「沖縄県民に寄り添う」っていう、私の例のフレーズ。最近とみに評判が悪い。冗談の分からない人々が真に受けちゃって、本気になって批判しているから始末にこまる。「沖縄県民に寄り添う気持があるなら、辺野古の埋立は直ちに中止して、県民投票の結果を待つべきだ」なんてね。私が口先だけでものを言っているのが、分からないんだろうかね。
「県民の皆様に寄り添う」って、私がこの頃急に言い始めたわけじゃない。一昨年(2016年)6月23日の「沖縄全戦没者追悼式典」あたりが初めてのことだったように思う。このときの式辞で、私は「沖縄県民の皆様方の気持ちに寄り添いながら、成果を上げていきたいと考えています。」と言っている。少しも具体性はないけど、なんとなく上手にその場を取り繕うフレーズとして、よくできていると思うんだ。
なにしろ沖縄は、政権にとっては完全にアウエイの雰囲気。たいてい私が顔を出すところは、物欲しげな物わかりよい常識人ばかりが集まっている。だから、みんなが私をチヤホヤしてくれる。それが首相たる私に対するエチケットというものだろう。ところが、広島だの長崎だの沖縄となると話しが別だ。ガチな雰囲気なんだ。誰も物欲しそうにしていないから、始末に悪い。こんなところでは、「県民の皆様に寄り添う」って、リップサービスをせざるを得ない。そのときより前にも「寄り添う」をつかったかも知れないが、もう忘れてしまった。何しろ、口先だけのことなんだから。
今年(2018年)6月23日の、「沖縄全戦没者追悼式」でも、式辞を「今後とも沖縄の皆様の心に寄り添いながら負担軽減を進めていく考えであります。」と締めくくった。
「沖縄の皆様の心に寄り添い」って何のことだか、しゃべっている私にもよく分からない。でも、分からないなりに、なんとなくそれなりの雰囲気は出ているじゃないの。それに、ちゃっかり「今後とも」と入れたから、「これまでも皆様の心に寄り添ってきた」ことになる。うまくやったと思ったんだ。だけどあのとき、翁長雄志さんから、刺すような険しい目でにらまれて、正直恐かったね。鬼気迫るオーラが漂っていた。
今年8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」の挨拶でも、「寄り添う」の使い回しをした。「被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。」とね。ああ、このフレーズ便利だ。いろんなところで使える。
次は、10月9日。翁長雄志さんの県民葬。そこで、官房長官が私の弔辞を代読した。そのときの起案の中に、「県民の気持ちに寄り添いながら沖縄の振興・発展に全力を尽くす」というフレーズを入れたんだ。ところが、これに反応して怒声が飛んだ。県民参列者からの「帰れ!」「嘘つき!」「いつまで沖縄に基地負担を押しつけるんだ」などなど。葬儀の場で怒号が飛び交うのは珍しい光景だろう。県民の相当数が、翁長さんの命を縮めたのは、安倍と菅だと思い込んでいる様子なんだ。それにしても、「嘘つき」と言われるのは応える。思い当たるから、なおさらだ。
続いて10月12日官邸に玉城新知事を迎えしての会談の席。変わり映えしないが、プロンプターを覗きながら、こう言った。
「戦後70年がたった今なお、米軍基地の多くが沖縄に集中しているという大きな負担を担っている。この現状は到底、是認できるものではない。今後とも、県民の皆さまの気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減に向けて一つひとつ着実に結果を出していきたい」
そして10月24日。臨時国会冒頭の所信表明演説にも、このフレーズを入れ込んだ。「今後も、抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、一つひとつ、結果を出してまいります」とやった。
「今後も」「抑止力を維持しながら」というんだから、これまでとすこしも変わらないつもりだったんだが、「沖縄の皆さんの心に寄り添い」がひとり歩きを始めたようだ。本気で言ってるわけじゃないから、痛し痒しというところ。
こんな風に「沖縄の皆さんの心に寄り添い」と繰りかえしながら、辺野古の海を埋め立てて新基地を作る方針を変えたことはない。こういうことは、ブレてはいけないんだ。
「沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、結果を出してまいります」と国会で演説したのが10月24日。そして、11月1日には辺野古埋立の工事再開に踏み切ったのだから、まあ、少しは早かったかもしれないな。さらに、大浦湾に土砂投入を開始したのが12月14日。「嘘つき」呼ばわりも無理はなかろう。
でも、私も「ご飯論法」のアベだ。まったく言い分がないわけでもない。
まず、私は、確かに「沖縄の皆さんの心に寄り添い」とは言ったよ。だけど、「沖縄の皆さんだけの心に寄り添い」とは言っていない。わざわざ口に出さなくても、本土の皆さんや、私の支持基盤である右翼の皆さん。あるいは、アメリカ政府の皆さんなど、「多くの方々の心にも寄り添」わなくてはならない。だから、心ならずも、沖縄の皆さんを失望させることもあるのは、やむを得ない。
それだけじゃない。「沖縄の皆さん」も一色ではない。当然に、寄り添うべき心も千差万別じゃないか。かならずしも辺野古新基地建設反対だけが、寄り添うべき心だとは思えない。自然を破壊しても、騒音や事故が頻発しても、軍事基地を作っていただきたい、という沖縄の心だって、探せばあるはず。中国や北朝鮮の脅威から我が国を防衛するための基地建設なんだから、アベ政権に協力したいという「声なき声」をよく聞かなければならない。
耳を澄ますと、ほら、そういう右側からのかすかな声が、私だけにははっきりと聞こえてくるんだ。
(2018年12月19日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.12.19より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=11739
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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