アベ政治を終わらせて、「災」転じて「福」とせよ。

大晦日。2018年最後の日である。世のならいでは、この日に旧年を振り返る。

財団法人日本漢字能力検定協会が発表する恒例の「今年の漢字」は、「災」であった。災難・災厄・災害の「災」である。その選定は、公募によるもの。この年をイメージするにふさわしい漢字一字を公募し、その中で最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として発表するという。多くの人々にとって、2018年は「災」の年であった。

応募総数193,214通のうち、「災」は20,858票(10.80%)におよんだという。「災」は、自然災害だけでなく、当然に人災も意味する。協会の発表の中にも、「レスリング、体操などのスポーツ界に於けるパワーハラスメント問題や財務省の公文書改竄(書き換え)問題などといった人為的災害が顕著であったこと。免震装置のデータ偽装…などの出来事があったこと。」という一文が見える。

財務省の公文書改竄問題は、森友問題において顕著に表面化した。アベ政権の悪質な政治の私物化と、その構造的隠蔽を象徴する事件。これぞ人災の極み。加計学園事件とともに、未解明のまま、年を越すことになる。

私も、2018年は「災」の年であったと思う。その最大のものは、「安倍三選」である。こんな「ウソとごまかし」で遊泳してきた人物が政権与党の総裁で、行政府の長であり続けている。そして、国民がこれを許してもいる。この事態こそが我が国の災厄・災難にほかならない。この災厄の元凶を摘除せぬまま放置していれば、憲法が危うくなる。平和も人権も議会制民主主義も危殆に瀕することになる。

ところが、当の本人には、そのような自覚がない。12月12日、彼が2018年を表す漢字として「転」を選んだ、と報じられている。その理由として、「若い力が台頭した。新しい世代への転換を予感させる一年」と説明したという。漢字協会ほどの危機感はなく責任感もない。新しい世代も見くびられたものだ。

もうひとりの災厄の元凶・菅義偉官房長官は、今年の漢字に「成」を選んだ。約70年ぶりの改革となった「働き方改革法」や「改正漁業法」などを列挙し、『様々な改革を成し遂げることができたと思っている』と自賛したとのこと。悪法を手柄にしているのだから、始末に終えない。こうした傲慢な精神がアベ政権を支えて、「災」の原因となっている。

一方、玉城沖縄県知事は、今年の漢字に「激」「揺」「動」「展」の4字を選んだという。同知事は、「私にとっても県全体にとっても激動の1年だった」と振り返り、「『激』しかったし、『揺』れ『動』いた。未来へ向かって皆で協力していこうという意味では展開の『展』もある」と説明したという。

アベはアベなりに事態の「転換」を願い、玉城は玉城で「展開」「発展」を願っている。もちろん、両者の願う未来図はまったく様相を異にする。明年は、さらに事態は揺れ動き、政権と民衆の側のせめぎ合いは激しくなるだろう。

それにしても、災厄の張本人であるアベが、自身で「転」を掲げるのがブラックユーモア。故事では、「禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」という。そのためには「禍」「敗」の原因を突き止め除去しなければならない。「旧年の『災』を転じて、新年の『福』となす」も同じ。「災厄の元凶」を除去してこその『転』ではないか。何よりもアベ自身が身を引くことが、厄落しであり「福」なのだ。

旧年の災を、新年の福に転じるには、アベ政治を終わらせねばならない。2018年4月の統一地方選を前哨戦として、7月の参院選で自・公・維の「改憲ブロック」から「立憲野党ブロック」が議席を奪還して過半数を獲得すること。その決意が、年の終わりに求められている。自分にそう、言い聞かせたい。

みなさま、よいお年をお迎えください。

(2018年12月31日・連続更新2101日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.12.31より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=11826

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