ってくれ」は今、現実となった。GPIFでも03年以降、「パッシブ運用」の比率は、75~80%で推移している。
念のためにいうと「パッシブ運用」の反対は「アクティブ(積極的)運用」である。経済予測や企業の業績予測を行ない、熟慮してポートフォリオを組む。それによってベンチマークを上回る成果を目指すのである。多くの個人投資家が、証券会社の営業マンとの間で実践しているのは、プロすら回避する「アクティブ運用」である。
《専門性の名の下に隠れているもの》
年金運用は、その専門性の名の下に、多くの問題点が隠れているように思われる。
たとえば、GPIFが保有している電力会社の株主議決権、それはどう行使されているのか。とりわけ、株主総会において脱原発を要求する株主提案に対して、GPIFはどんな方針をもっているのか。脱原発運動との共同作業が考えられないであろうか。社会保障の基本問題であるのに「運用」への関心は高くない。人々が様々な政治的課題を、日々の生活感覚から見直さねばならないことを痛感する。(2014年7月17日記す)
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