アベノミクスの経済学とは、今日のデフレ脱却のための三本の矢としての金融緩和、公共事業、成長戦略をさしている。この経済政策は今年7月の参院選挙において、自民・公明が圧勝したことにおいても示されているように、大方の市民・大衆はこれを肯定的に評価しているかに思われる。もっともその評価には多分に期待が含まれているのであろう。なぜならその政策の効果はまだ現れてはおらず今後1年から2年の日本経済の推移をみてみなければ効果は判らないからである。
私は長年にわたって、貨幣論やインフレ・デフレ論について研究してきた者であるのでこのさい、独自の批判的見地からアベノミクス論について論評したいと思う。
まず第1に、安倍総理およびアベノミクスを信奉する政治家達は、簡単にここ15年にわたるデフレ(物価下落)から脱却を主張するが、そのデフレがいかなる要因によって生じているかについては多くを語らない。多くの人達は単に商品の供給が需要を上回っているからという、商品の需給関係からのみデフレを主張しているかにみえる。それ故国内の需要(主に消費需要)を増やせばデフレは解消するとみている。だがそうした理解は問題である。もとより需給関係が一因であることは容認できるが、それのみではなく、90年代初のバブル崩壊以後、日本では企業の生産性上昇率は必ずしも高かったとはいえないかもしれないが、それでもやはり生産性は上昇してきたのであり、これにより商品の価値(投下労働量)は低下してきたのであり、これによって物価は低下してきたという側面もあると思う。さらに資本は、海外の低賃金労働力を利用するため、生産拠点を海外に移す等して生産コストの引き下げに注力してきたのであり、これによって競争による物価下落が生じてきた側面もあろう。こうした要因による物価下落は、需要を増やしても物価上昇に転ずるわけではなかろう。
第2に、アベノミクスでは、日本銀行が金融緩和政策によって通貨供給量を拡大すればデフレは解消され、インフレに転ずるであろうとみている。そのさいのインフレ率の目標は2%だとしている。だがそのさい一つにはこれは日銀の本来の役割から逸脱する政策を強制するものだという点を指摘しておきたい。中央銀行の本来の役割は物価安定であり、通貨価値安定維持にある。にも拘わらず日銀に2%のインフレを賦課するというのは、日銀に自己矛盾に陥らせるという異常な政策なのである。また2つめには、こうした政策は、1970年代後半から台頭してきた新マネタリズムを提唱するシカゴ学派のフリードマン(新保守主義の元祖)の学説に基づく新貨幣(紙幣)数量説の論者によって遂行されているということである。彼等は物価は通貨供給量の変動によって影響され変化すると主張する論者達であり、そのさい通貨供給は能動的に変化させうる(貨幣供給の外生説)とみているのである。この所説の主張者は、米国ではFRB(連邦準備銀行制度)の議長バーナンキを筆頭に大勢の経済学者がいるし、日本でも安倍首相のブレーンといわれる浜田宏一氏をはじめ、日銀の政策委員のみならず、日銀や政府の周辺にもこの立場にたつ論者は少なくない。
だが貨幣論の学説史的見地からいえばこのマネタリズムという所説は古くからあったとはいえ必ずしも正統派とはいえない。例えば19世紀の30〜40年代には有名な通貨論争が行われたのであるが、この論争ではマネタリズム(通貨主義)に対して銀行主義が有力な学説として提示されたのである。銀行主義では貨幣には通貨(流通手段として機能する貨幣)の外に商品流通から引き上げられ蓄蔵される蓄蔵貨幣がある。それは通貨の数量が実体経済における商品価格総額によって受動的に決定されるためである(貨幣供給の内生説)として貨幣数量説とは逆に捉えるのである。すなわち今日的立場から銀行主義を捉えるなら、日銀が市中銀行から国債等の有価証券を購入したり市銀への貸出を増やす等して、市銀の日銀当座預金(市銀の準備金)を増やすとしても、企業の側からの市銀への資金需要が増えなければ通貨(預金通貨)の数量は増えないし、かりに企業の資金需要が増えたとしても、実体経済の活動が停滞していれば、通貨はやがて蓄蔵貨幣として銀行に環流してくるから通貨量は増えないだろうということになる。この銀行主義の立場はのちにマルクスによって評価され、彼の立場からは、通貨以外の貨幣は蓄蔵貨幣としてのみではなく、支払い手段の準備金や世界貨幣を含めたいわゆる貨幣としての貨幣と捉えられた点ではやや異なるがマルクスの体系に踏襲されている。その後に現れた経済学者たるケインズやケインジアン達もこの銀行主義の立場を継承していることは明かである。ケインズは、社会の総貨幣量Mは、M1とM2から構成されるとし、M1は人々の所得の関数であるとし、M2は利子率の関数であると捉えたが、このM2は蓄蔵貨幣であるとみているからである。
余談ではあるが、私が一年間の海外研修のために40年前にロンドンに滞在していた折りに、イギリスの新聞紙上では、マネタリストとケインジアンとの激しい論争が紹介されることが3〜4回あったが、それは、通貨供給なるものが、能動的要因によるか、受動的要因によるかという問題と、物価引き上げ要因となるかならないかの問題であったと記憶している。
私は貨幣数量説の論者ではないので、日銀の金融緩和によって物価は上昇しないとみている。だが現在の日本では物価は上昇しつつあるではないかといわれるかもしれない。それは第1に農生産物価の上昇は明らかに今年の異常気象によるものである。第2に石油その他の輸入製品価格の上昇は、円安によるものでその円安はアベノミクスによって生じているのではなく−−その側面を全く否定するわけではないが——主に2年前から巨額になった貿易収支の赤字によるものと捉えている。ここで言及しておきたいことは、昔私が研究していた19世紀後半の国際金本位制の時代では、例えばイギリスで貿易収支が赤字になりポンド安になると中央銀行たるイングランド銀行から金準備が流出するので、同行は金融を引き締めたのであった。現在の日本は逆のことをやっている(引き締めではなく緩和の政策をとっているからである)。今日では貿易が赤字になっても日銀から金が流出するわけではないが、外貨準備ドルは流出する。それ故日銀はドルを買い増さねばならないから円を売るのであり、円安が生ずるのである。
第3には、第2の矢としての公共事業について論じたい。これはケインズ政策の展開そのものといってよかろう。ケインズは、経済不況の克服・失業の救済のためには、金融緩和政策をとっても実現不可能であり、むしろ財政面から景気刺激策をとるべきであると説いた学者である。それは、政府が財政赤字を創りだし国債を発行したとしても、えられた政府資金を公共土木事業投資のような公共投資に支出すれば政府需要がふえ、その結果全体としての総需要が拡大するから商品の供給に対する需要不足が解消され経済が活性化すると論じたのである。日本ではこうした財政政策は、30年前から展開されるようになった新自由主義の政策(規制緩和策)と並んで、あるいはそれ以前から採用されてきたと思われるが、その結果は、最近におけるような中央と地方の財政赤字累積額が1000兆円以上にのぼる程の激しい財政危機を生じさせてしまった。こうした財政危機が見通されていたため、自民党政権時代でも、例えば小泉政権時代には公共支出が抑制されたりしたが、その後も医療、介護、年金、失業保険等の社会保障支出は増え続け民主党政権時代でもその伸びは変わらなかったから危機はいっそう進化したのである。
安倍自民党政権になれば、公共支出は抑制されるかもしれないといった甘い期待は裏切られ、いっそうの財政赤字路線にふみこんだとみられるのは、国土強靱化政策の展開によって毎年10兆円づつ10年間にわたり橋やトンネルや道路、他の公共施設等のインフラの補修、整備に支出すると言明したからである。こうした公共的なインフラ整備のためには、政府は本来ならばその原価償却のための基金を特別会計につみ立てておくべきだろうと思われるが、どうもそのようなことをしている様子はなく、このための資金を国債発行によって賄うつもりであるらしい。これに毎年1兆円を超える社会保障関係費がつけ加わる。こうした放漫財政によって一般会計予算の支出が増えていけば、国債発行額は益々増えていき、国債を消化しているといわれる個人貯蓄額(1300兆円)の大部分をも凌駕していき、外国人貯蓄額に依存せざるをえなくなり、その結果国債市場において国債価格の暴落→国債金利の上昇が生ずるようになり財政はいっそうの火の車に追い込まれるようになることに私は強い懸念をもっている。
こうなれば、ギリシャのように財政の破綻、国家の破綻になってしまうからである。この場合、国債金利の上昇は一般の長期金利の上昇ももたらすから景気も後退せざるをえない。いつの時点でこうした大破綻が生ずるかは予知できないが、私はそれほど遠くない時期に起こりうるとみている、
第4には、アベノミクスの第3の矢としての成長戦略について言及したい。安倍総理の経済成長に対する意気込みは大変なものであるとの印象を受ける。現在の日本経済にとって重要な課題たる貧困問題や財政赤字問題も成長率さえ高まれば解決しうると考えているかのようである。だが6月に政府の成長戦略が公表されると株式市場では株価が暴落した。株式市場は、政府の成長戦略を評価しなかったのである。
現在の内閣の閣僚の平均年齢は60才位であるから52年程前から初まって10年間続いた日本の高度成長時代を知っているはずである。1960年代から70年代半ばにかけての日本経済の成長ぶりは確かに目を見張る程のものであった。しかしあの当時は日本の一般庶民は所得は低かったが少しずつ上昇し電気冷蔵庫やテレビ、洗濯機等々の電気製品が漸やく買えるようになり、また個人所有の自動車も普及しはじめていたから、これらの製造業製品に対する需要が拡大しつつあった。それ故にこそ高度成長も可能だったのである。現在の政治家達はあの時代を思い起こして、夢よもう一度と考えているのかもしれない。だがそれはも早無理であろう。現在はアベノミクスの予想に反して労働者の賃金は上がらず需要は不足しているし、商品(物)は売れない時代に入っているのである。も早高齢に達している私自身についていえば、とりわけ今すぐ欲しいと思っているような物はない。大抵の物は充足されているのである。仮に画像が現存のものより鮮明で美しいテレビが開発されたとしても、またこれまで以上に便利な生活便宜品が開発されたとしても私は買わないであろう。それ程贅沢したいとは思わないからである。このように考える私は同様な日本人が増えていけば、日本は他の先進資本主義国と同様な低成長の国となるのではあるまいか。
高成長の国になろうとして躍起になっている安倍政権ではあるが、実は反対に日本経済にマイナス要因となるのではないか、と思われる行動をもとっていると考える。その点を述べることによって本稿をしめくくりたい。第1は安倍氏は活発に海外諸国に赴き諸国の要人と交流し交渉しているかにみえるが、貿易関係が最も緊密なために重要視さるべき中国との関係改善が尖閣諸島問題があるだけに全く進捗しておらず、むしろ関係悪化が危ぶまれる程である点である。第2には、当初多くの自民党代議士が参加することを拒んでいたかにみえたTPPに参加したことによって、農業生産物をめぐる日本の地位が従来より弱まり、日本の農業における自給率がいっそう低下することが次第に明らかになってきたことである、第3に、10月に総理が決定するといっている消費税問題であるが、もし8%への引き上げが決まれば税収が減少し財政再建への困難がますし、引き上げが決まらず据えおかれても財政健在化の道筋がみえず、国債市場での国債の売却→国債価格の下落が生ずるといわれている。ここにジレンマがある。日本売りがふえ円安が進む可能性がある。
最後に述べた諸問題は本来秋以降に再びとり上げたいと考えている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study588:130912〕